この時代に常識は要らない。自分を殺すな。
人の常識。
なぜそのような誰が決めたかも分からないもので人は操られるのだろうか。
これは、人間がまだムラ社会だった頃、農耕が始まった頃に遡る。(バカと無知 橘玲 著から一部引用)
人は社会的な生き物でなければ生きていくことが出来なかった。
仲間はずれはすなわち死を意味した。
だから常識が必要だった。
これは脳にプログラムされているもので、仕方がないものなのだ。
賢い人は、自分が賢いとひけらかしてしまうと仲間はずれにされてしまうのできっとみんなも同じだろう。と下の者に合わせ自分を卑下する事で仲間はずれを逃れた。
一方馬鹿は、自分が馬鹿である事を悟られてしまうと無能だと知られ、同じく仲間はずれにされてしまう。
だから馬鹿は自分が馬鹿であると悟られないように知ったかぶりをかます。
この賢人と馬鹿の行動は人がまだ農耕を始めだした時代に必要な脳のプログラムだったのである。
しかし、現代はどうだろう?
時代は変わり、もう仲間はずれにされようと食いぶちに困ることは無くなった。
1人で生きていけるとまでは言わないが、多少他人に嫌われた程度で命の危険までは及ばないのだ。
であれば、今の時代に常識は必要なのだろうか?
私は、自分を押さえつけ可能性を殺してしまうこと、つまり有害になる事の方が多いと考える。
常識を気にし、周りの目を気にし、人の時間を生きる必要は現代に必要なくなった。
もっと自分を解き放っていい。もっと自己中でいい。自分だけのことを考えてていい。
人になんと言われようが、非常識と言われようが、私は人を(物理的に)傷つけさえしなければ己の道を突き進んでいいと思うのだ。
失敗もするだろう、辛い思いをすることもあるだろう。自分の非力に打ちのめされる時もあるだろう。
けれどそれでいい。
それが全て今の自分の実力だと受け止め、更に突き詰め挑戦していったらいいのだ。
その後になって、もし自分の後ろに誰もいない、孤立したと気づいたら、それからまたやり直せばいいじゃないか。
人生100年時代、やり直すのに遅すぎるなんてことはないのだ。
どんな人生を生きたいですか?
常識を重視し、社会的に生き、自分を押し殺しいつの間にか自分の本音を忘れてしまう生き方がしたい?
それとも、自分に何より正直で、人になんと言われようと突き進み、間違えたらその時やり直す。学ぶ。遠回りかもしれないが全て自分が選んだ!と言いきって、やり切ったと思える人生を生きたいですか?
私は後者を選ぶ。
自分の可能性を、自分で殺したくないから。
自分にだけは、嘘をつきたくないから。
死ぬまで自分を1番に愛してあげたいから。
皆さんは、どんな生き方がいいですか?