【60ページ分を無料公開:第7回】書籍『中国はリベラルな国際秩序に対する脅威か?』より。佐橋亮・東大准教授による長文解説[後編]
マクマスターは、今のアメリカ対中戦略の主流を体現
さて、ディベーター4名について、少し解説しておきましょう。
(Image credit: ▷マイケル・ピルズベリー=Hudson Institute, Flickr. ▷キショール・マブバニ=mahbubani.net/ ▷王輝耀=securityconference.org/)
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マクマスターは米陸軍の頭脳派、知識人的な軍人です。ベトナム戦争に関する著作もあり、将来を嘱望されていました。トランプ政権では、国家安全保障問題の大統領補佐官に任じられました。任じられている間、彼は北朝鮮への限定軍事攻撃を主張したことで知られますが、中国に関しては先に触れた「国家安全保障戦略(NSS)」などを策定し、中国政策を転換させていく時期にホワイトハウスで外交安全保障の司令塔を務めていたということになります。1年程度で大統領補佐官を離任し、現在はハドソン研究所に籍をおいています。マクマスターは中国政策そのものを長く扱ってきたわけではないですが、政権の中枢で安全保障政策をコントロールしていた経験があることに加え、軍の考え方を非常によく理解している人です。その意味で、今のアメリカの中国戦略の主流の考え方を体現していると言って差し支えないと思います。中国の政治体制への違和感を強め、そしてアメリカの世界における地位に対する中国の挑戦に立ち向かわなければいけないという政策を好むマクマスター的な世界観が、今のアメリカ、ワシントンの雰囲気を代表していると言っていいでしょう。
ピルズベリーは「異端」。だが、ワシントン全体の右傾化によって中心的人物に
一方、ピルズベリーはもともとは対中政策グループの一員であり、80年代から様々な仕事をしてきた人です。2015年に“The Hundred-year Marathon”(邦訳:『China 2049 秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」』日経BP社)を出して、それまでの自分の中国との関係や見方を反省したということになっています。
ピルズベリーについて重要なのは、彼の評価が、2015年に本が出た当初に比べるとどんどん高まって今に至っているという点です。原著“The Hundred-year Marathon”が出た時、ワシントンの中での評価は「異端」でした。ワシントンの専門家の大多数が、「あの本は極論だ」と言っていました。2015年のアメリカはオバマ政権です。今の対中強硬論とは違いますが、それでもサイバー攻撃や南シナ海の話が既にあり、中国のミサイル戦略がこのまま進めば米海軍の空母が自由に動けなくなるという問題意識が強くありました。中国の話を真剣に議論している時期でした。その時ですら、ピルズベリーの本は極端な議論とみなされていました。
日本では邦訳版がかなり売れたと聞いています。ですからあえてこの点を書いておきたいのです。ピルズベリーの中国批判は最初から評価されていたわけではありません。ところが本が出た後、ピルズベリーを取り巻くアメリカの政治環境の方が変わっていくのです。アメリカの雰囲気が対中強硬に変わり、いわば右ブレしたことで、ピルズベリーの議論に光が当たってきます。トランプ大統領との距離も近いといわれており、今や「ニューヨーク・タイムズ」紙や「ワシントン・ポスト」紙が、トランプ大統領のアドバイザーとしてピルズベリーを紹介しています。ピルズベリーは変わっていません。世間の判断軸がぶれた結果、ピルズベリーがメインストリームに近い場所に来たということです。なお、ピルズベリー以上に保守的な対中強硬論も最近では存在しています。
マクマスターの考え方は「政策的」。ピルズベリーの考え方は「規範的」
注意すべきなのは、ピルズベリーの考え方が「規範的」であることです。本書を読む際に気を付けているとわかりますが、マクマスターは、「今、中国がどう振る舞っているか、どういう風にしようとしているか」、その現実の部分を問題にしています。非常に「政策的」なのですね。一方、ピルズベリーは、これまでの中国の振る舞いも含めて、中国の隠れた計画を明るみにしたい、暴露したいという、著書にも見られた問題意識をそのまま持って発言しています。非常に「規範的」で、中国国内の「タカ派」を強調する言い方は一歩間違うと陰謀論になってしまうような危うさも含んでいます。とはいえ、(天安門事件後も)中国は次世代の指導者に導かれれば変わると信じていたが実際にはそうならなかった、というピルズベリーの自省の弁は多くのアメリカ人専門家、政治家が共有しているものです。
マブバニは、世界の中にある、アメリカの対中強硬策に関する不満を表現
マブバニは、日本ではあまり知られていませんが、国際論壇を代表する知識人の一人です。経歴的には、シンガポールの外交官、最後は国連大使を務めた人ですが、きわめて頭脳明晰、そして歯に衣着せぬ発言で知られ、世界の主要メディアや国際会議において非常に強い存在感がある人物です。ちなみに、インド系シンガポール人で、移民2世にあたります。
著作も多く、何冊か邦訳もされています。著作中でも述べている彼の基本的な主張は、新興国の成長は社会の前進を示しているのだと、非西欧世界の成長を私たちはまず歓迎しなくてはいけないのだと。たとえばトイレの普及に見られるように公衆衛生は改善し、乳幼児の死亡率は下がっているじゃないか、所得も上がっているではないか、世界の生活水準の改善は掛け値なく喜ばしいことだという主張です。
とはいえ非西欧世界の成長を西欧世界は決して歓迎していない──これがマブバニの言っているもう一つのことです。例を挙げると、国際機関、たとえばIMF、世界銀行を見てくださいと。結局トップは西欧が手放さないじゃないか、と。実際そうですよね。IMFはヨーロッパ系、世界銀行はアメリカ系などと、非常にわかりやすく決まっているわけです。「非西欧世界の台頭を西欧世界は歓迎していない、そしてこれからもしないだろう。これは問題である」──これがマブバニの元々の立場で、このディベートの中でも存分にその主張を展開しています。
米中問題に関していえば、マブバニが言いたいのは、アメリカは冷静さを失っているということです。彼は中国の問題を無視しているわけではなく、中国を見るときには正しく恐れて正しくアプローチすることが重要だと言っています。正しいアプローチとは主権とルールに基づいた多国間主義であり、そのために国連やグローバルガバナンスを使うべきだと言っています。
加えてマブバニがもう一つ言っているのは、中国が進歩してきたことを評価しないとフェアではないということで、これがマブバニの立ち位置を端的に表しています。
マブバニが表現しているのは、世界の中にある、アメリカの対中強硬策に関する不満です。司会のグリフィスも、アメリカは国際秩序ではなく国益を守りたいだけではないかとマクマスターに問いかけていますが〔書籍版20ページ〕、確かに世界にはアメリカの政策が自国のためのものではないか、グローバル化から恩恵を受けてきた国際秩序をむしろ足止めさせてしまうのではないかと懸念する論調があります。マブバニが表現している不満の中身は、日本やヨーロッパ、オーストラリアがアメリカの対中政策に対してもっている違和感とは微妙に違うところがありますが、重なる部分も多くあります。今のアメリカの対中強硬策を、ものすごく上品な言い方で、ロジックを立てて批判しているわけです。
王輝耀は、ザ・中国
王輝耀(ワン・フイヤオ)は、自らの政策シンクタンクを主宰していますが、同時に、これまで中国政府の役職を歴任し、現在も兼職している人物です。王輝耀の発言は、大筋では、今の中国政府の言い分とかなり近いものです。中国の今の対話の仕方はまさにこうなんです。アメリカの対中姿勢は変わってしまったけれど、短期的にはうまく言いくるめておこう、米中関係を安定させておこう、ただ長期的には米中のイデオロギー対決に備えよう、と。この今の中国の方針、対話の仕方をまさに代弁しているかのようにみえるのが王輝耀で、ある種プロパガンダだと思われてもいいから中国の良い部分、前進している部分をとにかく繰り返し主張して取り繕う。しかも彼は、自分の役割をしっかり自覚していて、割り切って意図的にそうしているわけです。
彼はワンメッセージを繰り返しているだけですが、ただ、彼の発言に含まれる事実は事実として受け止める必要はあります。中国社会が変わってきたのは事実ですし、中国がグローバルな世界の一部というのも事実です。
また彼の発言の中で非常に重要なのが、中国など非西欧系の台頭、成長を潰そうとする動きがあるのではないか、そしてその背後には人種差別があるのではないか、という主張です〔書籍版70ページ〕。これについては実際に、裏付けるような発言がアメリカ政府や有識者から出てくる時もあります。
プロフィール
佐橋 亮(さはし・りょう)
東京大学東洋文化研究所 准教授。国際政治学者。専門は米中関係、アメリカと東アジア、アジア太平洋の安全保障秩序と制度。著書に『共存の模索:アメリカと「2つの中国」の冷戦史』(勁草書房)、編著に『冷戦後の東アジア秩序:秩序形成をめぐる各国の構想』(勁草書房)。訳書にアーロン・フリードバーグ『支配への競争:米中対立の構図とアジアの将来』(日本評論社)。論文は日本語、英語、中国語にて多数。日本台湾学会賞などを受賞。 *Twitterアカウントはこちら