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5/24 雑記

23歳になりました。精神的には22歳も23歳も変わらないから誕生日もそこまで気に留めることはないです。

とか思ってたけど、朝起きてスマホに表示された“5/24”という数字を見るとワクワクしてる自分がいて、そりゃ23年もこの数字と付き合ってるんだからそうだよなあと思ったり。無意識のうちにいつもよりメイクを丁寧にして髪もちゃんとセットしてお弁当までこしらえる自分がいた。23歳の私も誕生日を楽しみにしていたのだ。

小学生の頃の誕生日は、まるで世界が変わるような、そんな感覚をもたらす存在だった。ワクワクよりもドキドキ、嬉しさを超えてうっすらとした未知なる怖さを感じていたように思う。6歳と7歳は全く別の世界線だし、9歳と10歳なんて桁が 1つ上がるんだから、それはもう一大事だった。小学生の私はその時に向けて1ヶ月前から心の準備をしていたと記憶している。

23歳の誕生日のワクワクは、会社に遅れてはならないという圧ですっかりどこかへ消えてしまっていた。満員電車に乗る私にとって、2024年5月24日は普通の金曜日で普通に仕事の日でしかなかった。

しかし研修室に行くと私と一緒に営業からSEに転向した友達が、これ、と言ってパックをくれた。私のLINEアイコンに風船が飛んでいるのを今朝見かけて知ったのだと言う。誕生日なんてすっかり忘れていた私は「なかなか環境とか仕事に慣れないけど頑張ろうね!」と可愛い付箋に書かれたシンプルで、でもとても優しい甘さを含んだメッセージに、ふと泣きそうになった。私もこんな人になりたい。誕生日に限らず、その人の特別な何かに気付ける人になりたいと思った。

研修を受けた後は1時間ほど同じ部署の先輩達と話せる相談会があった。2年目3年目の先輩とがっつり話すのは今日が初めてだったけれど、みんな本当に素晴らしく出来た人達だった。時間切れで私が質問できなかった様子を気にかけては、この後でもよければいくらでも質問に答えるよと言ってくれる人がいたり、痒いところに手が届くような回答をする人がいたり、本当にみんな良い人達だった。私も3年後にあんなしっかりとした受け答えができるようになるのだろうか。全くイメージができない。
会社に入る前から良い人が多い会社とは噂に聞いていたけれど、こんなにも良い人ばかりいる環境はなかなか無いんじゃないかと思う。私は小学校の頃から習い事、部活、バイトまで、良い人ばかりいる環境にいた。これは一種の運だと思っている。あまりにも人間関係に恵まれすぎている。

その後20時前に新宿に着いて、元々籍を置いていた営業の同期達との飲み会に合流した。みんな既に酔っていたし遅れて来た私は1番端っこの席に座っていたこともあって、全然会話に入れなかった。私はお酒が飲めないからシラフの状態で酔っている同期を見る訳で、それはそれはしょうもない内容で彼らはゲラゲラ笑って手を叩いていた。やっぱりお酒飲めた方が絶対人生楽しいよなと思いながら、美味しくない餃子をジャスミン茶で流した。別にその人達がつまらないという訳ではない。ただシラフかつ捻くれ者の私からすると、“同期”という枠に縛られることで安心したい人達が集まって大きな声を出し合うことによって共に仲間だと確認しあっているように見えた。何となく大学時代の部活を思い出してしまって、さらに餃子の味がしなくなってしまった。

営業とSEの両方に所属している私はラッキーだと思う。自分の居心地が良い方に都合よく行ったり来たりすることができるからだ。
営業の人たちは割と仕事仲間=友達という式があって、休日でもBBQできる仕事仲間を至極の人間関係と考えているような節がある。対して私が今メインで所属しているSEの方は、仕事仲間は良い意味でどこまで行っても仕事仲間の域を超えない。休日にBBQできる人を仕事仲間から探そうとしない分、割り切った付き合いができる。後者派の私からすると、今日の飲み会は少し疲れた。付き合い感の強い飲み会だったな。嫌とまでは言わない、けれど半年か1年に1度でいいなと思う。

終電で埼京線に乗り込み、渋谷で東横線に乗り換えて一息ついた時、スマホを覗くとちょうど0:00という数字が見えた。

5/24が終わった。私の23歳の誕生日が終わった。

小学生の頃ってもっと誕生日が楽しみだったよなあとか、今朝早く家を出たから家族からおめでとうと言ってもらえなかったなあとか、そういえば恋人からも直接おめでとうって言われなかったなあとか、今日の飲み会楽しくなかったけど付き合いのために少し無理しちゃったなあとか、色んな感情がごちゃごちゃになって、ほんの少しだけ泣いてしまった。きっと連日の研修の疲れもここで出てしまったような気がする。泣いた瞬間に、パソコンやお弁当、研修資料が入ったリュックサックが異様に重くなったように感じて、まるで私の心を表しているみたいだと思った。虚無感に近いのかもしれない。今まで誕生日を尊いものだと思っていた分、普通の日として扱ってしまった自分に対して嫌に大人になってきちゃったなと思った。自分がこの世に生まれた日を、毎日のルーティンワークでいっぱいいっぱいになって祝えなかったことは、とても貧しいと思う。大人になると誕生日が普通の日になるよと話す両親の気持ちが幼い私には全く理解ができなかった。世界の彩度がいつもよりグンと上がる誕生日が普通の日になる訳無いんだから、と。しかし23歳になって少し分かってしまったのがつらい。

コンビニスイーツを買ったりしていつもと違うことをすれば少し特別感が出て誕生日を楽しめるかなとも思ったけれど、もう最寄駅に着く頃には1時を過ぎていたしコンビニに寄る元気も残っていなかったので、そのまま家族が寝静まった家に帰った。

こんなに誕生日の記憶が無い年は初めてで少し戸惑っている。でも全く何も無かった日という訳では無くて、友達からのあたたかいメッセージに嬉しくなって、素敵な先輩達と働ける数ヶ月後にワクワクして、付き合いで飲むという大人の技も身につけることができたから、今日は良い日だったと思う。
23歳も楽しんでいくぞ!