世田谷代田を歩きながら考える運命論


今日は海の日。
7月の第3月曜日だ。
多くの人は久しぶりの3連休で小躍りしていることだろう。

かくいう私もその1人で、金曜は先日のAmazonプライムセールで買ったキッチンカートを夜な夜な組み立て、今まで床に置かれていた調味料たちの炊飯器をキッチンカートに整列させた。
お家ができてよかったね。

しかし連休でやろうと思っていたキッチンカートの組み立てが連休前に終わってしまったので手持ち無沙汰な連休を過ごすことになった。

土曜日はなんとなくセルフジェルネイルがしたくなり、YouTubeで調べて夜にseriaにいそいそと足を運んだ。
最近ダウンロードした歩数アプリが10000歩歩くと褒めてくれるので、私は世田谷代田までOfficial髭男dismの「subtitle」を聴きながら歩くことにした。
結局夜といえども暑いことには変わりなく、「火傷しそうなほどのポジティブ」という暑さ連想ワードに敗れた私はすぐにSpotifyで「夏の夜」と調べて1番上に出てきたプレイリストを流し始める。

東京は街頭が多い。
少なくとも20メートルおきには灯りが見える。
どうして高校生の頃はあんなに田舎で人通りもない暗い海沿いの道を、何も気にせず自転車を漕ぐことができたんだろうな、と思いながら歩いていると世田谷代田駅に着いた。来た道とは違う道で帰ろうと思ってGoogleマップでルートを見つけ、住宅街を歩き始める。

街頭で照らされた夜道をSpotifyチョイスの森山直太朗の「夏の終わり」を鼻歌で歌い、(お盆もまだなのに夏を終わらすな)と思いながらもトボトボと歩いていると遠くに太陽のマークの方のデイリーヤマザキを見つけた。

旧ロゴを見たのは久しぶりだったので珍しさを感じ、近づきながら見つめてしまった。
視力1.0の私は店の前に置かれた立て看板の下から火が上がっているのに気づいた。

しかし初老の男性と女性が燃えている看板から動かない。
だんだん近づく私より少し早く店の前に着いた通りすがりの女性が「何してるんですか?」と尋ねた。
それが聞こえたところで私も看板の前の初老の男性と会話ができるポジションに辿り着いた。

「送り火を焚いているんだよ」

穏やかそうに初老の男性はそう返してくれた。
東京のお盆は7月で7/13に迎え火を焚いたので、今日は無事に帰れるように送り火を焚いていたとのこと。
お嬢さんはお盆はどうしてた?と聞かれたので、祖父母の家では8月の頭ぐらいに山奥に行って迎え火焚いて長机と同じ大きさの葉の上にたくさんの位牌と果物が並べられていたことを伝えた。
やっぱり地域によって違うのね、と感嘆した様子だったが強風で送り火の小さな火種が飛び始めて大変そうだったのでお礼を言ってまた歩き始めた。

自宅に向かう中、私は最近スーパーで割り箸を刺されたきゅうりやナスやカラカラの麻を見るたびに(まだ早くね?東京は早めに買わないとお盆ギリギリだと全部売れてしまうの?)と思っていたことの伏線回収がされたことに満足していた。

そして、たまたま夜に散歩しようと思ったこと、今日この道を歩いたこと、送り火を見たこと、前々から決めて動いたことではなかったので運命論を噛み締めていた。

うんめい‐ろん【運命論】
読み方:うんめいろん
世の中の出来事は、すべてあらかじめそうなるように定められていて、人間の力ではそれを変更できないとする考え方。宿命論。

https://www.weblio.jp/content/%E9%81%8B%E5%91%BD%E8%AB%96
小学館 デジタル大辞泉 より

『自分に人生の最終決定権があると思ってしまうと、うまくいかなかった時に自分を責めてしまう。結果は決まっていて自分はそこに行くための方法を選んだだけ。そう思えると、楽になると思います』

「岬のマヨイガ」完成披露試写会にて

女優 芦田愛菜さんも運命論について上記のように述べている。

私なりの解釈を交えて言わせてもらうとビッグバンが起きて宇宙やら地球やらができた時から私たちがいつ生まれ、何をし、誰と生き、どんな選択をしてどんな学歴や職歴を歩んでどう死んで行くのかは全て決まっている。
全部決まってることだから別に自分が悪いわけでも周りが悪いわけでもない。
だからこそ何を考えてどういう気持ちや目的を持ってその選択に至ったのかを知ろうとするのが重要になるということなのだ。

キッチンカートを買ったのはプライムセールで安いタイミングだったから。
組み立てたのは調味料や炊飯器が生活動線にあるのが邪魔だったから。
セルフジェルネイルがしたかったのは先日会った友だちがしていて意外とセルフでも綺麗にできるんだな、と思ったから。
YouTubeで調べたのはモノ選びの時点で失敗したくなかったから。
世田谷代田まで歩くことにしたのは道路標識の看板に書いてあったから。
Official髭男dismの曲を聴くことにしたのはドラマsilentを観ていたから。
夏の夜プレイリストを聴いたのはsubtitleが冬の歌で季節感がないなと思ったから。

歩こうと思ったのはなぜか分からない。普段は自転車移動が主流で夜に散歩することはほとんどない。
東京のお盆がいつなのかを調べなかったのはなぜか分からない。気になったことがあれば普段はすぐに調べるはずなのに。
森山直太朗の曲が流れたタイミングで送り火にたどり着いたのはなぜか分からない。初めて通る道なのに。
どうして今こうやって運命論について書き連ねているか分からない。

この土曜日の夜だけでもこんなに必然の偶然に溢れている。
自分が冬の歌を聴き始めた時は今が夏であることを忘れていたし、こんなに連休の気温が高くなければ冬の歌に嫌気がさすこともなかっただろう。
夏の夜プレイリストを流さなければお盆というワードが頭を掠めることもなかっただろうし、東京のお盆が7月ということにこんなに感銘を受けることもなく、こんなに運命論について書きたくなることもなかっただろう。

芦田愛菜さんが言うように自分を苦しめないためにも運命論は役に立つ。
ただ、運命論を掲げる者が毎日を運命論に当てはめているわけではなく、こういった考え方は毎日を楽に気負わず生きられるようなツールの一つでしかない。
運命論について努力を否定するなだとか、投げやりだとか、賛否両論ある。
ただ、今週の私のように何も考えずに行動していた気がするからこそ、こういった巡り合わせはふとした時にどうしても生まれる。
何も考えてないように見えて上手くはまっている毎日だからこそ、何者かの手の上で踊らされていたような事実を面白く感じてしまう。
面白く感じてしまった事実があるからこそ自分の行動の意味を探ってしまう。
この繰り返しで自分の行動の意味や深層心理知ることで自分の決まっている行動も深く、意義のあるものだと認められるのだ。

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