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まさかの里帰り生活
実家へ
病院から解放。
タイヤ交換を午後に控えた母が、祖母を連れて迎えにきてくれました。
私は、母の予定が狂わないようにとせかせかせかせか、退院準備。
この日はほぼ寝てません。
何より、母を怒らせることだけはしてはならないと思ってるからです。
そんな努力が報われて、スムーズに帰宅。
母も無事、タイヤ交換へ行けました。
でも、問題はここじゃなかった。
退院はしたものの、相変わらず私の熱は38度台。
薬の切れる朝方が、特に悪寒と震えがひどく、それでも息子くんのミルクに起きなければならないので、ガタガタ震えながら起きてました。
息子くんは夜泣きを全くしませんでした。だから寝過ごしてしまうと、母が起こしてくれて、母も気を張っていたんだと思います。
そもそも、母がどんな人なのか、私とどんな関係なのか、改めてお話していきたいと思います。
私と母
私と母は今では仲が良く、毎日電話をしていますが、正直相性は最悪です。
子供の頃から私は母が怖くて仕方ありませんでした。
何をしても怒られる。何をしても褒められない。
私の中に残ってるエピソードはいくつもあるのですが、その中のお話をします。
中学校一年生のときのことです。
私は、小学校卒業までちゃんとした勉強はほぼして来ませんでした。3歳からピアノを習っていたので、ピアノの練習やプール、宿題はやったものの、机に向かって勉強した記憶はありません。
そのかわり、テレビゲームを家族でやってました。
でも、みなさんの思う、楽しいものではありません。
決してやめられないのです。
母はドラクエが好きで、長期の休みは家族みんなドラクエをやります。でも決して途中で辞めてはならないんです。完全クリアまでやります。
また、戦国無双やぷよぷよも、飽きても嫌でもノルマ達成までひたすらやり続けます。寝る間も惜しむほどです。
なので、ピアノが弾けない時間帯はゲームをしてました。
そんな私が小学校を卒業したとき、母が問題集を5冊とルーズリーフ、シャーペンを買ってくれました。そして、ノートの書き方、勉強の仕方を教えてくれました。
「春休みの間に全部終わらせてね」
と、言われて、とりあえずやりました。
でも、教科書もないからわからないし、ただ、覚えるだけ。
そして、迎えたお迎えテスト。
これは小学校の復習。順位なんてこれまで見たことがなかったから、自分がどれくらいなのか、どこが許容範囲なのか全くわかりませんでした。
結果は197人中
17位
私は勝手に、おー!って思って、母に褒められると思い自転車を目一杯漕いで家に向かいました。
「お母さん!お母さん!!!見て!!!!!テストの順位きた!!」
「お!!!見せて見せて!!!そんな自信あるんだぁー!」
「ほい!」
母の顔色が変わったのがわかりました。
「え?どこがいいの?どれのことさしてるの?」
良い順位ではなかったんです。
「ラキちゃん、こんなバカだったの?ダメだわ。勉強しないと。びっくりした。高校受からないわこれなら」
そう言って、その日から勉強をとにかくしました。
なので、中学3年間に流行った音楽は知りません。
ウォークマンで聞いていたのは、父や母が聞いていた、松田聖子やピンクレディー、中山美穂に竹内まりや。
すごく良い曲で聴いていたけれど、学校では話が合いません。
中学になると、大好きだったモー娘。も卒業して、新しい情報はありません。
車で音楽を聴きたくても、
「課題曲聞かなくていいの?余裕だね」
と、ピアノのコンクールの曲を耳から入れないと嫌味を言われるので聞くしかありません。
そんなエピソードが山ほど。
高校に入り、私は祖母の家から通うようになり実家へは土日にしか帰らなくなりました。
そして受験に失敗。
(これらの話はYouTubeでお話しますので、是非見てみてください!)
看護学校へ。
そこもまた、母と折り合いが悪くなり、祖母の家から通いました。この時1年以上母と連絡を取らず、会うこともしてなかったのを覚えてます。
社会人になってからもです。
お正月は仕事を理由に帰らず、喧嘩した時には2年近く連絡を取らなかったこともありました。
理由は、
私のやること全て、否定し、間違いと決めつけ、失敗が当たり前
と言われるからです。
また、冷やかしも多くされます。
それが私には耐えられず、嘘をつくようになり、話さなくなり、近づかなくなったのです。
いつも母の前では息ができませんでした。
今は母も丸くなり、だいぶ良くなったのですが根本は変わりません。
私の夢を応援してくれてるように見えつつ、私が
「稼げるようになったら、2人目欲しいな」
と話すと、
「あー.稼げないからもう無理だね。」
とバッサリ。悪気なく。
そんな言葉一つ一つに傷つけられるんです。
そんな母娘関係。
対輝くんが実家へ
私も退院したと言うことで、対輝くんが実家に泊まりに来ました。
母は張り切ります。
ご飯やもてなしをとにかく張り切ります。
この時の判断をなぜ、私は誤ったのか、そして、なぜ、対輝くんがちゃんと行動しなかったのか、今も悔やまれるし、謎です。
対輝くんが到着し、私は対輝くんに母に立て替えてもらったお金があることを伝えました。
母がそばにいるところで
すると、
「うん、そっか。」
と対輝くんは言いました。
それで終わり。
次に、入院にかかったお金の話になりました。
助成金もあるけど、帝王切開だから三割負担になって、予定よりは安く納められた。
と話すと、
「別に俺の金じゃないし、それはなんでも」
と、言いました。これは、私が入ってる保険からおりるお金のことを言ってます。
これを聞いていた母は、後に大爆発するのです。
対輝くんはお金にうるさいです。若い頃、遊んで失敗したこともあるから、しっかりしてると言うのでしょうか。でも、たしかに時々、いやらしいなと思うくらいケチくさい時があります。
私がお金を生み出さないのも悪いと思うのでふが‥。
ただ、やってもらったことや人からの行為に対して、気付かなかったり感謝の気持ちを持たない人ではないはずなんです。
なのに、この日はそんな態度。
でも、私は対輝くんも怖いんです。母と瓜二つだから。
だから強く言えません。
なので、何も言えずに対輝くんは家へ帰りました。
母、大爆発
対輝くんが帰った直後のことでした。
ドスドスと歩いて、テレビを消して、
「寝な。産後なんだから。何しに来てんの?テレビなんて見てる場合じゃないから」
そう言って、布団の部屋へ追いやられ、ドアを閉められて息子と2人きりになりました。
この時の私はなんで怒られてるのかわからないのです。
ご飯の時は呼ばれる。お風呂は入れる。
でも、息子くんのお風呂はまだ1人でやったことがない。どうしよう‥。
と思ったのですが、キレてしまった母にはもう声をかけられません。
父は優しく普通に接してくれますが、母には逆らえません。
1人でやるしかない。
と、やりました。
それもまた、イケナイ行為でした。
こんな状況が、5日ほど続きました.
熱は下がらない、傷は痛い、身体中痛い。
母はなぜか怒ってる、口も聞いてもらえない、せっかく孫がいるのに邪魔者扱い。
布団の中で涙が止まりませんでした。
対輝くんに相談しました。
理由はわからないけどお母さんがものすごく怒ってて口を聞いてくれない。つらい。
対輝くんは帰ってくることを提案してくれました。その週の木曜日に来る予定だったからそのまま帰るかと。お母さんもずっと気を張ってて疲れたんじゃないかな??と。
娘としては、たとえそうだとしても、出産を終えて、具合の悪い私を追い込む必要はあるのか?とすごく思いましたが。
そんな風に思ってるところに母がやってきました。
「もう帰れば?対輝くんのところに戻りたいんでしょ?次来る時に一緒に帰ったらいい。もういる必要ないしょ。ラキちゃんは弟たちを育ててきたから、大丈夫。全部できるから。対輝くんもいるし、大丈夫でしょう。」
と、言われました。唐突すぎて、何が起きたのかわかりませんでした。でもここで、わかったと言ってはいけないことだけは理解できました。
「いや、帰らないで残る。」
「なんのために???」
そう言って母の思いが爆発しました。言われたセリフを全て覚えてますが、それを思い返して文にすると、私の心がもたなくなってしまうので、母の訴えを箇条書きにします。
・立て替えたと聞いてたのにお礼も言わなかった
・俺の金とか夫婦なのに、全て自分の金のように言って娘にひもじい思いをさせてるのか
・金金いやらしい人だ
・私も、対輝くんをかばってる
・私の家族を対輝くんがバカにしてる
・入院中会いに来ようとしなかった
が大まかな理由です。そのほかにも結婚式を挙げなかったことも再度話にあがりました。
一つ一つ母の誤について説明しましたが、母は泣いて私の話に被せてきます。
しばらくそのやりとりが続き、
「ラキちゃんはお母さんいらないんだよ。息子くんのお風呂も1人で全部できたっしょ。結婚のことも、お母さん彼氏いるのなんて全く知らなくて、急に言われて、ほんとなのかって思ってたら、妊娠したってなって、周りからもそんなのあり得る?ってすごく言われた。あんた方がおかしいって。産後も実家にいるのはなんでかわかる?対輝くんはお母さんにいろいろ教わりなよって言ったけど、違うからね。身体を休めるために帰るんだよ。」
と、言われました。
あなたのせいで休めてない。と思いました。
私は以前、結婚を考えていた彼氏がいて、母に会わせたいと言った時母から
「会いたくない。男の人家に入れたくないんだよね。好きにやって。ラキちゃんに彼氏できても結婚してもうちに連れてこなくていいよ。」
と、言われたことがありました。これは祖母も覚えてます。
また、彼氏ができたと話すと、
「どうせブスでしょ。」
などと、蔑まれてきました。
私はこれらから言えなくなってました。友達はお母さんに相談して楽しそうなのに。
私も話したかったし、いろいろお酒を飲みながら笑いたかった。でも、それが私にはできなくて、結婚を報告してと対輝くんに言われても、できなかったんです。
娘側からしたら、母が30年以上かけて作った私の心の溝なのに、全て私のせいにされた気持ちです。
でも、母を責める言葉で言い返しても良い結果は待ってない。
だから、また、嘘をつくことを選びました。
母が喜ぶ言葉を、母が望んでる言葉を言いました。
「全然1人じゃ育てられないよ。こんな大変だなんて思わなかったもん。ミルクもあげなきゃだし、自分もご飯食べないとだし。まだ母乳だってうまくあげられない。やることがいっぱいで、わからないことがいっぱいだからお母さんがいないとできない。対輝くんはそんなつもりは全く無いと思うよ。いや、無いよ。お金は、私たちはそれぞれ財布が別だから俺の金って表現したんだよ。贅沢させてもらってるし、お母さん方のこともすごくいつも考えてるよ。」
と、永遠に話しました。
正直言えば、1人でなんとかできます。
でも。嘘をつくべきところ。
あと、一つ母に言われたのが
「みんな見に来てくれてるのに、抱っこさせないし」
と、言われました。別に抱っこをさせたく無いわけでは決してなくて、私が子供が好きでは無いので、抱っこを強要されることが嫌だったので別に私から言わなかったのです。
ここまで、気を使わなければならなかったんだ、そう思いました。
さて、今日はこの辺で。
書いてると、涙が溢れてきました。
忘れてたけど、私このとき、辛かったんだ笑
では、
今日は昨日より、もっと楽しい1日でありますように!