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成長痛、大人になってもいくつになっても【No.4】

 元々は、全く笑うことがなかった私ですが、最近は本当によく笑顔を作るようになりました。

 新しい環境に身を置くときに、ちょっとの勇気を出してみて、本当の自分に近いものを出してみると心が楽になる。それが最近はうまくいっていて、嬉しい。

 でも、気付きもあって、成長もありました。

心の成長痛

笑顔でいるってたいへんねえ

 学生時代に、私と同じ名前の同級生がいまして。その子は誰に対しても同じ顔を見せて、よく人を揶揄う人でした。上手く人付き合い出来ない私にも、分け隔てなく。

 初めてその子とクラスが同じになったとき、周囲と上手く関わるために何か行動しなければ、と思う心はあって。その子がおしゃべりしていた集団に、そっと近づいた瞬間があってのですが、結局誰とも一言も喋れずに、一番にそこを離れて、多分周りからは奇異の目で見られてました。後日、その子から話かけてくれて、感動しましたけどね。

 同じ名前で、同じ年齢で、本当にかっこいい人や、と思ってましたが、その子はおそらく、心が誰よりも沈む瞬間があって、たまに学校から長く姿を消したり、保健室の奥のベッドに座ってただただぼうっとしている瞬間とか、何かはわからないけど、こちらにはまだ理解し難いものと対峙しているんやろか、という感じでした。

 別に、どっちが本当、とかではなくて、心の振り幅が大きい、という感じ。

 私は今、誰かのために、とかいうものでもなくて、ただ笑顔でいる事で自分も幸せになれることに気づいてからは、笑顔を見せても恥ずかしくない!と思うようになりました。
 でも、それが周囲の助けになってるって気付いてしまった途端に、若干の不要な責任感が生まれてしまう。今日は笑えへん!ってときも、ちょっと無理して笑ってる。
 その分、一人の時に異様に沈んだり、訳もわからん涙が出たり、コンディションが悪くなったりする。
 ああ、あの子もこんな感じやったのかしら、と5年越しに彼女を思い出しました。

成長してると実感して、悲しい

 まあ、自分のために、と言いましても、それでもやはり。
笑顔でいることは、いろんな潤滑剤になると言いますか。物事をうまく運ぶための。それに、周囲の不和を生み出さないためにも。

 という、自覚をしている自分に気が付いて、涙が出てきてしまいました。

 ああ、もう自分のためだけに生きる子どもの人生はとっくに終わってて、私、もう大人なんやなあ、まあこれが大人ってわかってるけど、それでも感傷的になってしまう、さらば、子ども時代!

というね。

 こうやって、上手く生きていくための刺々しさが勝手に抜かれていって、でもその棘が恋しかったり、それで傷付いた経験を思い出して、傷心旅行にいってしまう。
 そうやって、また「でも笑顔でいよう」って思うんやろなあ。

 アドラー哲学の方が夢があっていいやないか、と思ってたけど、フロイト哲学もまあ確かに頷ける部分もあるんやなあ、と偉そうに思う今日この頃、もういい加減、クーラーへのお疲れ様のお掃除初めてもよいのかしら。

大人へなればなるほど、繊細な自分

 細やかな部分へ気が行って、敏感になっていることは喜ばしい。そして新しい痛みのセンサーが生まれてる。ほいで、また成長して大人になる。

 嬉しくて、苦しい、大人の成長痛。


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