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ハチ公が結ぶ世界の人
通訳ガイドのぶんちょうです。忠犬ハチ公の話を初めて聞いたのは子どもの頃でした。父から聞いた「渋谷の犬」の話は子供心にも、やるせなくて強く記憶に残りました。
忠犬ハチ公は、東京・渋谷駅まで飼い主の帰りを出迎えに行き、飼い主の死去後も約10年にわたって通い続けたという犬である。犬種は秋田犬(あきたいぬ)で、名前はハチ。ハチ公の愛称でも呼ばれている。渋谷駅ハチ公口前にはハチの銅像が設置されており、この「忠犬ハチ公像」は渋谷のシンボルともなっている。 出典: フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)
このハチ公の話、日本人は誰でも知っているかと思いますが、外国人観光客の間でも有名です。「ハチの銅像が見たいから必ず連れてって」と頼まれる時もあります。
外国のお客様も、悲しい顔をしてハチの話を聞きます。渋谷に向かう山手線のなかでハチ公の話をすると外国人の3人姉妹が皆、涙をこぼして泣き出したこともあります。動物の一途な気持ちには誰もが心打たれます。
余談ですが、ウィキペディアに書いてあったハチの話、本当のところは、飼い主の教授が泊まりで出張に行くときにだけ、ハチは渋谷駅に迎えに行っていたらしいです。
その日、夜になっても家に戻らない飼い主が、何日かすると駅から出てきて帰ってくる。それを経験的に知ったハチは、駅の近くにいれば、きっといつか大好きな飼い主がひょこっと現れてくれると信じていたのでしょうか。
夕方になると、預けられていた家を抜け出し、駅で待ち続けた犬。今日も、明日も。そして10年近く待ち続けたのでした。わーん。泣けてくるわ。
ハチ公の話をもう少し詳しくしましょう。ハチ公は大正12年(1923)生まれ。今から100年位前に生まれたのですね。ハチ公の飼い主は東京帝国大学農学部の上野教授で、現在の渋谷の松濤に住んでいたそうです。
ところがある日、教授は大学で倒れ、帰らぬ人となってしまいました。そうとは知らないハチは、毎日夕方になると渋谷駅に現れたのです。やがてハチ公は、人々の間で話題になり、新聞の記事として取り上げられました。全国的に有名ななったハチ公は、主人に忠実な犬として銅像が建てられました。
この銅像ですが、実はハチ公が生きている間に建てられています。ハチ公が亡くなる1年前です。ところが、戦争中の金属回収で1944年に、この初代ハチ公像は溶かされてしまったそうです。今、私たちが見ているハチ公像は、戦後(1948年)に建てられた2代目ということになります。
訪日外国人の数が年々増えるごとに、ハチ公の前で写真を撮る外国人の数も増えていきました。そして、いつの間にかハチ公の前にきちんと整列して写真を順番に撮るという観光客のなかでの暗黙のハチ公ルールができていった現象を面白く感じていました。
ハチ公の話は日本で映画になりましたが、アメリカでも、ハチ公の話をベースに映画になっています。これも、とてもいい話。久しぶりにトレーラーを見ただけで涙噴出です。笑 タイトルはHachi: A Dog's Tail です。
やがてハチは13歳のときに誰にも見られずに、ひっそりと死んでいきました。いつもハチが行かないような場所で、ハチ公の遺体が見つかったそうです。渋谷駅ではハチのお葬式が執り行われ、沢山の人から花が手向けられたそうです。昭和10年(1935)のことでした。
ところで、ハチのお墓はどこにあるか知っていますか。ハチは教授が眠る青山霊園で、やっと教授と一緒になれたのです。お墓には、ハチの碑も建っています。ハチの体は剥製となり上野の国立科学博物館で保存されています。
訪日外国人の数が年々増えるごとに、ハチ公の前で写真を撮る外国人の数も増えていきました。そして、いつの間にかハチ公の前にきちんと整列して写真を順番に撮るという観光客のなかでの暗黙のハチ公ルールができていった現象を面白く感じています。
100年前に生きた一匹の犬の、飼い主に対する一途な気持ちが、今世界の人の心を動かしているのですね。