#35 何点だってあなたは正しい
7月14日、早朝——
立竹落花は、その日の夜にあげるnote記事を考えていた。
ううん……
ううん……
ぶるわぁぁあああああああ!!!
何も思い浮かばない!
一つも執筆が進まない!
少し書けた……ああ、だけどダメだ、うまく書けない!!
苦悶の時間を過ごすこと30分。
結局朝は何を思い浮かばず仕事に向かったのだった……。
ダメダメモード襲来
上の記事で、
「定期的にダメダメモード(何をやってもダメなとき)が来る」と書いた。
昨日はまさにその日だった。
数える必要もないけれど、10日に1度はそういう日が来るのかもしれない。
実際、仕事のパフォーマンスもイマイチだった。
体調も若干悪かったような気もする。
かろうじて夜に記事を書き上げることはできたけれど、
モヤモヤを抱えながら、床に就いたのだった。
100点目指して空回り
朝起きて、コーヒーとともに頭を空っぽにしていたとき、
ふと昨日のモヤモヤの原因を認識することができた。
ああ、昨日の僕は100点を目指しすぎていた……。
換言すれば、完璧主義になっていたのである。
これは多くの人がはまる落とし穴なんじゃないかと思う。
noteは、自由な発信の場だ。
人を傷つけたり、貶めたりしない限りは何を書いていい場所。
その人の書いた文章に正解も不正解も、何点もないのだ。
そこで、100点を目指してしまうとどうなるか。
勝手に自分を不自由にしてしまうのである。
何かを伝えなければならない。
読みやすい文章でなければならない。
面白くなければならない。
文字数は1000~2000字でなければならない。
オチがなければならない。
~しなければならない。
このように考える癖を僕は「マスト思考」と呼んでいる。
(この思考についても、いつか1本の記事にしたい)
この思考が働くときは、100点にこだわっているサインなのだ。
そうすると、自由な場であるはずのnoteが制約だらけの不自由な場になってしまう。
昨日の僕は、noteをそういう場にしてしまったのである。
100点だって15点だって0点だっていい
僕は完璧主義に陥ったときに、ある曲を聴くようにしている。
日本が誇るバンド・Mr.Childrenの1曲である。
「Q」というアルバムに収録されている「CENTER OF UNIVERSE」。
「終わりなき旅」や「HANABI」のように有名ではないけれど、それらに負けず劣らずの大名曲だと僕は思っている。
この曲の中に、こんな一節がある。
歌詞には15点とあるけれど、僕は0点だっていいんじゃないかと思う。
生きていれば、気分が優れない日もダメな日もある。
100点の日があれば、0点の日だってある。
僕はこのnoteで幾度か書いていることがある。
人は、生きているだけで頑張っていると思う。
なので、どんな点数であったって生きているだけで正しい。
それは書く上でも同じだと思う。
書き続けていれば、どんな点数だって構わないのだ。
悩む自分も好きでいたい
100点である必要はないけれど、100点を目指して悩む自分を否定するつもりもない。
昨日、頭を抱えながら文章に向き合う様は、
それだけ本気でいい記事を作りたい、という気持ちの証明でもある。
徹底的に悩み、生みの苦しみを味わい、記事を書く。
自分も含め、そのような過程を経て書き上げた執筆者全員に僕は拍手を送りたい。
同時に、そうやって悩む自分を全力で肯定していきたい。
最後に:マスト思考を解くおススメ記事
昨日から今朝までに、執筆で悩んでいたときに読んで、元気をいただいた記事を紹介させていただきます。
もやもやした僕を救われた気分にしてくれた素敵な記事です。
その文字数、誰が決めた?/Naseka様
本記事に書きましたが、なぜだか文字数にこだわってしまう現象が度々起こってしまうんですよね……!
実際、僕も読まれる記事は1000~2000文字というのをどこかで読んで、それにこだわってしまっていたところがありました。
noteはもっと自由でいい。それを思い出させてくれた素敵な記事です。
素敵な記事をありがとうございました!