迎賓館赤坂離宮の見学に行ったらゴージャスな気分に浸れた
通訳ガイドのぶんちょうです。四ッ谷から徒歩5分の迎賓館の見学をしました。外交の華やかな舞台、贅を尽くした宮殿のなかで、国内外の職人の粋を集めた調度品を味わっていると日頃の忙しさを忘れ、穏やかで、ゆったりした気分になれます。
迎賓館赤坂離宮は、明治42年に東宮御所として建設された、日本では唯一のネオ・バロック様式による宮殿建築物です。
当時の日本の建築、美術、工芸界の総力を結集した建築物であり、明治期の本格的な近代洋風建築の到達点を示しています。
出典:内閣府迎賓館ウェブサイト(https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/about/)
見学のため、事前にオンラインで申し込みをしました。今回は和風別館と日本庭園も見たかったのですが、急な申し込みだったので洋館と庭園のみ予約できました。二度目の見学ですが、その価値は充分にあったと思います。見学料1500円は当日現地払いでした。
歴史
江戸時代の中屋敷があったこの一帯は明治に入り皇室のものとなりました。1909年(明治42)この一角に生まれたのが東宮御所、現、迎賓館赤坂離宮、本館だそうです。建築の総指揮を取ったのは片山東熊です。
当時の欧米の最新技術や流行も取り入れつつ、和の意匠にもこだわって明治期を代表する建物を作り上げました。 (パンフレットより)
戦後になると国のものとなり、1974年(昭和49)に迎賓館となりました。それ以来、皇室の方々により多くの国賓が迎えられたり、首脳会談などが行われた場所です。
洋館の中を見学する前に、外の建物全体を見学しました。冬の快晴の空に薄いクリーム色の、横に長い洋風建物が映えていました。
柱の頭にくるくるっと巻いた羊の角のような装飾がついているのでイオニア式という古代ギリシャ建築のひとつの様式だということだけ、わずかな知識でわかりました。でも、あとは、わぁ圧倒される大きさだ。すごーい。外国みたいだぁ。と言う感想しか出てきません。
縦に長い高層建築はよく見かけますが、こんなに横に長く、空間を贅沢につかっているのは東京駅とここぐらいでしょうか。いずれも人を圧倒する力があります。
こちら側は迎賓館の建物の裏側に当たるところです。見学は裏側から入り、正面から出る形です。
次に建物内に入っていきます。写真撮影の禁止、スマホの使用の禁止などの注意を受けます。先ずは正面玄関を入った辺りのホールです。白いイタリア産の大理石と黒い日本産の石が市松模様をなし、その上に真紅の絨毯が敷かれています。
外国の賓客がまず、足を踏み入れる場所です。賓客はそのまま、まっすぐ一直線に絨毯の上を行き、そのまま階段を上がり、さらに直進すると迎賓館で一番格式の高い、「朝日の間」へといざなわれる形になっていました。
阿倍元首相とトランプ元大統領がふたりで、この階段を上がりきった所の写真が二階に置いてありました。
始めに見たお部屋は「花鳥の間」でした。壁に30枚の絵が掛かっていますが、これは、実は絵ではなく七宝焼きで作られた花や鳥です。木目が印象的な落ち着いた部屋です。シャンデリアの重さは1トン以上だそうです。ここは晩餐会や調印を行なったりするために使用します。
(写真: 内閣府迎賓館ウェブサイトより)
次は「彩鸞の間」です。この部屋の特徴は10枚の大きな鏡です。部屋の両端に位置した鏡が合わせ鏡の役割を果たし、シャンデリアが永遠に続いているかのように見えるのが圧巻でした。
(写真:内閣府迎賓館ウェブサイトより)
「朝日の間」は最も格式の高いお部屋です。最近、金箔の張り直しなどの作業が終わって生まれ変わっています。
(写真:内閣府迎賓館ウェブサイトより)
そして最後のお部屋が「羽衣の間」3メートルの大きなシャンデリア3基にオーケストラボックス。演奏会が行われることもあったそうです。
(写真:内閣府ウェブサイトより)
こちらが正面側の写真です。陽が少し傾いてきました。ここから約200メートルの道が正面のゲートまでまっすぐにつながっています。この直線と左右対称な建物を見ていると、非常に西洋的な力強さを感じました。
帰りは少し歩きますが、紀尾井坂を下って赤坂見附まで出ました。紀尾井坂の名前の由来は紀州藩徳川家、尾張藩徳川家、彦根藩井伊家の大名屋敷がこの地にあったことです。
迎賓館建築の明治という時代を感じ、この坂を下りながら、さらに歴史はさかのぼり、江戸時代の参勤交代のための大名屋敷まで思いを馳せました。
誰でも申し込むことのできる迎賓館の見学。見学場所によって見学料金は違いますが最大で2,000円です。東京で見るべきところのひとつだと私は思っています。
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