愚民の街東京。。。
NHKの「映像の世紀」というシリーズはドスンと心に響く素晴らしい番組が多い。たまたま数日前にテレビで見たのは関東大震災から太平洋戦争までの東京の壊滅と復興の歴史についての番組。
途中から観たので断片的な理解しかできなかったが、特に考えさせられたのは関東大震災で壊滅的な打撃を受けた帝都東京とその復興計画について。
当時の都知事(内務大臣?)だった後藤新平は10万人あまりの被害者の内9割近くが地震でなく火災によって亡くなった事、火災に巻き込まれ全く逃げ場を失い亡くなった悲惨な死者が多かったことを受け、「火災に強い街作り」を復興のテーマとして、壮大なマスタープランを考えた。延焼を防ぐ20メートル以上の幅を持つ道路の整備、避難場所としての公園の整備、木造建築を避けコンクリート造の建物の推奨など明確なビジョンに沿った計画を具体的にたてた。しかし実際には計画の1-2割程しか実現せず、計画が進むにつ入れ目先の問題などに惑わされ東京という町は急速に震災の被害を忘れ、災害に強い街作りは実現されなかった。それから20年ほど経って、東京大空襲で東京は再度壊滅的な打撃を受けた。その際に攻撃を仕掛けたアメリカ軍は「燃えやすい東京」を徹底的に研究して、東京を焼き尽くす算段で東京を襲ったらしい。「備え」をないがしろにした東京は再度焼野原となったが、もし震災復興のマスタープランが実現できていたら、東京はあそこまでの打撃を受けなかったと考察される。
民衆とはいつまでも、どこでも、どこまでも愚かなものなのか?
最近の社会学者などの発言を聞いてると「民主主義の限界は民の愚かさにあり、それがゆえに民主主義は破綻している」との結論がどうやら一般通念になりつつある。キリストを処刑したのも、ナチスを第一党に選んだのも、自民党を選び続けるのも全て民である。
どんな結果になっても自業自得と言われてしまう。。。でも自分で手を下した実感はどこにもない。変な制度だなと思う。