映画『君は彼方』感想(ネタバレあり)
まず本作を見られる映画館はどんどん少なくなっています。
いち早く劇場に向かえるように、全国の劇場の状態が記されている公式サイトのページを引用しておきます。
先週(~12/10)までは上映劇場が多かったのですが、今は関東や中部でないと観られませんね。
該当区域外の方は、おそらく発売されるブルーレイディスクや各種配信サイトに期待しましょう。
では、本編に参ります。
・あらすじ
努力のやり方が分からず、頑張ることに意味を見出せない女子高校生宮益澪(みやます みお)は、幼馴染で腐れ縁の鬼司如新(きしも あらた)と親友の円佳(まどか)と平凡だがなんとなく幸せな日々を過ごしていた。
ある日の放課後澪は円佳から新のことが好きだと打ち明けられる。澪は3人の関係性を壊したくないために、新のことは何とも思っていないと嘘をついてしまう。
その後澪と新はいつものように遊びに行くが、円佳に嘘をついたことが気になる澪は新と喧嘩をしてしまう。戸惑う新はこの時澪の心の揺れに気づくことは出来なかった。
その日の夜、澪は新に直接謝ろうと思い立ち雨の中をビショビショになりながら自転車で走るが、自動車事故にあってしまう。幸い大きなけがもなかった澪だが、なぜか彼女の姿は新には見えなくなっており、澪は気づくと雲の上を走る電車に乗っていた(公式HPトップ画面の下を走っている黄色い電車)。
イマドキの高校生を描いたラブファンタジー。
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以下ネタバレを含みます。
・見どころ
誰が為の物語
映画はその性質上TOP画面を見れば、その作品の中心となるのが誰なのか分かってしまう。今回の場合ではTOP画とキャスト欄から見て澪(みお)と新(あらた)のWキャストなのだろうと予想がついてしまう。さらに踏み込めば、3人目以降のキャラには(驚くことに円佳(まどか)にさえ)苗字が与えられていないのだ。
従って、本作は澪と新のラブストーリーだと予想できるが、私はこれにNOを突きつけたい。確かに澪と新の恋路というものは本作のゴールであろう。だがそれだけなら、乱暴な話90分もこの物語を語る必要性はない。
私は本作を澪が新と生きていく資格を得る作品だと解釈した。
若干大げさだが、前半の澪の行動を振り返って貰えば自業自得のオンパレードで全く同情できない。また、彼女が生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされることになるきっかけになった自動車事故も彼女の身勝手な行動に起因している。前半はそれらの行動の挙句「こんなんじゃ新に会いに行けないよ」と泥まみれになって呟き、彼女の意識は途切れて終わるのである。誤解を恐れずに書けば、いくら喧嘩中とはいえ、ずぶ濡れの女性が突然玄関に現れたら、泥まみれの交通事故後でなくともドン引きである(おそらく性別が逆だったとしてもそうだろうと信じるが)。
作中後半、彼女は去年の夏に新から告白されていたこと、そしてそれを勇気が出せず聞こえないふりをしてしまったことを思い出している。私はあのシーンで安堵感を覚えていた。それは彼女が去年の約束を思い出せたからではなく、何からも逃げてしまう彼女が去年の時点で告白を受けてしまっていたら間違いなく今回の喧嘩(もしくはそれまでにあったかもしれない小さなすれ違い)で修復不可能な打撃が2人の間に走ったと予感したからである。
一方W主人公のもう片方を務める新には作中で(澪程の)目立った成長がない。ある意味彼にとっては昨年の夏の告白で覚悟は決まっており、本作の段階ではそれ以上の成長が必要なかったのではないかと考える。もちろん新には、なぜ告白をやり直さなかったのかや能力を制御する気を見せない危うさ、また家族の問題の解決と青年後期の問題が山積ではあるが、それが描かれなかったのは、これは鬼司如新の物語ではなく、宮益澪の成長を描いた青春物語だからだろう。
舞台装置の精巧さ
私が初めて池袋駅に立ったのは就活の面接を受けに東京中を駆け回っているときだった。君は彼方の池袋駅は、駅から出た時振り仰ぐビル群の描写が見事だった。ほんの僅かな時間しかそこにいなかった人間にここは本物なんだと思わせるのは、緻密な取材にたっての上だろう。
本作には世の境が登場するシーンで電車が現れる。このことから本作を宮崎駿監督の千と千尋の神隠しと重ねる方も多いようだが、私は山崎貴監督のDESTINY 鎌倉ものがたりを連想した。基本的にどちらの列車も一方通行でありながら、何らかの条件を満たすことで戻ってこることができる。その条件はとても難しく設定されている点などは、非常に類似している。
また、ガイドのギーモンの発言にあるように澪の世の境は澪の想像の世界なのだ。これもまた鎌倉物語の死神が語るように死後の世界の見え方は見る人の主観によるという考え方に通じている。
これを舞台装置的に表現するのが殯(もがり)と森おばあちゃんである。ラストシーンをみれば分かる通り2人は同じ役割を持つ者でありながら、澪の成長を助ける側の森おばあちゃんと現実を運命という言葉で繰り返し提示し時計を進めるのが殯なのだ。2人の接し方は作中中盤までは正反対に見えるが、2人の目指す先は澪の成長か時間切れの死かしかないという点で一致しているのである。
好きとか愛とかじゃなくて
本作を観ている最中何度も澪は大切なものや伝えたいことを聞かれることになる。忘れ物口係員とのやり取りはそのはじめで、澪をそこまで追い詰める必要はないのではないかというほど容赦のない(やる気のない態度)で澪の心を折に来る。回数を重ねるごとに観ている我々はもういいんじゃないのか。言いたいことは伝わっているよ。と彼女に補欠合格を出してしまいそうになるのだ。実際忘れ物口係員は2度目には澪の言葉を受けてげんせ行きの切符を渡している。
澪ははじめ誰に何を伝えればよいか分からなかったが、菊ちゃんや森おばあちゃんの手助けもあり、新に伝えたいことがあると思いだす。しかし、それだけでは殯は納得せず執拗に何を伝えたいのか問うてくるのだ。そしてそれを思い出せない、口に出せない澪はギーモンやきんちゃんの力を借りつつ殯と大立ち回りを演じるのだ。
そして(この手の戦闘を演じた後にはよくある事だが)、澪は現世への帰還に成功する。しかし彼女は霊体で、新には見ることが出来ず、また何も伝えることが出来ない。そこで殯は運命を受け入れろと迫るのだ。つまり本作は決して力業での解決を許してはくれない。澪が昨年の彼と同じ覚悟を抱くのは、ラストシーンである。またそれは彼女のこれまでの生き方との決別を意味していた。
私は新が好きだ!とか愛してる!とか澪に言わせてしまえば、このお話はすぐに幕が引けるだろうと考えている。ただそれを言ってしまえば世の境が澪を許してはくれず、遠からず彼女はギーモンと再会することになってしまうだろう。だから森おばあちゃんは乗り越えることを望んだのだ。簡単に好きとか愛とか言わせないところが、本作の最大の良さだと感じている。
・楽しみ方
感情移入する鑑賞
本作を見るのは正直言って中々に骨である。かくいう私もお金を払って映画館で見ていなかったならはじめの30分でリモコンを手に取りたい欲求に逆らえなかったであろう。その証左が私が30分という時間を記憶していることにある。私は本作を観賞中にあまりの見てられなさに腕時計に目を落としていた。最後に針を確認したのが、観賞開始からおよそ30分後だった。
とにかく主人公に感情移入できない。これがコマンド付きのゲームならば自分が選択した選択肢の反対を選び続けるあまのじゃくなプレイアブルキャラのハンドルを握らされている気分だった。後から映画公式サイトは確認したが、主人公は諦めがちで努力が苦手な高校生とある。確かに私含め誰しも1つや2つはそういった素養を持っているかもしれないが、いき過ぎればそれは存在しない人物となってしまう。澪(みお)という人物は私の心を震わせる適度な欠点を持った人物ではなかったのだ。
見立てる鑑賞
これは苦痛だと思った私はさっそく澪を視界から外した。澪という個人に共感するのを辞め、澪という盤上の駒を取り除き私自身がそこに座るという置き換えを行った。要は最近流行りの体験型アトラクションというやつだ。想像力を駆使して、池袋の街を周りに広げ新(あらた)と喧嘩をしてみる。
これは失敗だとすぐにわかった。なぜならこの作品、台詞の(体感で)6割が澪なのだ。しかもそのうちの半分は独白に費やしている。こんなによく喋る主人公にぽっとでの観客が代われる訳がない。おまけに周りの登場人物は新を筆頭に受動的だ。たまに喋ったと思ったら。占い師の前での絶叫や過去の台詞を台本の読み合わせのように独白するのが大半となっている。私はこの作品を楽しむためにはもしや劇薬を使うしかないのではないかと思い始めていた。
攻撃的な鑑賞
私は鑑賞スタイルの中でも過激な方法を採った。澪の敵になるのだ。この作品のオチを見通していないとこのやり方は採用できない。話のオチが私の予想とてんで違うところに落ちていたら、私は「君は彼方」と喧嘩するしかなくなってしまう。しかし、幸いというべきかはじめの30分で澪のやり口はだいたい読めていた。私は自分が頑張るべきと思うところで怠け、自分なら合羽を着ていくところをあえて考えなしにずぶ濡れになる存在に、そのままではハッピーエンドは待っていないと笑ってやるだけでよいのだ。もちろんこれでオチがバットエンドだったら目も当てられない。私は主人公を崖から突き落とした共犯者になるのだから、胸糞悪い気持ちで家路につかねばならない。これは賭けだった。
結果から書けば、私はこの賭けに勝った。物語の放物線は私の予測範囲内に落ち(ある意味それも問題だが)、無事ハッピーエンドを迎えたのだから。私がこの方法を採れたのは、以前観賞したアニメでこのやり方がはまったものがあったからだ。今回は舞台を渋谷から池袋に、性別を男子から女子に、テーマをSFから恋愛に置き換えればよかった。「リヴィジョンズ」も「君は彼方」も自分勝手なただひとりの青年の成長を描く点では同じである。リヴィジョンズは一部の人にとって、所謂好きになれない主人公が後半に成長して共感できるようになる作品である。
そもそも本作の場合、澪はもっと同情されていいはずである。よくわからないままによくわからない場所(世の境)に連れてこられ、大好きなキャラクター(ギーモン)に誘拐されそうになり、そっけない忘れ物口係員にあしらわれ、はっきりものを言わない森おばあちゃんに翻弄され、1度は帰れたと思ったらそこはまだ世の境で、規格外の土蜘蛛(殯)から逃れたかと思いきや現世では新に認識してもらえない。これだけの不幸に高校生が見舞われたら、誰でも同情するだろう。忘れ物口係員辺りで、澪に肩入れして怒り出す観客がいても不思議ではない。しかし、私は忘れない。映画開始から30分間の澪の愚行を。この時点で私にとって澪は好きになれない主人公なのである。
つまるところバランスなのである。澪が世の境に行ってから遭遇する数々の災難は全て彼女の肩には重すぎるのだ。彼女に成長という余白がなければ潰されてしまう。観客は澪が駄目駄目な高校生だからある人は自業自得、ある人はヒーローの登場を待ち望んで鑑賞できるのだ。私は澪の失態の数々を愚かと認識していたので、多少は自業自得、残りは成長への呼び水と捉えて1つひとつの試練を認識していた。それでも私の天秤は、現世で殯が現れ運命を受け入れるように迫ったシーンで澪の側に傾いた。ここで、ようやく澪は私にとっても共感できる存在になり、彼女を応援する準備が整ったのである。そのタイミングを狙っていたかのように新と織夏(おりか)が動き出したことで、私は本作と呼吸を合わせることが出来た。つぶれそうな澪と感情の共有ができ、新の助けを共に求めたくなったのである。
・次回作に期待すること
まず2点だけボロクソに言わしてください
シンプルに2点どうしても納得できない点があるのでこれを書かせてください。
1つ目は澪(みお)と新(あらた)のデートシーンに顕著だった静止画。観ていてあ然だったのですが、映画館でまさか静止画へのアフレコのようなものを見ることになるとは。テレビアニメの静止画でも私は許容しがたいのですが、原画の数を使える映画の良さを出していただきたかったなと。
2つ目は中盤にあった澪のミュージカル風独白と最終盤の新の台本読み風独白。ぎこちなさは仕方ないとしても、あれは監督さんの指示があったとしか思えないです。素人意見ですが、台詞が浮いてしまっていたなぁと感じました。
2点合わせてとても過激にな意見を書くと、この作品を映画にする必要ありましたか。と大変失礼なことを思ってしまった次第です。OVAやドラマCDならあり得ると思いましたが、映画として作ることが決まっていたのなら、他に表現法があったのではないか。逆にこの脚本は映画以外の形の方が活きたのではないかと考えます。
例えば、舞台として本作は上演されるべきだったのではないかと考えています(その場合少なくとも上記2点の問題は解決されます)。アクションは殯戦のみですので、場面転換は大道具ではなくスクリーンを用いた形で可能です。何より言葉による問いかけと、内心を独白で整理する本作には台詞回しや間から観客が想像する余地があります。この解釈の幅を舞台演劇ならば舞台から客席に間届ける過程で、観客がより埋めやすいでしょう。
私がこの映画の良さを捉え切れていないとしたら、まさにここです。なぜ映画でなければならなかったか。
答えられるまで何度でも
本作の象徴的テーマだと考えています。澪が誰に何を伝えたいのか、この作品では何度も問われ、澪はそれに満足に答えられない限り前に進めない世界に囚われています。
上記で紹介した、鎌倉物語では主人公は何を伝えたいかはじめから分かっており、その方法に悩む。リヴィジョンズでは伝えたいことを誰に伝えたいかを明確にした後には自分の弱さに真っ直ぐに向き合ったっています。どちらの作品も頼りない主人公やヒロインでも決断した後は挫折を経験せずにエンディングを迎えています。
しかし、君は彼方では主人公は何度も何度も挫かれます。誰の手助けも決定的な解決には至らないのは物語のお約束ですが、そうだとしても主人公を徹底的にいじめ抜き、なおも主人公らしい答えを引き出させようとする作風はとても魅力的に感じました。
何度でも挑戦して欲しいジャンルだと感じています。
・まとめ
この物語は救済の物語です。多くの場合人生は躓かない方が良い方向に傾きますが、澪(みお)は躓いた結果新(あらた)との明日を手にしました。もしも澪が挫折せずに、諦めがちで努力が嫌いなままならそんな明日は訪れなかったか早晩崩れ去っていたでしょう。
世の境での出来事は1歩間違えば命を落とすことの連続です。躓きの代償が彼女にはあまりに重かったことは、私が同情するまで(そしておそらく皆さんが同情するまで)が如何に長かったかで分かることでしょう。
青年は大人になるために自分と向き合う儀式が必要です。彼女の場合、その儀式は因果が巡ってかなりダイナミックなものとなってしまいました。最も伝えたかったことは、大切にしたいことをおそれずに伝えて、その結果から逃げないことだと感じました。
ただ、私は躓く前に気づく方が最良であるし、青年ではないのだから、自分の行いや普段からの姿勢を正すことは如何に困難で、また劇的に直そうとすると危険な橋を渡ることを知っています。だから本作が最も伝えたかったこととは別に自戒として本作前半の澪の行動を反面教師にすることが、世の境を経由することなくハッピーエンドを迎える道なのかもしれないと思っています。2つの教訓を本作から自分へ向けてのメッセージとして、筆を置きたいと思います。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
・著者近影
Fランク大学心理学科卒。学士(教育学)認定心理士。
学生時代、全国大学ビブリオバトル全国大会出場。
映画のレビューは初めて。上から目線の評論家気取りになっていないかとビクビクしている。本作は友人の友人が制作に携わっていると聞き、滑り込みで観賞した。ここに書いた感想は嘘偽りのない個人の感想であるが、友人の友人を応援したいという気持ちから今回例外的にレビューに手を出した。
「まず多くの方に作品を知って貰うことが大切だと思いました。たぶん、出るらしい円盤もよろしくお願いいたします。」
著者の2020年の主な読書歴(50音順)
・アガサ・クリスティー/清水俊二(訳) そして誰もいなくなった
・シェイクスピア(著)/中野好夫(訳) ロミオとジュリエット
・シェイクスピア(著)/福田恆存(譯) シェイクスピア全集12 リア王 King Lear
・スティーブン・グリーンブラット(著)/河合祥一郎(訳) 暴君――シェイクスピアの政治学
・竜騎士07(著) うみねこのなく頃にEpisode7(上)(下)
他
著者の2020年の主なアニメ鑑賞歴(50音順)
・Fate/Apocrypha https://fate-apocrypha.com/
・ID:INVADED https://id-invaded-anime.com/
・翠星のガルガンティア https://gargantia.jp/
・ダーウィンズゲーム https://darwins-game.com/
・理系が恋に落ちたので証明してみた。 https://rikekoi.com/
他
著者の2020年の主な映画鑑賞歴(50音順)
・Fukushima50 https://www.fukushima50.jp/
他