見出し画像

地獄の誘発入院②

誘発入院2-3日目

夜中にお腹が痛くなることもなく、朝を迎えました。

よし、今日もがんばるぞ!

と、お腹がすきすきだったので楽しみだった朝ごはん。

‥ちーーーーん。

・ごはん

・2センチ立方体の卵焼き一切れ

・チューブの味噌

・味噌汁

・ほうれん草のお浸し

どれでご飯を食べたら良いのかわからない‥。
お腹空いた‥。

そんな気持ち中、診察室へ。

そして一言

「あー、まだ5センチですね。」

変わってない‥。でもショックな話はこれで終わらなかったのです。

「今日は、バルーンを5センチから10センチに上げますね」

「え」

くぅぅ‥またバルーンか‥。

5センチアップしたバルーンは激痛でしかありませんでした。

ふらふらしながら、陣痛室へ。

今日もまた昨日と同じ1日の始まりです。

憂鬱な気持ちだけど、担当の助産師は昨日と同じ。

その方と1日過ごし、色々お話してとても頼れる方だったので、それだけが救いでした。

が、一つ問題が‥それは

「Rakiさん、内診させてね。ごめんね、私指がすごく太いんだ。だから痛いかも知れない。すぐ終わるから、ごめんね。」

そう、

指が立派でいらっしゃる

んです。

「大丈夫ですよー!」

と言ったものの、めっちゃ痛いんです。

いつも、痛かったり、辛かったりしても、基本我慢できるのですが、思わず声が漏れ出てしまうレベル。

そんな彼女でしたが、本当に優しく辛い時にはさすってくれたりなど、本当に本当に心強い存在でした。

迷惑をかけまいと、受け答えする私にも気づいてくれたり、なんて素敵な人なんだろう、そんな風に思っておりました。

この方が私の誘発分娩を支えてくれた恩人です。

内診が痛いだけ‥。

そんな日々が3日続き、入院3日目の夜。

だんだん悲しい気持ちに苛まれました。

"普通に産まれると思ってた。お腹に傷を作りたくないから絶対帝王切開は嫌で、逆子体操したりもした。体重も大幅には増えないようにした。なんで?産まれてこないの?こんな痛いし、辛いのに全く降りてこないの?なんで?産まれてきたくないの??"

そんな風に思い、就寝しました。

でも、唯一の救いは、子宮口が7センチになっていたこと。医師から、明日はバルーンはいれなくて大丈夫だと思うと言われて、一安心。

バルーンがとにかく入れる時も入れた後も私にとっては苦痛でした。
それさえなければ、お腹の痛みはまだ耐えられる。
そう思っていたのです。

そうして翌日。再び、お腹の満たされない朝ごはんを食べ、診察へ。

「うーん。子宮口6センチだね。バルーンいれるね。」

ん??んんん????縮んでる?
1センチ閉じた???
そしてなんだって?
バルーンを入れるって????

心が少し折れかけました。
思っていたことと違う嫌なことが起きて、しかもダブルで、そして誰にもこの気持ちを素直に打ち明けられず、悶々とした気持ちで居た堪れなくなりました。

そうした気持ちの中バルーンが入ると、身体の力みがより一層増し、さらにバルーン挿入が痛いんです。
周りのありきたりな声かけも腹が立つほど痛くて、仕方ありませんでした。


そんな中、私の心をさらに追い込んだのは、実の親である母でした。
なかなか産まれないことをラインで伝え、退院の日がわからないことを話すと

「え、困るんだけど。再来週の月曜日タイヤ交換の予約してるから、その前に帰ってこないと困る。予約も混んでるから取り直せないし、早く産んで。」

え、なんでそんな風に言うの‥。
自然と涙がこぼれました。

そして、今の状況を対輝くんにも伝えなければなりません。
でも、対輝くんはもともと子供が好きではありませんでした。
なので、

「子育てのことは全部任せるから。あなたの好きなようにしていいよ。俺に聞かれても困るから」

そう言われていた手前、私が産みたいと思って産む命。弱音は吐けません。

対輝くんの反応は

「おけ」

のみ。

周りの子は仕事関係の子が多く、しっかりしていないといけない私。

誰にも話せずに過ごしてました。

そして、みなさんお忘れでしょうが、さらに私を追い込む出来事は、

飲み物問題

自販機が売り切れでお茶もお水も買えない状況。それはまだ続いていたのです。

喉が渇いて切ない気持ち。

甘くないものが飲みたくて悲しい気持ち。

看護師にお願いしたらいいと母に言われても、忙しいことを知っているとそんなことをお願いできない私。

自業自得なのかも知れないけど、まだそんなことで悩んでおりました。

誘発4日目

今日で4日目。

子宮口は開きません。

どんどん体力も無くなっていって、

自分の感覚がわからなくなっておりました。

朝の診察は、友人医師でした。

彼女がいるのがその病院を選んだ理由でした。

その友人から言われた診断。それは

「このままだと、帝王切開にしなければならないかも知れない。誘発は5日間となっていて、40週のうちに赤ちゃんを取り上げるという決まりになっている。(その病院で)だから、今日と明日で様子を見て、決めましょう。」

私が一番恐れていた話でした。
帝王切開だけは、絶対に嫌だと思っていたので、とにかく息子くんに向かって話しかけまくりました。

「お願い。息子くん。もう産まれてきてママにお顔見せてほしいな。早く会いたいよ」

その日の夕方、破水がありました。

破水が確認されたら、培養と採血を出す決まりのため、検査に出しました。


その結果が私の心をポッキリと折りました。

「感染兆候が出てるので、やや緊急で帝王切開が必要。幸い、胎児の心拍も元気でエコー的にも元気だから明日の朝まで待ってみて、それでもこなかったら、帝王切開に切り替える」

ということでした。

ほぼ確定だ‥。もう普通に産むことは2度とできないんだ。(帝王切開の場合、ほとんどが次回以降も選択的帝王切開となる)

涙が止まりませんでした。
自分の思い浮かべていた未来や思いが全ておかしく狂ってしまいました。

でもそれを思っていたのは私だけではありません。
母も、私がそのことを伝えると、やっぱり、タイヤ交換の予約の心配でした。
娘の心より、タイヤ交換。

なんて悲しいんだろう。そんな風に思いました。

それでも夜まだ長いです。もしかしたら奇跡が起きるかも知れない。

そんな期待を込めて、眠りにつきました。

午前3時。

お腹の痛みで目が覚めます。
少し様子を見てみたけれど、痛みが増してきます。ナースコールを押して、伝えたところ、陣痛室へ通されました。
横になり、痛むお腹をさすりながら、息子くんにお話します。

‥気付けば眠りについてしまっておりました‥。
そうです‥。ただのお腹の張りで、本番の陣痛ではありません。

悲しいことに、うんともすんとも言わずに、
帝王切開
の決定がなされてしまいました。

私はこの時点で心どころか身体も疲弊しきっていたのでした。

次回は、
いざ、オペ室へ。そして術後
です。

めちゃめちゃ暗い内容でごめんなさい。

日常生活なったら楽しいことも出てくるのでお楽しみに!

今日もご覧いただきありがとうございました!

今日1日も楽しく過ごせますように!

いいなと思ったら応援しよう!