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みんなしあわせでいてほしいと思ってしまうわたしのエゴ、

大切なものが増えていけば増えていくほど自分がどんどん弱くなっていく、

弱くなって脆くなって砕けそうになる



最悪しねばいいやっておもってたときは、まあ困ったらしねばいいかって、つらいことがあればすぐしのうって思ってたからなにもこわくなかった

のに、

自分にとって大切なひとができて、たくさんの安定した毎日と愛情をもらって、そんで自分も誰かの大切な人になっ出るということを身をもって知って、まわりのひとがいままであなたは大切だよって言ってくれてたことがようやくわかった、わたしが周りを思うようにもしかしたら同じように思ってくれてる周りの人もいるのかもしれない

そしたら途端にしぬのがこわくなった、
ともだちも恩師もすきなひとも、みんなみんなしあわせでいてほしい

自分が関わってきたことのある人たち全員、しあわせでいてほしい、

もちろん、苦手だなとおもって離れたひともいるしもう二度じぶんの人生にはあらわれてほしくないな、と思ってしまうひともいるけど、その人たちでさえ、自分に見えないところで、しあわせで充実した毎日をおくっていてほしい




こんなこと、願ったって祈ったって、自分の力じゃどうにもできないことで、
自分には目の前の人を大切に、自分が後悔しないように接することしかできない

それをわかってるのに、目の前のたのしみだったり一時の気の緩み、慣れ、でそれを怠ってしまう

そのくせ、大切な人たちを失いたくないと不安になる、自分の見えるところでしあわせでいてほしいと願ってしまう、自己満でエゴできもちわるい


不安になってどうしたらいいかぐるぐる考えるけど、結局目の前のいまを大切にするなんていう当たり前の結論に戻ってくる

当たり前のことができてないのに、それ以上のことを望んでしまう人間

人事を尽くして天命を待つ


この言葉に尽きるんだよな、とおもう
芦田愛菜さんもどこかでいっていた気がする。

自分に決定権があるとおもってしまうとつらくなるから、自分はできることをやって、あとはなるようになれだ、と


それがわかっているのに、できない
人事がすべてを左右してしまうと心では思ってしまっている、なのに人事を尽くすこともできない

とことん怠惰な人間だな、と思う
怠惰で、臆病で、なのに良い結果だけほしい

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