#レズビアン自分史 _ver私2024
経緯
フォロワーさんがご自身の人生を言語化されてるのを見て、よいな〜!と思っていた折、タグ作ってくださったフォロワーさんもいらっしゃり、Twitterにて集合知的になっていくのを見て、私も〜!となり……!
自分の歴史を見つめなおして言語化してみるの、楽しそう!というのはもちろんですが、「透明化された存在である」とマサキさんのnoteの中でも語られていた通り、確かに異性同士の恋愛たちに比べたら、やっぱり格段に情報や実例にアクセスしにくい同性同士の恋愛。
もし私が色々と悩んでいた時、「百合コンテンツ」や「ファンタジーの存在」ではなく生身の#レズビアン自分史 さん方に出会えていたら、各位のレズビアン人生のきっかけや多様さや山や谷や楽しさを教えてもらえて、嬉しかったり参考になったり自分を認められるように早くなったりできたかも?
そんな気持ちで、今までの歩みをのんびりと眺めてみます
#レズビアン自分史 _ver私
〜ダイジェスト〜
①幼少期_男女の概念がない
②小学校_恋愛の概念がない
③中学校_兆しはありつつも、「女の子同士で恋愛関係になれる」という選択肢をまだ知らない
④高校_デカい愛、訪れる。
好きな先輩♀を大好きになり、無事人生の角度が明確に変わり始める
⑤大学初期_本当に私はこの道をこのまま進んでいいのか?とガチレズ掲示板とペアーズを右往左往しつつ、えいやっと作ってみた彼氏と無事ラブホで別れてビアンバーに行く
⑥大学中期_LGBTという概念を本格的に知り始める。女性と付き合いつつ別れつつ、イベントに行ったり街コンとかにも行ってみつつ、やっぱ女性だな…となりつつ、でもやっぱ親の期待が…とか思いつつ……〜抜け切らない、幼い頃から染みついた異性愛規範による親への罪悪感 vs 本能〜
⑦大学後期〜今_かのじょ大好き!人生最高!この世のすべてにありがとう!
①幼少期
そもそも自我が薄かった。多分、男の子と女の子の区別も、男性と女性の区別もついてなかった。恋愛という概念がなかった。男の子が私を指差し「好きだ」と言ってくれた行為に対し、本気で何も理解ができず、「(胸元に入れてた)DSが?」と返した記憶。ごめん……。転園生の女の子となんとなく友達になりたくて、誰より先に話しかけた。
②小学校
小学校4年生ごろ、周囲に合わせ、にわかにこの世の恋愛という存在を感知し始める。本が好きでよく読んでいたけれど、ラブ感情はずっとピンとこないまま、ただ、「男の子は女の子を好きになる」という情報だけを朧げに理解(今思うと不理解)していた。好意を持ってくれる男の子はいたけれど、「付き合うという行為をして何になるの…? 何が変わるの…? みんなからからかわれるだけでは…?」となんとなく怖かったため、全力でかわし続けていた。ごめん……。そのうちのひとりの男の子に対し当時、これが恋かな?という感情を抱いていた気もするが、性的な概念も人生の見通しもまだなかったので、もらったものを大事に取っておいてたくらいだった。
仲良かった女の子(①の時から友達続けててくれた転園生ちゃん)への執着心は多分この頃からあり、中学校で別れることになる数ヶ月前から「いない状態に慣れるため」と別行動をしていた。
③中学校
びっくりするほど浮いた話が思いつかない。なにしてたんだ? 可愛い女の子を膝に乗せて可愛がっていた。けれど「女の子同士で恋愛関係になる」という選択肢をまだ獲得していなかったので、ただ可愛いなこの子…もちもちだな…とだけ思っていた。
電車の中で偶然出会った転園幼馴染ちゃん(①と②登場の執着ガール)がどういう話の流れかなぜか「私いま彼女いるんだよね」と言ってくれて、色々と動揺しつつ「私も好きな女の子いる」と返した記憶。
ませた女の子のおかげでBL文化に触れるのは早かったけど、百合文化に触れたのはだいぶ後になってから。古本屋でふと、「このマークがついてる話は女の子がいっぱい出てくる…」ということに気づき、少しずつ集め始める(なぜかBLは親バレしちゃいけないが女の子同士はええやろと思っていた)。
ロクロイチさんの「くちびるに透けたオレンジ」のえっちな女の子同士描写に衝撃を受けつつ本棚の奥に隠しては時折そっと読み、ネギたぬさんの「マンガで綴る百合な日々」で、『百合な人が現実にいる(※まだレズビアンという言葉を知覚してないため語弊ある表現だけどお許しください…)』ことを初めて知り、でも、この本を買ったことが親にバレてはいけないんだろうな、とは子供ながらに思っていた。
④高校生
とんでもなく大好きになってしまった先輩♀、あらわる。
しかしまだどこか「百合※はファンタジーで、私とは関係のない世界のこと(※まだレズビアンを知らない)」だと思っていたのか、思っていたかったんだか、あのデッカ感情に恋愛と名前をつけられたのはその数年後です。私が散々愛を語っていたのに嫌気が差していたのもあるだろうけれど(すみませんでした…)他の先輩に、「憧れと勘違いしてるだけじゃないの?」と釘を刺され、そうかもなぁとその時は納得しつつ、この言葉の釘は数年抜けない。
元々、完全ストレートの人(なんているのか?)よりはそれなりに角度のついていた人生が、そっと斜め向きでまっすぐに走り始めた転換期。
けれど先輩は男性美が好きだということを公言されていたし、そもそも私側にどうこうなりたいという意思も、選択肢もなかった(「女性同士で付き合う人もいる」ということはわかってきたけどそもそも恋愛を自分ごとにしてなかったため、「付き合ってなにをするんだ…」という思考のままだった)ため、淡くて激重な感情を抱えたまま、彼女を追って大学を選び、大学見学も兼ねて泊まりに行ったら割とドロドロめな沼男にハマってる話を聞かされ帰り道で少しだけ泣く等をし……いつのまにかおっきな好きは消えて、普通に尊敬だけが残り、でも女性におっきな好きを抱いていた事実も心のどこかにずっと残り……この頃の自認は、私なんかが軽い気持ちでレズビアン名乗っちゃいけない、という自戒も込めた「ファッションレズ」。
⑤大学初期
そして田舎を出て、一人暮らしが始まり、ここからしばらく迷子の時間に突入。自分の人生に角度がついているかも?ということには気づきつつも、蛇行運転してストレート(なんてものもないですけど…)の道に戻れるかな?としている時期。
「どっちかというと女性が好きかもなー」というようなことを親に(その当時はカミングアウトの概念も知らないため、軽い気持ちで)言ってみた時「異性と付き合ったことがないからだよ。好きな男性ができたら変わるよ」と言われたため、付き合ってみよう!と思い、マッチングアプリを入れ、とっても優しい男性とお付き合いしてみる。祝!初恋人!
今思うと不思議なんですが清い関係を1年間ほど続け、さぁ私はいつこの人のことを好きになるのかな?と思っていたらその時は来ず、性的な接触に怖気付き(男性が怖いんじゃなくて、経験のない未知さが怖いんだ!と言い聞かせていましたが……まぁ……)、結局お別れ。
この方がめちゃくちゃ悪い人であればもしかしたら、出会った男性が悪かっただけだ!他の人なら!とまた同じことを繰り返していたかもしれませんが、普通にこれ以上ないくらい良い人だったため、もうこの人で無理だったら他の人でも絶対無理だな、と思えたのでありがたかった(本当にごめんねとはいまだに思っています……幸せになってくれていると良いな……)。
⑥大学中期
〜抜け切らない、幼い頃から染みついた異性愛規範による親への罪悪感 vs 本能〜
の戦いの末、発想の転換。「どうせオトナになったら好きでなくても異性と付き合い結婚して子供を産むんだから、大学の間くらいは全力で女性との恋愛を楽しもう!」という、今考えると最低な思想でビアン人生の一歩を踏み出し始める。
ガチレズ掲示板でいろんな女の子とお話ししたりご飯に行ったり、ビアンバーに行ってみたり、オフイベントに行ってみたり、SNSをやってみたり……自分のことをハッキリとレズビアンとは認識していないまま、でも、街コンとかに行ってみたりバイト先の男の子とご飯に行ってみたりしては、やっぱり違和感……女の子との方が楽しくない……?!とかなり……この頃の自認は「レズビアン寄りのバイセクシャル」。
自分の「女性が好き」という気持ちを真正面から認めてしまうにはまだ親や社会との関係を気にしてしまうし、けれどバイはレズの世界に来るな!といったような論調もあるなか、覚悟決まりきってない私がレズビアンの世界の中を漂っているようなことも罪悪感だし……悩みのグラデーションとしては、「女の子好きかも! でも思春期の勘違いって言われそうだな……。同性に対しての感情に恋愛って名前つけちゃいけないのかな……?」な高校→「私多分女の子も好きになれるんだわ!(=感情は間違っていない) でも社会的には多分、異性とのほうが楽だよな……私、この道引き返したほうがいいかなぁ……」な大学初期→「レズビアン世界、楽しい!(=道は間違っていない) でも、こんな気持ちでふわふわしてても、レズビアン街道を突き進む皆さんの通行の邪魔になっちゃうよな……」な大学中期。
⑦大学後期〜今
そもそも大学自体が色々あり、コロナを挟んでたりもして、ちょっと不思議な期間ではあるんですが、ビアン界をなんとなく漂って、でもやっぱどこか諦めてて……この人に対して恋愛スイッチを入れてみようかなと思うことも何回かあったり、ほんのり好きだなぁ可愛いなぁと思う女の子はいた(っていうか女の子は漏れなくほんのり好きだし可愛い)ものの、誰にも大好き先輩♀ほどの熱い感情は抱けなくて……みたいな、とき。
好きな人、あらわる。
※バイト先で知り合った数年前から、好きなタイプの人やな〜と思っていたもののまぁノンケだろうとハナから恋愛目線で見ていなかったが久々に会ったらア~~やっぱ好き〜〜となってしまう※
そしてここでの葛藤やらごめんね行為やらはレズビアン自分史というよりこの恋の歴史なため諸々端折りますが1年間くらいの片思いの末、
好きな人、恋人になってくれた。
ここでやっと、私の自分史が自信と自負と自覚を持って「レズビアン自分史」の名を冠しました。
言い方難しいんですが、バイだとかビアンだとか云々への悩みは一旦過ぎ去り、ただ女性を好きな女として……というかもう、彼女を好きな私としてガッツリ生きてく覚悟が決まり、それにつけるラベルはおそらく「レズビアン」という名前だということを、自分自身がやっと認められるようになった、って感じです。ぁ〜〜語弊がありそう、何かnot for youなことを言っていたらすみません、多分誤解です…!
以上、幼い頃から染みついて抜けない異性愛規範と戦いながら、デッカい愛とか希望探して、そして見つけた1レズビアンの年表でした。
まとめ(というか感想)
……だいぶ屈折も挟み、色々ころころ転がりながら蛇行運転していった道を俯瞰してみると「レズビアン自分史」になった。という、割と結果論的な歴史ですが、まぁ今はめちゃくちゃ好きな人と好きな人生を送れており、この日々になんと名前がつこうがそれってもう全て含めてさいこー!ハッピー!ありがとー!……な、私史2024年版。
数年後にこの続きを書こうとすると、何かが変わってたりするのかな? このまま幸せに暮らしました、で終わりたいしそのつもりですけど、流動体で不確定なのが未来とセクなので絶対はなく、ただ祈りと努力だけは続ける所存です。
書いてみた所感をザックリまとめてると
無意識の異性愛規範、ほんっっとに抜けない。幼い頃からの刷り込みってエグい。絵本や教科書や他コンテンツでもっと同性同士の幸福なモデルケースに触れられていたら、「女の子を好きになるのは勘違いなはず…」「いずれは男性と結婚しなきゃ…」みたいな無意識の呪いを解けるし、他人を呪わずにも済む気がする
ビアンのバイ排除文化、理屈はわかる(わかる、中期の私みたいな「いずれ男に行くかも♪」という人間と恋愛関係を築きたくないというお気持ち、めっちゃわかりますその節はすみません……(?))し好みや自衛はもちろん個人の自由だけど、ここって多分明確に区切れるものではないし自認に至るには色んな理由があるだろうから、お手柔らかに……どうか……宙ぶらりんな私を冷たく突き放すんじゃなく、楽しく生きてる姿を見せてビアン沼〔追記:沼…? ビアンエレクトリカルパレード〕に引き摺り込んでくれた先人先輩の皆様のおかげで今の私がいます……
多分わたし、親元を離れ都会めの地域で一人暮らししてなかったら、掲示板やバーでふらっとビアンに出会える環境がなく親からの結婚や子育てへの希望を浴び続けることになっており(あと彼女にも出会えてなく)、「レズビアン」を知らずに「一時期女の子のこと好きでさ〜笑」と言いながら『ふつう(語弊)』に男性と結婚し、『ふつう(語弊)』の家庭を持つルートに進んでいた可能性があったんだろうな……。そのことの正誤や善悪は置いといて、私は今の私になれてよかったなぁと思うし、彼女ありがとう人生大好き(最終的には惚気になるけど、これはビアン史において環境要因と『出会えるか否か』はかなりデカいという話)
思えば、ちょっとしたことで今の私じゃなくなってた分岐点がいくつもある気がします。そのどれもきっと間違いじゃなかったし、そもそも誰も(私自身も)人生の正解なんてわからないけれど、一緒にいれる幸福があるのならどんな悩みも2億点のお釣りが来てしまうほど大好きな人に出会えて嬉しい〜〜という気持ちを、今は抱きしめてます。
初恋?の男の子の告白を真面目に受け取ってたら、その子とどうにかなってたのかな〜とか(今となってはそれが本当に好きだったのか、女の子は男の子に恋するべきだと思い込んでたから好きだったのかわからないけれど……まぁでもこの思考もこの思考で、ビアンの私の肯定にはなるけれど、幼い恋心を透明化させるのに繋がったらそれもまた可哀想か)。
きっと同性同士でも恋していい!という概念を幼い頃から知ってたら、幼馴染の女の子を好きになってたなぁ、とか。
もし彼女と出会えてなかったら、たとえ他の女の子といっぱい付き合ったとしても、最終的には決意が揺らいでいたかもな…(やだー!!! とは思いつつ、多分私、最終的に細分化した名前をつけるとしたら「パンセクシャルのデミロマンティックで結果的レズビアン」だと思うので無い話ではない)とか……
なんにせよ、好意を受け取ってもらえる嬉しさを知った今改めて、私に対して好意をくれてた人への感謝が同性異性問わず静かに湧いてきました。みんなありがとう〜〜!! どうかどこかで誰かとでも誰かとじゃなくてもお幸せにいてください…!!
過去の、私が私を否定しちゃってたときを見返し、こうやってひっくるめて肯定できるようになったのは、大好きで大切な彼女とめちゃくちゃ幸せに生きられてる今の私が大好きで大切に思えてるからなので、総評:n回目のありがとう……これからもレズビアン自分史(好きな人と生きていく人生)の年表を末長く楽しく伸ばせるように頑張ります!
というわけで、#レズビアン自分史 楽しかった〜〜!ありがとうございました!!
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