『白線の内側』(未公開)原案:定時ダッシュ
それは純然たるハムレット的問いであった。
すなわち「白線の内側にいくか、外側にいくか」。
悠長に思案している暇もなく、目の前はジリジリと白線が迫りきている。
「危険ですので白線の内側までお下がりください」
車両アナウンスが不気味に繰り返される。もうここは最終車両である。突如と我々に牙を剥いた白線は、ホームから通行中の車両内に侵入し、白い舌先をチロチロさせながら乗客たちを「外側」へと葬り去っていった。白線に越えられた者たちはみな、その場で消失する。この電車で生き残っているのはとうとう俺と、毎日同じ時刻に同じ車両で居合せる女性の二人きりになってしまった。
「僕らだけになってしまいましたね」
「どうやらそのようですね」
「毎日顔を合わせていたのに、はじめての会話がこんな状況になるとは」
「そうですね」
我々が身を寄せ合う運転席に、運転手はいない。真っ先に白線の向こう側に旅立ってしまった。
「危険ですので白線の内側までお下がりください」。
だから、これ以上、下がれないのだ。
「もしかしたら」
女性はおもむろに口を開く。
「私たちが今いるここが白線の外側ってことはないでしょうか?」
「と、いうと?」
「このアナウンスは明らかに私たちに向かって行われています。となると、危険なのは、私たち、ということなのではないでしょうか?」
彼女の言うことは一理ある。確かに我々がいる場所は決して安全とは言えない。となると、次々に人々が消失していった白線を越えた先こそ安全な「内側」だったのではないのか。
「私、いってきます」
制止を聞かず、彼女は白線の向こう側へ跳躍し、そして消失した。途端、車両が爆ぜ、俺は後頭部を強打。そして失神。目が覚めた時にはもう電車の外へ放り出されていた。
あれから、十年が経過した。
結局、彼女が消えた先が白線の内側だったのか、外側だったのかは、未だ判然としない。一人残された俺はどちらにも行くこともなく、こうして、すっかり荒涼とした大地を石灰で白線を引きながら、その上を歩き続けている。白線の内側でも外側でも、安全でも危険でもない、ただの、孤独。
いつもいつも本当にありがとうございます。