【60ページ分を無料公開:第5回】書籍『中国はリベラルな国際秩序に対する脅威か?』より。佐橋亮・東大准教授による長文解説[前編]
◎解説──本書を的確に読み解くために
佐橋 亮
本書は、『China and the West』(House of Anansi Press, 2019)の全訳です。全体は2章からなっています。第1章には、ディベートに入る前に4人の論者に個別に行われたインタビューが収録されており、第2章には、4人の論者が登壇して行われた「ムンク・ディベート」そのものの模様が収録されています。
「ムンク・ディベート」は、著名な論客を招いて定期的に行われる公共政策に関する討議の場として、世界的にその名を知られている有名なディベートです。より詳しくは、本書巻頭の「ピーター・ムンクからの手紙」、および「謝辞」「ムンク・ディベートについて」を参照して下さい。ムンク・ディベートの模様を収録した書籍は何冊か刊行されており、これまでにも、『中国は21世紀の覇者となるか?』(早川書房)、『人類は絶滅を逃がれられるのか』(ダイヤモンド社)、『リベラル vs. 力の政治』(東洋経済新報社)等が邦訳出版されています。
本書に収録されているディベートが行われた2019年5月9日は、アメリカが対中関税引き上げの第3弾を発動した5月10日の前日でした。議論を戦わせたその日の深夜に、アメリカが中国からの輸入品2000億ドル分の関税を、10%から25%に引き上げることが予定されていました(そして実際に引き上げられました)。
このディベートの議題は「中国はリベラルな国際秩序に対する脅威か?」というものですが、隠されている主題は、なぜアメリカと中国が深刻な対立をするようになったのか、とりわけアメリカが中国政策を変えたのはなぜか、それは正しい認識とアプローチに基づくものなのか、習近平体制下の中国をどう見るべきなのか、それを国際秩序のなかにどう位置づけるべきなのか、ということです。この原稿を書いているのが2020年3月ですのでディベートが行われてから10か月以上が過ぎたことになりますが、テーマとしている問題の構造自体は大きく変わっていません。貿易戦争を超えた米中対立の背景にあるアメリカ人の問題意識について、それに対する中国と世界の懸念について、本書は、今読んでもまったく古さを感じさせない、示唆に富む内容になっています。
ここでは、専門家ではない一般読者に向けて、本書を読む際に知っていれば内容をより的確に読み解けるであろう背景知識や視点、今後、米中関係を見ていく上でヒントとなる事柄を、いくつか解説しておきたく思います。解説の最初の部分を、少し長くなりますが、これまでの米中関係の解説に充てたいと思います。今の米中対立の前には40年にわたる米中の良好な関係があり、中国との関係に前向きなアメリカの姿勢のもとで中国は成長しました。何が変わったのか、それを理解するためにお付き合いください。そのあとに、このディベートの読み方、討論者4名について、といった順序で解説を加えていきます。
米中関係の現状を「経済」「安全保障」「イデオロギー」の3層で考える
まず、ひと口に米中関係といっても漠然としすぎているので、問題を理解しやすくするために米中関係を「経済」「安全保障」「イデオロギー」の3層に分けて考えるとより把握しやすくなります。3層のうち一番上の、最も表立って報道され話題になるのが「経済」の層。トランプ大統領が主張する巨額の貿易赤字や両国が応酬する関税などの話がこれにあたります。1979年に国交正常化を達成した後、アメリカの産業界は中国経済に大きく期待を寄せ、投資を行ってきました。アメリカは中国経済に生産、消費の両面で依存するようになってきました。しかし膨れ上がった貿易赤字、また中国経済の抱える問題にトランプ政権が強い関心を示し、いわゆる「貿易戦争」を始めました。
次の2番目の層が「安全保障」関連。東シナ海、南シナ海へと拡大する海洋進出や、核・ミサイル開発に加えサイバー空間、宇宙領域へと広がる人民解放軍の能力が、世界における米軍の活動を制約するのではないか、そういった懸念は過去10年ほど高まってきました。2000年代は中国の国防予算の急速な伸びや不透明さ、また台湾問題への関心が強く、またテロとの戦いでの米中協力もありましたが、この10年で中国はかなり具体的に世界戦略の課題として議論されるようになりました。
現在の議論の特徴として、技術への注目があります。「5G通信網でファーウェイを使えば情報が漏れてしまう」、「先端技術で中国が先を行ってしまえば軍事的優位が損なわれる」といったことがよく言われるようになりました。これに関係する技術流出や知的財産権の侵害は、もちろん経済活動ですので米中貿易協議でも議論されてきましたが、背景にある問題意識は純粋な経済問題というよりは安全保障であり、アメリカという国家のパワーの卓越性を維持しなければならない、という視点です。
そして一番下の3層目に、最も根深い、イデオロギーの問題があります。この問題の典型的な例が、共産党一党独裁体制の下、「権威主義のまま経済成長し、さらに世界において政治的影響力を増大させる中国」に対するアメリカの警戒です。
従来、戦後世界においては、経済発展と民主主義、または資本主義と自由化というのは並行して起こる、という強い前提が共有されていました。経済成長が民主化と自由化を引き起こすと考えられていて、一人当たりGDPが何千ドルを超えたら民主化が起こる、というような議論を皆がしてきた。ところが、その大前提をくつがえす「権威主義のまま経済成長する中国モデル」が出てきた。さらに中国は国内のみならず、市民生活を監視と管理の下で運用していく技術を外国にも提供し始めた。となると、中国だけでなく他の国にも、こうした「権威主義のまま経済成長する」体制が今後出来てくるのではないか。さらに経済力を背景に、米欧はじめ民主主義社会の内部にも入り込んで、影響力を振るってくるのではないか。こういった点に関する警戒感、感情的に許せないという気持ちがあり、これが中国に対する漠とした不安の、根深い部分を構成しています。
これら3層について、たとえば米国第一を掲げるトランプ大統領とその周辺は一番上の経済の層、とりわけ貿易赤字の解消ばかりを気にかけます。軍や専門家は2つめの安全保障の層を一番気にしています。議会やメディアは、3層目に属する、中国における人権問題や少数民族問題に関心を寄せてきました。またこれも3層目に属するものですが、習近平政権の強権化や国家主席の任期撤廃を受けて、最近は専門家も含め、中国の政治体制そのものに対する問題意識が強まっています。国交正常化後40年の米中関係において、これら3層すべてに懸念が同時に出ていることは珍しく、それが現在の厳しい対中姿勢を作り出しているともいえます。このディベートでも、マクマスターの発言には、それぞれの層にある問題意識が上手く表現されています。
現状に至るまでの経緯
では現状に至るにあたっての、ターニング・ポイントはいつだったか? 大きなターニング・ポイントは、2017年12月から始まります。
ドナルド・トランプがアメリカ大統領に就任したのが2017年1月。同年12月、トランプ政権は国家安全保障戦略(NSS)を公表し、翌月には国家防衛戦略(NDS)も一部を公開します。これらの中で、政権として初めて公式に中国との「競争(competition)」を、または中国はロシアと並ぶ「競争相手(competitor)」であるという考えを、明らかにしました。そしてこの2017年末から翌18年にかけて、ものすごい勢いでアメリカの対中国強硬論が登場し、ありとあらゆる政策を見直して、1970年代以来の非常に強固な対中政策基本方針であった「関与(engagement)」をくつがえそうとしてきた、というのがこの間の流れです(「関与」政策についてより詳しくは後述します)。
ここで2017年以降の主な出来事を、アメリカ側の動きを中心に、年表形式で示しておきます。
▼2017年
1月 ドナルド・トランプ、米国大統領に就任
12月 トランプ政権、国家安全保障戦略(NSS)を公表。対中政策に関して、政権として初めて公式に「競争」という言葉を使用
▼2018年
1月 トランプ政権、国家防衛戦略(NDS)の一部を公開。対中政策に関して「競争」という言葉を使用
3月 トランプ政権、通商法301条による調査を終え、関税賦課による対中制裁措置の発動を決定
6月 マティス国防長官(当時)、中国による南シナ海での人工島建設とその軍事拠点化を非難
7月 対中関税引き上げ第1弾(8月に第2弾、9月と翌19年5月の2回に分けて第3弾。中国もその都度報復)
9月 アメリカで国防授権法(マケイン法)が成立。中国に対する輸出管理や投資制限などの枠組みができあがる
10月 ペンス副大統領が演説。「アメリカは(中国のWTO加盟によって)経済、政治面で中国が自由になり(中略)人権の擁護につながることを望んでいた。しかし希望がかなうことはなかった。鄧小平の『改革・開放』は口先の約束にすぎなかった」という一節に示されるような、アメリカの対中強硬論の典型的なものと同趣旨の演説
11月 大手ホテルチェーン「マリオット」が、ハッカー攻撃により最大5億人の個人情報が流出した可能性があると公表
12月 ファーウェイ社の最高幹部がイラン制裁違反を理由にカナダで拘束される
▼2019年
5月 この月以降、ファーウェイ社とその関連企業がエンティティーリスト(安保上の懸念企業リスト)に掲載される。同年8月にはファーウェイ、ZTEなど中国企業5社の機器を利用している製品などの政府機関の取引禁止が施行される
6月 対中関税引き上げ第4弾(同年9月と12月の、計3回に分けて。中国もその都度報復)
米国国防総省、インド太平洋戦略を公表
8月 米国、中国を為替操作国に認定
11月 米国国務省、インド太平洋ビジョンを公表
香港人権・民主主義法成立
12月 米中貿易協議は第一段階で合意、中国の為替操作国認定は解除へ
なぜ2017年から急に強硬になったのか?──中国が下地を作り、トランプが水門を開いた
ではなぜ、2017年末から18年という時期に、アメリカの対中政策が大きく変わったのか?
その原因となった主要な要素として、2つのことを挙げられるでしょう。
一つは、中国側が作った下地です。2008年前後から南シナ海では領有権問題を抱える相手国への高圧的な姿勢が目立つようになり、2010年以降は尖閣諸島に関連して日本にも強引な外交姿勢をとります。周辺国の警戒心はアメリカにも共有され、オバマ政権はアジアへのリバランスを唱えるようになります。そして2012年に習近平が中国共産党大会で党を指導する総書記になり、翌2013年の全国人民代表大会で中国の元首である国家主席に就任すると、上海で行われた第4回アジア相互協力信頼醸成措置会議での習近平発言や一帯一路構想によって、中国が国際秩序を自ら作り直そうとしていることにも懸念がもたれるようになります。2014年以降は南シナ海での人工島建設、そしてその軍事拠点化、大規模なサイバー攻撃(ディベートにもあるように連邦政府人事局からは2000万人分以上のデータが窃取されています)によって、アメリカでの警戒は高まりました。またこれは若干細かいことですが、ロシアにならって海外の非政府団体が入ってくるのを取り締まる海外NGO管理法も作りました。アメリカやヨーロッパのさまざまなNGOの活動を全部制限するわけですが、これはアメリカの専門家には大きな制約になり、強い批判を招きます。
習近平体制のもと、中国国内の政治体制も強権化していることは明らかでした。2015年に成立した国家安全法は社会統制の強化を印象付けます。アメリカ側からすると、中国に対するイデオロギー的な警戒心、安全保障上の具体的な懸念、国際秩序の脅威となるという懸念、こうしたものがどんどん高まっていく。これが、トランプが大統領に就任する(2017年1月)前の段階です。
またこれはトランプ政権になってからのことですが、2018年に中国の国会に相当する全国人民代表大会が、従来「2期10年まで」とされてきた国家主席の任期を撤廃する憲法改正案を採択します。実質的には習近平が自分自身の国家主席の任期を撤廃したということで、これも中国共産党体制に対する違和感を強めることになります。
トランプ大統領のキャラクターがあまりに衝撃的なので、オバマ政権〔2009年1月~2017年1月〕の時期の中国政治外交の変化を見逃してしまいがちですが、成長した中国が国内外において強い対応をするようになったことが、アメリカや周辺国の対応を作っているところがあるわけです。中国はリーマンショック後のアメリカを見て、過剰な自信を持つようになり、そのことも背景にありました。ただし、こうした中国の動きに対するオバマ政権の対応は、後に述べる関与政策の範疇を超えるものではありませんでした。
そこで、もうひとつの主要な要素が登場します。私がよく使っている表現ですが、「トランプが水門を開いた」ということです。
中国の内外における強権化によって、アメリカ側の中国観は徐々に変わっていました。中国は経済成長したにもかかわらず、米欧と手を携えた国際協力にあまり貢献していないのではないか。民主化することも当面ないのではないか。中国政府の強権化する行動を説得して変えていくことにも期待はもてないのではないか。さらに、「中国製造2025」にみられるように技術立国を目指す中国はアメリカを経済、軍事の両面で追い越してしまうのではないか。アジアや世界の多くの国は徐々に中国にすり寄っているのではないか。アメリカの議論には焦燥感が生じていました。しかし一方で、米中関係を管理しておこう、安定させておこうという外交方針はなかなか強固で、この方針に反することは容易には実現しませんでした。
ところがそこにトランプが登場して、「アメリカ・ファースト(米国第一)」「貿易戦争」という看板を掲げ、「中国をたたいていい」という雰囲気を作るわけです。トランプが率いるホワイトハウスが動く。それは貿易赤字はじめ米中経済問題を念頭にしたものでしたが、それがきっかけで皆が中国をたたいていいのだという雰囲気が強く出てきた。中国の政治体制、技術覇権を目指した政策、戦後秩序に反するような外交方針への不満の渦は貯まっていた。そうした状況でトランプが水門を開き、それまでに貯まっていた水を一挙に開放し、その流れの中で、アメリカ側の漠とした不安が形をなしたような政策が打ち出されてきた、ということです。議員や官僚のなかにいた対中強硬論者は、今、まさに水を得た魚のように振る舞っています。
このように、中国側が下地を作ったことと、トランプが水門を開いたこと、この2つが、2017年末から18年にかけてのアメリカの対中政策の大変な変化をもたらした主要因だと言えるでしょう。19年にかけても、その勢いが維持されました。
さらにこれら2つの主要因には及ばないものの、新疆ウイグル自治区などにおける人権侵害も対中強硬論を支えてきました。従来、アメリカでは人権問題は強い影響を及ぼしそうに見えて、実はポリティカル・モメンタム(政治的な勢い)を作る要素としてはいまひとつ弱いものでした。しかし、中国の政治外交への違和感が高まっていたこの時期に重なることで、人権問題は注目されることになります。
プロフィール
佐橋 亮(さはし・りょう)
東京大学東洋文化研究所 准教授。国際政治学者。専門は米中関係、アメリカと東アジア、アジア太平洋の安全保障秩序と制度。著書に『共存の模索:アメリカと「2つの中国」の冷戦史』(勁草書房)、編著に『冷戦後の東アジア秩序:秩序形成をめぐる各国の構想』(勁草書房)。訳書にアーロン・フリードバーグ『支配への競争:米中対立の構図とアジアの将来』(日本評論社)。論文は日本語、英語、中国語にて多数。日本台湾学会賞などを受賞。 *Twitterアカウントはこちら
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