無職は悟れるか
20歳くらいのころ、引きこもって哲学書や教養書を読み漁っていた時期がある。社会でやっていくための世界観を固めたかった。言ってみれば悟りたかったのだ。
後に大学院入れたから、まあ全くの無駄ではなかったのだけど。
しかし社会でやっていく強さを得るという点では、無駄だったと思う。
理由はリソースやしがらみを考えなくて良かったことだ。
時間やお金やその他資源といった利用可能なリソースや人間関係のしがらみを考えず、方針や行動を構想しても強くはなれない。
働きながら、限られたエネルギーと時間で知見を得ることと、無職で好きなように読書するのでは違いがある。好きなように考えられるほど世界観が先鋭化し、社会との折り合いはつけにくくなってしまった。
したがって永久に無職でいられるなら「悟り」に到達できるかもしれない。主観からあまり遠くまで出かけずに済むならば。
だが再び労働をするなら、無職中に「確証バイアス」(自分の価値観に適合する情報を集めがちな事)を強める営みは、かえって社会復帰したとき挫折を招く可能性が高いだろう。
もちろん無職中に即戦力になる資格勉強などに打ち込むことは、この限りではないだろう多分。
それはそれとして、1年くらい休んで好きなだけ読書をしたい。
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