なぞってしまっていて気づいてしまった
地元におったら精神が〇ぬと冗談じゃなく経験値もなく、しかし100の確信があって地元を出た。と言っても横の県。本当はめっちゃ遠くに行きたかった。でも〇じゃなくて物理的に〇されると思ってたから行動できるわけがなく。(遅すぎる決意ではあったがこのクソアホ人生の中では一番のナイス行動だった。勿論半端なく自分を追い詰める追い災難はあったけどそれで自分自身に対してほんまにナイスやぞとそれだけは今でも思う。
こんな便利な現代が来るのを知らずに感情殺して地元に残ってたらと、考えるたびにぞっとする)
他県に出て、地元以上に田舎で生活をすることになった。人間のモラルの底辺層が集まる環境で過ごす。
若いうちの苦労は買ってでもせよと言うけど、自分は逆だと思ってる。なぜなら若い内に受けた愛情や幸福のおかげで大人になっても自信を持ち自尊心を大切にし、仕事でも良いポジションを自然に手にできると思うから。ほかにもいっぱい得しかない。
お金かけてでもすべきだと思うのは
若い内の”苦労”じゃなく、若い内の”外交的経験”ということだな。
海外経験も、バイト経験も、インターネットも、自分で考えてどこか遠くへ一人旅する経験も、そういう外交的な経験を、自主的に若いしないと変なとこで人生ゲームオーバーになる。
生まれた市町村で育ち死ぬまでその場所で生きて骨をうずめる場所なんか選ぶ期は無いという人もいるだろう。同じような環境で生きてきた人以外を見ることなく、育つと倫理観や自分の人生を豊かにする術を考えることも無いままいつか良いことあるかなあという人生を過ごすことになるだろう。勿論それでも自尊心高く幅を利かせられる人は居る。ただほとんどは得体の知れない不安を抱えたまま自分が低能だと思いこむしかなくなり引っ込み思案になってしまうのではないかと思う。
もしも”子どもが自分で考えて行動してみること”を止める親がいるなら、それは本当に子どもを何もできない大人に仕立て上げたいのだ。
子どもが社会に出て苦しんで、自分が劣等感を感じないで済むような社会不適合者を作り出したいという、スケープゴートが常に必要なアダチルがチルのまま親になるとこの外交的経験を奪おうとするようになるのだと考えている。子どもしか、最後まで自分のいうことを聞いてそれでも見捨てずにいてくれる自尊心を保つためのハイクオリティな奴隷はこの世に存在しない。海外に住んでても親心配で帰る人が居るくらいキャラやペルソナではどうにもならんくらい生物として親を裏切れないように本能に刻みこまれているような気がする。結構謎コマンド。
そう、考える力をつけることがだいじなのであって、「苦労せよ」という今の言葉のままではつらい思いや我慢すること自体を推進すべという意味になってしまってる。言葉足らずだ。脱線終了
↓
引っ越す。間取りで人生大きく左右されるんだと知る。鬱部屋は借金と思った方が良い。
生まれ育った町の近くの栄えてる所で住むことになる。
とにかく楽しくて、人的には過ごしやすかった。
あと、自分は科学99の人間なんでスピリチュアル的な事を言ってるわけじゃないんだけど、引っ越し大好きマンの自分には「吸い込まれるように帰ってくるだけで幸せに感じる家」と「家にいると外に出る気も帰る気もせずただただ孤独感と絶望感が襲ってくる部屋」っていうのがある。広さ狭さ、邦楽、間取り、使いやすさ、鏡の位置、色調、階数...etc.と要因を数えたらきりがないが、一番大きく影響する要因は”立地”、”周辺の環境・雰囲気”、だと思ってる。結果論から、家探しのコツは「家の周りを散歩して楽しい場所」かどうか、で判断すると結構ハズレがない。
→田舎よりも人の性格とIQが断然よくて悪い意味での狂ってる人が少なかった。
↓
1列隣に引っ越す。
通りが一つ変わっただけで、かなり治安が良くなる。人間とは、その中でも自分は特に近くの景色だけでこの広い世界の雰囲気や勝手を決めつけてしまう癖があると思った。
少し遠くに住む場所を変えるだけで違う生活が待ってる。
ただ、前の家より家賃は数万円高く、内装は住んだことが無いほど便利できれいで清潔な家。ビジュアルも最高。立地は前の家とほぼ変わらん。
でも全然違った。そういう、原因のわからない”違い”が家によってあるの。
海外でも色んな所住みながら原因なんやろってずっと考えてるけど分からん(笑)
初めて生まれたところから遠ーい所で過ごす。
生きてるって思えた。↓この歌の歌詞がその時の感覚に一番近かった。
前の場所と、生きてるーってかんじた新しい場所では朝目覚める瞬間、目を開ける前に「高2の朝」っていう感覚で脳が起きる。そして目を開けて数秒すると「会社に居た時の記憶や今住んでる所に至るまでの経緯を思い出して今の自分の年齢を思い出す」というのが半年くらい毎日続いてた。
2020年5月14日約半年ぶりに”昨日の記憶”が引き継がれた状態で昨日のことを思い出しながら目を覚ます。
そこから生きてる感覚と現実がつながり始めた。そして現実はものすごくふわふわしてたけど夢で激しく自分に行動しろという指令が、過去の人生の走馬灯を通じて(それを使ってまで)示してきたので次行かねばならぬ場所に行くことになった。ちなみに車で2日かかった。つまり船で行く場所だった。
ちなみに行きしなの船に車ごと入ったときは、人生で一番、、、いや、二番くらいにびびってた。ちなみに一番は前付き合ってた人に付き合う前に話しかけに行ったとき
(;ω;)
自分が過去にした行動の中でナイス順位は3番くらい。ちなみに1番は高校卒業後外に出たこと。2位はワーホリ来た事。
でもこの日ほど体力を使った日は無い 過去で一番大変な日だった
2位以降は同立
↑適当に思い出してばっと書いた
新たな場所で過ごす。
そこでは土地柄か、孤独感を感じず、でもほぼ誰とも話さず半年ほど仕事もやりながら過ごした。
(ワーホリで半年働くていで最近アプライしてたけど、今思うとその地で過ごした半年間が何年分もあったように濃い思い出になってるわけで(ひとりだったのに)つまり半年は結構長いなあ・・('Д'))
移住して現地で働いてみて、近畿圏から離れると会話のキャッチボールのスピードが遅くて、相手の呼吸を見極めて話し広げてこようとしたり気を使ったり、が嫌味なくできる人が少なく、思った以上に知り合いができなかった。
近畿(特に大阪)の会話の高速キャッチボールってすごいって思った。その時大阪在住の友達と電話して、息苦しさが減ってめちゃ喋ったのを思い出した。内容が無くてもいいねん。スピード感と抽象的理解の瞬発力が心地よくてほっとしちゃった。
最後の一か月は毎日夜同じところを散歩してた。ぐるぐるぐるぐる
住んでた場所は中心市内まで歩いてすぐの所で、かなり住みやすい場所だったと思う。駐車場代が月極20000くらいでそれが一番腑に落ちない問題だった。
一生戻らんと思ってた超地元で過ごす。
なんやかんやで1年半も。長いよ( ノД`)
1年半も居たこと後悔はしてないけど今までの思い出の上書きされるくらいやっぱりしんどかった。勿論以前とは比べ物にならないくらい環境は良くなった。それでももう出られないような気になった元々小さかった生気が自分という人間からほぼ無くなった気がした。今もそれは戻ってない。
もう大人だし電車も車も乗り慣れてるしいざとなればネットカフェも近所にあるし、すぐにどこにでも行けるわけだし、高校生の時までの絶望はない
でも過ごす日数が重なるほど、思い出す依存的温みに見せかけた歪みがあった。自分にとっての歪み。
色んな気持ち、特に命を見捨てる気持ちや、助けられない何かを忘れる覚悟ができる気がしなかった。
ただ
もう二度と戻らない(住むことは無い)と決意できたから、大人になってから一回地元に戻ったことは良かったとは思ってる。しかも1年半という長い期間。もっと歳を取ってからの帰郷だったらもう一度外に出るパワーもなくなってて本当に抜け出せなくなってただろう。
そういえばもう最後の半年、、、いや1年くらいは半径5kmくらいを毎夜ぐるぐるぐるぐる自転車で高速徘徊してた。今考えるとおかしいけどその時間だけは満足できた。ていうか今もそうやけど体を動かし足りてないけど、日中やるのは嫌なんだと思う。今は頭使っててなんとか体力不満に気が向いてないけどそろそろ散歩マシーンになりそうな気配がある。
現在オーストラリア。
日本にとんぼ返りするか迷った。
どこで住むのが良いか、基本自分が成長したいというベース+αでいろんな面から考えた。
日本で住みたいと思ったことの理由の中に、「温み」があった。
復習、ここで今までの人生を思い出して気づいたのだ。
「安心」「しがらみ」「慣れ切ってるぬるま湯」に慣れてる人たちがいる場所に行きたくなったってことだ。
デメリットの方が多いのにそれでも安心過ぎるのは
「新しい刺激に触れることが無くなる且つ、勝手がわかってる」といった選択の放棄による刺激の少なさ
プラス
お互い足を引っ張り合い閉鎖的社会とわかっていながらも、そこにある依存的閉鎖的な温み
を見ているんだっていうことが分かった。
約2年前に親が心配で超地元へ戻ったときの気持ちはもう思い出せない。今はもうこれ以上地元の人間性を1mmも吸収したくない。
なのにどうして日本に戻ることはまだ↑ここまでの怯えが無いのだろうか。
それは私が、地元に戻ってきてやっと気づいたのと同じく、まだ海外生活に慣れ切っていなくて日本マインドが強いままだからかもしれない。
「何年海外に住んでても、自分はいずれ日本に戻る決断するだろうな」ってこの3か月で感じたからこそもう戻ろうと思ってる。(あと7~8年くらい早く移住してれば永住してたかもしれないし、色んな国を転々としてたかもしれないけど飽くまで実際この歳で来た生の現実の思考状態はそんな感じ)
バイト辞めるのと同じ感覚。でも今新しい仕事任されそうになってて、新しい力が付くかもしれない時。本当にもうあきらめちゃうの?早すぎない?ってとこ。戻るっていうか出国時とは全然違う気持ちで日本に再入場する感じだからどちらかというと「出向する」みたいな気持ちかも
今から新たに苦労することを20代前半くらいまでの自分がやるなら
その経験はかけがえない記憶として自分の生活観に根付き、何年もその経験は使い物になったであろう。(たらればだけど)
でも29歳の今ワーホリの日本人と絡む意味も
海外の若い子たちと絡むことでいいことが起こるのか分からない
言葉が話せないまま不満がたまった状態でさようならとなりそう
前者よりは後者の方が良いけど
じゃあ残る意味はあるのか?
と考えるようになった。クリスマスくらいから・・・
自分は、どちらかというと本当に勉強する気になったら何歳からでも何でもするべきだ!と考えている。実際そう。
だけども、「年とってから挑戦するとしんどいこと」の大原則みたいなのが1つ分かった。それは、「すでに確立されているものの代替を新しく構築するような挑戦は、とにかく若ければ若いころの方が吸収しやすい」ということ。
色んな種類やったこと無くて、一つのことしかやってこなかったこと。
例えば仕事なら、バイト経験なしで新卒営業マンでばりばり約30年間仕事して50歳でITエンジニアに就職、アイドルプロデューサーに就職(思いついたたとえこれやった)とかは厳しいと思う。
で30歳まで日本語だけで会話してきて、日本の生活様式だけ経験してきて、日本の社会経験してきたやつが、海外での言葉や働き方や住み方の勝手を頭に詰め込むのは、脳みその拒否が半端なく、入ってこようとしないのだ!
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