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【60ページ分を無料公開:第6回】書籍『中国はリベラルな国際秩序に対する脅威か?』より。佐橋亮・東大准教授による長文解説[中編]

書籍『CHINA AND THE WEST 中国はリベラルな国際秩序に対する脅威か?』の60ページ分を公開する本企画。今回は、連載全7回のうちの、第6回目です。前回の[解説・前編]に続く、[解説・中編]となります。
*連載第1回から読む方はこちらです。


トランプ以前の対中「関与」政策

トランプ政権が打ち出した対中「競争」政策によって、従来の「関与」政策がくつがえされました。では対中関与政策とは何か? 少し時代をさかのぼって解説します。

第二次大戦が終わった4年後の1949年に、中国共産党率いる中華人民共和国が建国されます。翌1950年に始まった朝鮮戦争で米中は戦火を交え、その後も両国は対立を続けます。アメリカは対中禁輸を維持し、両国の外交官は相手国を罵倒し合う、そのような関係です。

その状況に変化が生じるのが1970年代です。1971年に、ニクソン政権で大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャーが秘密訪中して米中接近が始まり、翌72年にニクソン大統領の訪中によって外交関係が樹立される。そして79年に国交が正常化される、という流れです。その背景には中ソ国境紛争の発生、ソ連への牽制、ベトナム戦争といった国際的な背景がありますが、詳細はここでは省きます。

この1970年代から、40年もの間、アメリカが続けてきた対中政策が、関与政策です。

関与政策における「関与」とは、「2国間関係を管理する」ということです。2国間関係を管理して、中国とのパートナーシップを保持した上で世界のさまざまな課題を解決していく。相手は政治体制が違うけれども、関係なく管理しようと、そういう方針が関与政策です。

世間で時に言われる関与政策批判に「中国は民主化しなかった、リベラル化しなかった、だから関与政策は間違いだった」というものがありますが、こうした批判自体、関与政策についての誤解に基づくものです。「関与」とは、「2国間関係を管理する」こと。中国政治が長期的に民主化することへの期待を込めていた人はいましたが、それ以上に安定した関係を保った上で具体的な協力を世界で進めることが目的として重要視されていたのです。

この関与政策ですが、1970年代の米中関係の変化以来、アメリカ側において非常に強固に築きあげられてきました。たとえば1989年に天安門事件が起きました。大量の市民が殺されるという、あからさまな人権侵害を、アメリカはじめ世界は目撃しました。この事件以降、アメリカ議会が自国政府の中国政策に対して注文をつけるようになってきます。ちなみにその時の中心人物がナンシー・ペロシ、今の下院議長ですが、当時彼女と、天安門事件後に中国への帰国を望まなかったハーバード大学等の中国人留学生たちが結びついて大きな政治運動を起こします。こうした人権問題は確かに騒ぎにはなりました。しかし、中国の人権問題を批判して登場したクリントン大統領があっさりと人権問題と貿易(最恵国待遇付与)を切り離したように、関与政策の基盤は根強いものでした。むしろ、天安門事件後に、中国に「関与」するという言葉が、共和党のブッシュ父政権、民主党のクリントン政権から繰り返し使われるようになったのです。

関与政策はなぜ強固だったのか

関与政策が強固であり続けた大きな理由は、アメリカの対中政策が長らく、一定のサークル内の限られた人たちによって牛耳られてきたからです。

一部の人たちがある特定分野の政策を牛耳る構造は日本にもありますが、アメリカでは日本以上により激しく、はっきりとあります。ワシントンで中国に関する政策を牛耳り、強い影響力を行使し続けたのが、ニクソンであり、キッシンジャーであり、ブレジンスキー〔カーター政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官〕でした。彼らとそのブレーンを含む一定のサークル内の人々が、関与政策を強固に維持してきたのです。中国ビジネスに期待を寄せる産業界がそれを強くバックアップします。

強固な関与政策のまさに結実といえるのが、2001年の中国のWTO加盟でした。2001年といえば天安門事件が起きた1989年の12年後です。天安門事件後のこの期間、アメリカ側には中国に対する違和感がずっと残っています。その違和感にもかかわらず、中国に対する期待が高まってゆく。一番大きいのは経済ファクターですが、同時に、中国と協力しないとアジア、ユーラシア大陸における諸問題がうまくいかない。それまではソ連に抵抗するためにチャイナカードを使っていたが、今やソ連との冷戦は終わり、そういう状況ではない。そこで「中国は経済的に期待できる。中国とパートナーシップを結べばいろいろなことがうまくいくだろう」と、そういうストーリーを作って、違和感があるにも関わらず中国との関係を進めていく。こうした動きを背後から推進していたのが関与派です。

そもそも、80~90年代にかけては、中国の国力はまだ低かったわけです。中国を恐れる要素はなく、アメリカ側が中国を活用すればよいという考えだった。そのような考えに沿って、2001年の中国WTO加盟まで、一気に進んでいったのです。そしてディベートでも王、マブバニが言っているように、経済成長の下、中国大陸での生活は一気に変わるようになります。

強固な関与政策がなぜ崩れたのか

関与政策は中国のWTO加盟に結実します。ところが、中国の存在感・影響力が増すにつれて、中国問題を牛耳るサークルの外にいる人たちが、もう中国を放ってはおけないということで、新規参入してくる。

たとえば国防総省です。20年ほど前から一部の戦略家がものすごい勢いで中国のことを勉強しはじめていました。しかし、米軍や軍事政策に関係する専門家たちが米軍を脅かす存在だと中国をとらえ、真正面から問題にしはじめたのは、基本的にはこの10年ほどのことです。一気に参入し、自分たち独自の中国戦略、さらにアジア政策を主張し始めた。

これまでヨーロッパしか扱っていなかった人も、中国は国際秩序に対する大問題だと言って参入してきた。今のアメリカの中国政策分野には、新規参入組が山のようにいるのです。米中が普通の2か国間関係ではなくなってしまった、世界の超大国同士の関係になってしまったので、従来の、ほとんどの人が中国語を話せる中国問題サークルという境界を踏み越えて、軍事専門家、他の地域をやっていた人、世界全体を見回して物事を考えていた人など、とにかく全部が参入してきた。従来のように中国をやったら儲かるという人だけでなく、中国が世界戦略の最重要課題になりつつある、中国をやらないと政治・政策の世界で出世できないと考える人が増えた。

そうなると、「関与って何だ?」という話になってくるわけです。何があっても対中関係を管理しないといけないというが、その前提は正しいのか、関与が自己目的化しているのではないか、アメリカの政策の目的は別のところにある、と新規参入組がすごい勢いで攻撃をし始めて、従来の中国問題サークル内の限られた人によって牛耳られてきた関与政策がついに崩壊したと、そういういうことになります。

そして今、関与政策に対する否定的な発言をする専門家が主流になりました。中国のWTO加盟自体が間違っていたと否定する人も結構いて、特に経済分野の関係者に多いです。本書の中でも、マクマスターやピルズベリーの発言には、関与政策が強い中国を作り上げてしまったことに対する反省を含むものが多々あります。かつては中国の政治体制には違和感を感じながらも、政策としては関与を軸に将来に期待する、必要な備えはしておくという発想が主流でしたが、今は中国の政治体制のあり方も関与政策も否定し、競争と圧力を重視する方が多くなりました。

「関与と支援」から「競争と分離」へ

さて、「関与」がアメリカの“論調”だった時、それは「支援」という“政策”とセットになっていました。アメリカは、中国の近代化のために、多額の金銭的な支援を行い、また大量の科学者や留学生を中国から受け入れて支援してきました。なおかつ冷戦の文脈で軍事、情報に関する協力もしています。「暗黙の同盟国」という表現が使われていた時期もあったほどです。ただ冷戦が終わる頃になると、ソ連という主要敵、想定されていたものがなくなってしまいます。

それでも「関与と支援」という枠組みのなかで、たとえば1995~96年の第3次台湾海峡危機、99年のベオグラードの中国大使館爆撃も乗り越えられましたし、そして何より2001年に中国のWTO加盟を実現させました。

その「関与と支援」が今は、「競争」という“論調”と、中国に「圧力」を加えよう、必要であれば中国との経済社会関係を部分的であっても「分離」しようという“政策”のセットにシフトしているわけです。

 関与(論調)と支援(政策)
  ↓
 競争(論調)と分離(政策)


アメリカの対中批判にはおかしなところもある

ディベートを読むと気づきますが、中国側の論者のマブバニや王は、中国はそれなりに変わってきているという主張をしています。一方、ピルズベリーやマクマスターなどアメリカ側の、ワシントンの人たちは、中国の人々はスマホを使って最新のサービスや派手な文化を享受して楽しそうに生きているけれど、それでも民主化しないじゃないか、そして国際秩序に挑戦をはじめているではないか、というように考えています。しかし実際のところ、中国が豊かになり人々の生活が改善し、社会も様変わりしたことは確かな事実です。中国が経済成長すれば同時に民主化するというのはアメリカ側の期待であったに過ぎません。これは一方的な批判だと感じます。

アメリカという国は、他の国のことをものすごく調べて勉強して、中国政策、日本政策、アジア政策などを組むわけですが、アメリカ的な価値観というプリズムを通して考えるところも強い。賢明な読者の皆さんは、ピルズベリーやマクマスターの発言を読んで、決めつけが強いと感じるところも多々あると思います。

それでも一番重要なのは「アメリカが政策を変えた」という現実を見ること

しかし本書を読み、世界情勢について考える、その時、一番重要なことは、「アメリカが政策を変えた」という現実を見ることです。傍(はた)から見ていていかに不公平だったり、アメリカの中国に対する見方が甘かったりしても、それでもアメリカは変わりました。それは世界にとってものすごくインパクトがあるのです。マクマスターやピルズベリーに代表されるようなワシントンの考え方は視野が狭い、と批判したところで意味はありません。マクマスターやピルズベリーのような考えがアメリカの政策と表裏一体の関係にあり、アメリカは変わる。我々はアメリカが変わることを止められません。アメリカ外交というのは、これまでの外交史を見ても、国内のさまざまな議論や、他国に対する見方によって形成されるものです。そのアメリカの対中政策が、「関与と支援」から「競争と分離」に変わった。 米中関係の安定よりも圧力を重視するようになった。この状況はアメリカ自身のロジックで動いているのであって、間違いだったとしても、そういうものだと思って観察し、だからこそ日本はどう振る舞うべきなのか、アメリカ国内の議論や世界の論調にどう影響を与えるべきかと考えなくてはいけません。

「現実を単純化しすぎた見解」「願望に基づく規範的な見解」に要注意

同時に私たちは、メディアを通じて接する見方の多くが、現実を単純化し過ぎていることにも気を付けなくてはいけません。アメリカの中国政策が一気に進むとか、中国経済をすべて分離するとか、そこまですぐに結論を出すのはよろしくない。なぜかというと、アメリカ人も、日本で語っている評論家の多くもそうですが、こうあるべきだという規範的な意見を述べる人がとても多い。たとえば中国をたたきつぶすべきだという自分の願望・考えが根底にあって、その考えに沿う形で、「アメリカは冷戦になっても、グローバル化を破壊してでも、中国経済を破壊してでも中国を追い詰めていく」という趣旨のことを述べる人もいます。しかし、アメリカの中でも産業界を含めて様々な議論があるわけです。アメリカの中の議論をちゃんと見ておかないといけない。ところがこれを一方的に、「アメリカはもう決めたんだよ、冷戦になったんだよ」などと言うのは間違いです。

アメリカは民主的な国で、アメリカの中の議論の衝突で政策ができていきます。また今後、大統領選挙もあります。ですので、まだわからないのです。今までの関与政策の前提やコンセンサスは、確かに崩れました。米中関係は、貿易協議・第一段階で悪化傾向に小休止がみられましたが、新型コロナウイルスの感染が両国、そして世界に拡大する中、トランプ政権と中国の批判合戦となり、ふたたび関係を悪化させています。しかし、大統領選挙を経て、今後どうなるかは国内議論や政治動向によってまだまだ変わる余地があるので、結論を急いではいけません。今後の米中関係については、解説の最後で改めて扱います。

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プロフィール

佐橋 亮(さはし・りょう)
東京大学東洋文化研究所 准教授。国際政治学者。専門は米中関係、アメリカと東アジア、アジア太平洋の安全保障秩序と制度。著書に『共存の模索:アメリカと「2つの中国」の冷戦史』(勁草書房)、編著に『冷戦後の東アジア秩序:秩序形成をめぐる各国の構想』(勁草書房)。訳書にアーロン・フリードバーグ『支配への競争:米中対立の構図とアジアの将来』(日本評論社)。論文は日本語、英語、中国語にて多数。日本台湾学会賞などを受賞。 *Twitterアカウントはこちら




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