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#204 「当たり前」に感謝を
誰かと出会ったときは全てが真新しくて、煌びやかに映るもの。
だけど長い年月が経ってくると、それらの存在が当たり前になり、その輝きは失せてしまうものだ。
いや、失せているわけではない。
人間というのは、いかなる輝きにも慣れてしまうのだろう。
どんな輝きも時が経てば、いつかは当たり前になるのだ。
だが、そんな「当たり前」をいつまでもありがたく思う心は大切だ。
それを、とある老夫婦から教えてもらった。
「ありがとう」にほっこり
昨日は2か月に1度の腎臓内科への通院日。
この2か月は……やや不摂生だった。
年末年始にたくさん食べ、たくさん呑んだ。
また先日まで図書館では図書の点検期間だった。図書点検では身体をたくさん使うのでそれをいいことに、ブラックサンダーを爆食いしてしまった。
検査結果……悪くなっているだろうなぁ……。
そんな不安を抱えながら検査を終え、診察室の前の席で処刑を待つ囚人のような気持ちで診察番号が呼ばれるのを待っていた。
すると、僕の隣に老夫婦がやってきた。
患者は旦那さんの方なのだろう。杖をつきよろよろと僕の隣の席に座ろうとするのを、奥さんが介助している。
やっとこさ旦那さんが席に着くと、しきりに奥さんへこう言った。
「ああ、助かる。ありがとう、ありがとう」
それを聞いたとき、どんよりとした僕の心に清涼な風が吹いた心地がした。
ああ、なんか、いいな。
ごくごく当たり前なことなんだけど、長く連れ添った夫婦間に感謝があるのって、なんかいいな。
「ありがとう」をいただいてほっこり
僕がほっこりしていると、どうも老夫婦がまごついている。
どうしたのだろうと一瞥すると、老夫婦は荷物の置き場に困っていた。
僕らが座っているのは三人一脚の椅子。荷物は床に置くしかない。
どこかへ行ってきたのか、それともこれからどこかへ行くのか。病院に来るにしては、老夫婦の荷物は多かった。
いくら奥さんが元気とはいえ、床に置いた荷物を取るのは大変だろう。
僕は席を立ち、
「別の席に移るので、ここに荷物をどうぞ」
と伝えた。
すると、老夫婦は満面の笑顔で、
「ああ、助かります。どうもありがとう」
と言ってくれた。
ああ、なんか、すごくいいな。
誰に対しても当たり前なことに感謝できるって、なんて素敵なんだろう。
その後も老夫婦は椅子に座りながら、互いを支え合っていた。
旦那さんが「大丈夫? 暑くないかい?」と尋ねると、
奥さんは「大丈夫、ありがとう」と応えていた。
旦那さんが水を飲むためにマスクを取ろうとすると、
奥さんがマスクを取ってあげ、やはり旦那さんは「ありがとう」と言った。
「ありがとう」を聞いているうちに、僕の心から不安は霧散していた。
「当たり前」に感謝すること
きっと今までの長い人生、この老夫婦はそうやって当たり前なことに感謝をしながら、互いを支え合ってきたのだろう。
長くいればいるほど、そういうのってなくなってくる気がする。
そこに照れが生まれてくるのかもしれない。
だけど、やはり伝えなくてはわからないことはたくさんある。
一緒にいて当たり前。何かやってもらって当たり前。
そう思わずに、日常に転がる「当たり前」に感謝することが、人生においても、人間関係においても大切なのだろう。
直接伝えられなかったけれど、この場を借りて伝えたい。
おじいさん、おばあさん。
大切なことを教えてくれて、どうもありがとう。
蛇足だけど余談
ほっこりした心地のまま、僕の診察番号が呼ばれた。
そのときには、「これから節制すればいい」と前向きになっていた。
だが、思わぬ検査結果が告げられた。
「特に血糖値とかコレステロールとかも異常はないし、腎臓の数値もよくなってますね。この調子でやっていきましょう!」
そんな先生の笑顔と言葉に、僕はまたほっこりした。
そして、何より悪い方向にいかなかった自分の身体に、心を込めて感謝するのであった。
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