考え方の変化
コロナウイルスが流行しているこの数ヶ月間は世界の歴史として語り継がれることは間違いない。正しくは数ヶ月間ではなく、現在進行形でその期間は伸びているが、果たしていつまで続くのだろうか。
初めの頃は全てがオンライン化された環境に慣れる必要性さえ感じず、ただ嫌がるだけであった。授業はオンライン、友達と話すのもオンライン、趣味のダンスレッスンもオンライン、サークル活動もオンラインになった。おまけに楽しみにしていたアメリカへの半年間留学もサークルの公演(英語劇)もすべてが中止となった。当時は非常に落ち込み、オンラインで行うこと全てが面倒だと感じてしまった。コロナウイルスが流行り出してから悪いことしか起きないし、良いことは起こらないと自ら悪い方向に持っていってしまったのだ。
’コロナのせいで’を心の中で呟くことが癖になり、できない理由全てをコロナウイルスに押し付ける毎日になっていた。
ある日それではだめだと思った。動かなければと。何かをしなければと。最初の1歩は長岡ゼミに入ったことである。ゼミをきっかけに、今まで気づいてはいたが気づかぬふりをしていた自分の弱点に気づけたのだ。以前はその場しのぎの知識を身につけることに対して熱心になっていたことに気づいたのだ。そして自分から何かを人に発信するなどのアウトプット全般をしてこなかったことを実感したのだ。私はゼミを通してつねに問題意識を持つことの重要性と1つ1つのことに成長的能力観をもって行動することの重要性を学んだ。そして、今は自ら情報発信をしようと動き始めている。
ゼミに入った後、コロナウイルスと大学生の戦いは予想以上に長期戦になることがわかってきた。そんな時、サークルでも新たな動きがあった。私が所属する英語劇を行うサークルでは、公演の代わりに1人1人が自宅で撮影した動画を編集して公開する方針になった。99代続く歴史で初めての試みなのではないかと思う。私達は新しいことに挑戦せざるを得ない状況に立たされているのだ。それなら、この機会を存分に利用するのみだ。成功するか失敗するかはさて置き、この挑戦は私にとって非常にわくわくする試みであった。動画は未だ完成はしていないが、視聴者の反応だけでなく私自身も完成作品を見るのが楽しみである。この時から、不可能になってしまったことの代わりに、新たな可能性を開拓することができることを実感し、希望を持ち始めたのだ。
コロナウイルスによる自粛生活を通して将来のことを考える時間も増えた。これはコロナウイルスによって将来への不安を感じることがより一層増えたからである。今までは、インターンなどの就職活動をした後、就職して社会人になるんだろうなあ〜とゆるーい人生設計を立てていた。しかし、今の時代、環境が整ったインターンができるのか。まず就職ができるのか。このまま大学に行けない日々が続いた時、自分に残る能力が何かあるのかを考えた。この時、もう1度しっかり考えて動かなければならないと思った。そんな時、働き方の変化によって私の考え方も変化した出来事があった。現在でも大学生に限らず、未だオンラインで仕事をする状況が続いている社会人も多いはずだ。オフィスの必要性を疑いはじめる企業が多いと聞いた。この考え方はコロナウイルスによって多様な働き方がまた一つ可能になったことを証明しているといえる。都内から地方に引っ越して自然と共に仕事をする人が存在することが非常に興味深い。このような働き方の多様性の変化は、私自身も『もっと自由に職業に関する選択肢を広げて考えていいのではないか』と感じるきっかけとなった。オンラインで仕事をすることに対して違和感がなくなれば、移動時間を他の時間に当てることができる。私はこの変化によって復業がより可能になるのではと考えた。例えば会社員と劇団を両立している人は、非常に時間に余裕ができ、2つのバランスを保って取り組めるようになったのでないか。このように副業ではなく、復業。これが可能な企業や社会人が増えるのではないか。そうすれば1人でも多くの人がより自分のやりたいことを仕事にできるのではないか。こんなにも単純に考えすぎてしまってはいけないのかもしれないが、私は少し希望を感じた。人によって違う働き方があるのは当然のことで、100人いれば100通りの違う働き方が存在する。これをはっきり認識できたことは良い機会であった。職業の選択に関する視野を広げることができたのだ。
コロナウイルスによってもう1つ変化したことは家族といる時間が増えたことである。両親は以前のように出勤しているが、私は大学に行けないため、ほぼ毎日自宅で授業を受けていた。そのため、親が帰る時には私は必ず家にいた。夜ご飯も毎日一緒に食べている。私はそこであることに気づいた。何も話すことがないのだ。一日中家にいるとオンライン授業や課題の不満について以外に話すことがない。以前から1日の出来事を親に話すことはあまりしなかったが、それにしても何も話すことがない。家族に対して話のネタを必死に考えなければ、会話が続かないという体験をする日がやってくると思わなかった。しかし、同時に両親との会話の大切さを実感した。要するに人とのつながりの重要性である。人との会話が減った今、寂しさが日を経つごとに増している。オンラインで話すことも楽しいが、終わった後の喪失感が何と言っても悲しいのだ。そのため、両親と話すことは非常に気分転換になる。孤独感や喪失感が薄まるのだ。また、外出自粛生活を通し、オンラインのみで生活することは、私にはできないと感じた。誰かと直接繋がっていたいのだ。
一方で新しい出会いに関してはオンラインでも充分可能であると感じた。私はゼミに入ってから1度もゼミ生や教授と直接会ったことがない。直接会って会話するよりも、始めはやはり緊張するし、相手との距離感を掴むのに時間がかかるような気がした。しかし、この数ヶ月でリラックスして話すことができるようになった。相手の身長や体格、服装の好みは正確に読み取ることはできないが、それ以外はあまり変わらないなと感じた。また、仲良くなる上で大切なのはインフォーマルな会話であることに気づいた。ゼミの他にサークルでも、1年生に対して直接会って勧誘することができなかった。そのため、サークルで1年生を歓迎するために15分ほど毎日行ったzoomでは、班に分かれて英語のクイズで正解数を競うゲームなどをした。また、週1回行う1時間〜2時間ほどのzoomでは堅苦しいサークルの説明は動画にし、それ以外はずっと雑談をしていた。その結果、非常に仲良くなれたのだ。班の1年生が同級生のみでLINEグループを作っていたのだ。また、そのグループで遊びに行っているようだった。
ゼミやサークルで行ったzoomを通し、オンラインでも定期的にインフォーマルな会話をすることによって仲が深まることがわかった。
3月から7月を通して何度も感じたことは自分で判断し、自分から積極的に行動することの重要性である。これは、withコロナでもafterコロナでも、これからの時代を生き抜くために必要最低限しなければいけないことだと考える。学生は大学に行けば新しい出会いが容易にできる環境があった。また、大学に行き授業さえ出れば、友達との雑談や行き帰りの過程を含め、新しい発見ができる環境があった。しかし今は、出会おうと行動しなければ出会えず、学ぼうと自分からはたらきかけなければ学べないのだ。私はこのコロナウイルス期間に自己責任を意識するようになった。もはや、自分以外の他の何かを理由に後悔することができないのだ。私は今年の夏休みは精一杯できる範囲で行動することを決意した。