Episode color:01 海の思い出
--七月下旬頃。
連日猛暑の気温が当たり前にのように続いている。
都市部より、少し離れた駅の高架下。飲食や雑貨など色んなお店が並んでいるところに、一軒だけちょっと変わったお店がある。
--Collecter des Couleurs(コレクター・デ・カラーズ)。
意味はフランス語で「色の採集屋」。主に万年筆やガラスペンで使用するボトルインクを販売する店舗兼工房として営業している。
お客様の悩みから色を提案し、時には色を調合することで、ここでしか手に入らないお客様専用オリジナルのインクを作ることもある。
さて、今日のお客様は、どんな色をお求めになるのでしょうか?
✒︎ ✒︎ ✒︎
「今日も、うんと日差しがキツいなぁ」
私、萌木 榛菜は「Collecter des Couleurs」の店員として勤めている。
開店してまだ間もないけど、人通りが少ないうちにお店の前でコンクリートの暑さを少しでも和らげるため、ホースのシャワーで水を撒いている最中だ。
なんと言っても、今日の最高気温は三十度を軽々と超えている。
(さて、一旦これぐらいにして戻ろう)
水撒きを終えた頃には、額から汗の雫がこぼれ顔に滲んでいた。
「ヴィスさん、水を撒き終わりました……って、ヴィスさん⁉︎」
「うぅ~、あ゛〜づ〜い……。日本の夏は、ホント、いつも蒸し暑い……」
カウンターの裏手にある部屋を覗くと、金髪の男性が、夏の暑さでバテて机の上に顔を伏せている。
彼の表情はドロドロになり、今にも体が段々小さくなって全身まで溶けそうだ。
--彼の名前は、ヴィス・フォンテ。
イタリア人の父親と、日本人の母親を持つハーフでイタリア出身。彼がこのお店のオーナー兼店長であり、普段は明るくて飄々とした性格なのだけど……。
「仕方ないですよ。年々、平均気温が上がってますから」
「だとしても、暑すぎるよぉ~……。これは動けないや……」
「えぇ〜そんなこと言っている場合じゃないです!」
エアコンの冷房を入れ、サーキュレーター代わりの扇風機も回しているとはいえ、節電の影響で涼しい感覚は薄い。
だらける彼を見て、私は少々呆れていた。
お客さんが来るまで、棚の掃除をしようとした矢先……。
--チリンチリン。
店の扉が開かれ、ベルの音が鳴っている。
「ほら、お客様が来ましたよ」
「よし、気合い入れるとするかぁ」
ヴィスさんが気合いを入れ直している間、私はカウンターへ出て、先にお客様を出迎える。
「いらっしゃいませ!」
ご来店したのは、ショートカットの髪型をした若い女性。リクルートスーツを着ているから、きっと就活生かインターンシップに通っている人だろう。
彼女は中に入った後、ひとまず、透明のアクリル棚にあるボトルインクをゆっくり眺めている。
「……」
色々と眺めているうちに、お客様は何か気になったものがあったのかじっと見つめている。
(何か、悩まれているのかなぁ? ひとまず、声を掛けてみようっと)
「あの……、何かお探しの色とかありますか?」
「あっ、す、すみません! つい、見惚れてしまって。どの色が良いのかなぁと迷ってまして」
「でしたら、ウチの店長にどのインクの色がいいのか、相談してみませんか?」
「え?」
「何かいい色が、見つかるかもしれませんよ?」
話しているうちに、当の本人がひょっこりと現れた。
「いらっしゃいませ。店長を務めてます、ヴィスと申します。お探しの色に悩まれてましたら、是非聞かせてください」
さっきとは打って変わり、彼お得意の営業スマイルが輝いている。
「は、はい。実は今度、祖母に暑中見舞いを出そうと思っているんです」
「あぁ! あの夏の挨拶のお手紙ですね」
彼は、元々イタリアで生まれ育った為、日本の風習に馴染みがなく、留学してから暑中見舞いという夏の挨拶に使う言葉や手紙があると知ったそうだ。
「どんな感じのもので考えてます? 例えば、ハガキの絵柄だったり……」
「ハガキなんですが、海のイラストがあるので……」
そう言って、彼女は、黒の革製カバンから取り出した。
表面は、切手の貼り付け欄にヒトデの絵柄と郵便番号の枠が入った私製ハガキだ。その裏面には、右端にお客様が言ってように海岸の水彩画が施されている。
「へぇ〜。これは。キレイなデザインですね」
「えぇ。先日、文房具屋さんに行ってハガキを探してたら、良いのがあったので」
ハガキを見るだけでも、話題が膨らみそうだと会話をする店長とお客さん。
「もし、よろしければ、お茶しながらインクの色決めませんか?」
「え? お茶、ですか?」
さすがに、そう怪し気な誘い方をされるとお客さんが引いてしまわないかと、私は心配になる。
「いやぁ、もちろん無理強いはしないし。ほら、お茶代なんてのは取らないから」
ヴィスさんは、イタリア人特有の陽気さで女性に口説く習慣がある。
「じゃあ、是非……」
「では、どうぞカウンターの方へ。榛菜さん、早速だけどお茶を淹れてあげて」
「わかりましたー」
彼は心の中でヨシ!っとガッツポーズをしながら、女性客をカウンターへ誘導していた。
(よほど、嬉しかったんですね……)
私は苦笑いしつつ、ひとまず冷たいお茶を淹れにいくことにした。
✒︎ ✒︎ ✒︎
「お待たせしました、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ、ご来店ありがとうございます」
ヴィスさんが候補になりそうなインクを探している間、私は冷たい緑茶を彼女に提供し、少しでも緊張を和らげられるよう話し始める。
「そういえば……、差し支えなければですが、お客様のお名前とかお伺いしても……?」
「大丈夫ですよ。私、琴平ひまりと言います」
「ひまりさん、ですね。私、萌木榛菜と申します」
(お客様の下の名前、可愛らしい……)
ひまりさんは、ひと息ついて緑茶を一口飲む。
すると、ヴィスさんが三種ほど、トレーの上に乗せたボトル瓶を運びながらカウンターへ戻ってきた。
「お待たせしました! いくつか候補を挙げていきましたので、もし良かったらインクの色見本と試し書きをどうぞ」
「は、はい」
彼が選んだのは、全て青色……。
ただ、同じ青でもニュアンスが違う。
インクを出した状態で色味の見てもらうため、彼は一つずつ、スポイトで白い豆皿に出していく。
出した時点では、どうしても外見は全部黒に見えるだろう。
しかし、豆皿を持って少し傾けながらと見ると、インクの黒味から紙に書かれた色見本とほぼ同じ色がチラッと映る。
一つ目は、水色よりも鮮やかで淡い。
二つ目は、藍色よりの深みがある。
三つ目は、水色と比べると、少し緑が垣間見える。
どれも、捨て難いぐらい、あのハガキのイラストに合いそうな色だ。
「うわぁ……、どれもキレイ……」
ひまりさんも、キレイな青のインクを見て、まるで宝石を見るかのように目をキラキラと輝かせている。
「あと、試し書き用の紙とつけペンで一個ずつ試すのですが、次の色を試したいときは僕にペンを渡してください。洗ってから別の色をつけますので」
ヴィスさんは、A5サイズの試し書き用の紙を差し出し、ひまりさんにインクのついたつけペンを手渡す。試し終えたら、別の色の試し書きを用意するために水の入ったコップを洗い流し、柔らかい布で軽く水気を拭って別の色へと繰り返す。
(試した中で、ひまりさんはどの色を選ぶのかなぁ……?)
私は、ヴィスさんの隣に立って見ているけど、ひまりさんの選ぶ色が気になって少しウズウズしていた。
「どうしよう……。どれもキレイな色だから、本当に迷っちゃう〜」
彼が厳選した上で三つに絞ったとはいえ、ひまりさんが悩むのも無理はない。
「失礼、彼女のお名前は……?」
「お客様のお名前、琴平ひまり様です」
私が、彼にコソッとお客様の名前を教える。
「あぁ、ありがとう。ひまり様かぁ……。可愛らしいお名前ですね」
「い、いえ、とんでもないです」
彼女は、恥ずかしさから照れが出て頬を赤くしている。
ドラマとかでしか聞き慣れないセリフをサラッと言えるなんて……恐らく営業トークなんだろうけど。
「ヴィスさん、ひまりさんが困ってますよ」
「あぁ、そうですね。失礼しました。では、ひまり様」
「はい、何でしょう?」
彼は仕切り直して、ひまりさんに、質問を投げかける。
「ひまり様のプライベートのお話とも混じりますが……話せる範囲で大丈夫です。どちら様へその手紙を送る予定ですか?」
「あっ、これは私の祖母宛なんです」
「お祖母様なのですね」
ヴィスさんは、インク選びのアドバイス案を見つけるために会話で手探り始めた。
これを聞き出すことによって、ひまりさんの選びたい色の糸口を見出せるのだろう。
「はい。小さい頃から、家族でよく祖母の家に行っていたので」
「なるほど。じゃあ、お祖母様との思い出はどんなものでした?」
「そうですね。祖母の家の近くが海なんです。祖父は昔から漁師をしてて、今も趣味で釣りもやっています。ただ……」
「ただ?」
ここで、ひまりさんが少し言葉を詰まらせた。
話していくうちに、何か引っ掛かることがあったのかもしれない。
「あ、ごめんなさい。今は大丈夫なのですが。実は……、私が大学入ってから間もない頃に祖母が一度入院してしまって。退院してからあまり身体が動けないということで、最終的に施設で暮らすことになったんです。それに加え、私も大学行ってからなかなか実家に帰れていないのと、特に今は就活中なので……」
「あぁ、そういうことだったのですね」
就活の年になると、内定が決まるまで尚更帰ることが難しくなったひまりさんは、苦笑いするも僅かに悲しそうな表情を見せた。
今も、懸命に自分の志望の業界に入りたいと探しては面接を受ける日々。
彼女と同じくらいの時は大変な思いをしたから、私も気持ちは分かる気がする。
すると、聞いていたヴィスさんは何かを閃いたかのように、こうアドバイスを提案した。
「ひまり様のお祖母様は、施設に入ってから海のことは……」
「そうですね。今住んでいる施設先は、海が見れない地域なので引っ越しの時は寂しそうでしたね」
「なるほど。でしたら、その当時の海の色ってのは覚えてます?」
「え?」
彼女は、キョトンとして驚く。
いよいよ、ここからが彼が得意とする、色の選び方のアドバイスが始まる。
「確か……、水色だったはずだけど……。いや、少し緑があったような?」
「実はですね、三つ目のブルーだけ、ご当地系のものなんです。生産者の方に聞いてみたら、その土地の海をイメージしたインクの色なんです」
「へぇ~」
「身体が不自由で外へ出られなくても、この手紙に文字で海辺で過ごした夏休みの思い出を連想させるのはどうかなと思いまして」
「あ……」
私は声を上げることをしなかったものの、ひまりさんと同様に驚きを見せ、その発想には至らなかった。
要するに、彼の言いたいことは、思い出の海の色を文字に乗せるということだ。
「それに、ハガキが届いた後も、ちょっとした話題作りのキッカケになるかと思うんです」
「なるほど~! そっかぁ、そこまで思いも寄らなかった……。祖母から電話でお礼が来たら、また会話が膨らみそう! 流石、ヴィスさんですね」
ヴィスさんの提案に、彼女はすごく感心している。
私も送った後のことなんてお礼で話しかける以外、全く想像つかなかった。
「もちろん。あくまでも、これは僕からの提案なので」
「そうですよね……。うん、これが良いかも。決まりました!」
少し間を置き、彼女が決めた色を指で指す。
「これにします!」
「かしこまりました、ありがとうございます」
彼女は、満面の笑みで気に入った色のボトルインクを選び購入した。
✒︎ ✒︎ ✒︎
「本当に参考になりました! 一緒に選んでくださってありがとうございました」
「いえいえ」
「これで、祖母が喜んでくれたらと思ってます」
ひまりさんは、手にしたインクを入れた紙袋を、愛おしそうにキュッと抱いている。
「えぇ、きっと喜んでくれますよ」
「そうですね。では、私はそろそろ……」
「はい、ありがとうございました! お気をつけて」
ひまりさんは満足して笑顔で手を振り、店を後にした。
彼女の姿が見えなくなった後、私は彼にあることを尋ねる。
「ねぇ、ヴィスさん」
「ん?」
「青色でも数が沢山あるのに、どうしてあの三色を選んだのです?」
海の色とはいえ、濃淡を含め種類があって選びきれないはず。
なのに、どのような方法であの三色に絞れたのか、私なりに気になっていた。
ヴィスさんは「教えて欲しい?」と言いたそうにニンマリと顔を見せてくる。
だが、質問した種明かしのことになると、意外とアッサリした回答だった。
「ん? あぁ、実は彼女が購入していたあのハガキからヒントを貰ったんだよ」
「え? あの絵柄からですか?」
「うん、そうだよ。簡単な答えを言うならば、水彩画で描かれていた海色のグラデーションからどの色が懐かしいと感じるのかなぁと」
ヴィスさんは、その絵柄を見ただけで瞬時に選んだというが、私には真似出来ない職人の業だ。
「あの絵柄を選ぶということは、海にまつわる思い出など、何かの意図があるからだよ」
「ほぇ~」
「だから、僕のお陰じゃなくて、彼女の意思を尊重して選んだ、ということ」
「そうなんですねぇ……」
夏の海だからという、単純な理由だけじゃない。
受け取る相手に懐かしんでもらうための色を選択する、そのお客様の気持ちを汲んだのだと。
手紙を受け取った時の思いを感じながら、文章を綴るのも手紙の醍醐味の一つなのだろう。
「さて、お客さんを見送ったし、ここにずっといてると暑くて融けちゃいそうだから、そろそろ戻ろう」
「確かに……」
「あ、そうだ! 僕、ジェラートが食べたいなぁ」
「仕事が終わったら買って帰りましょう! 今は、まだ営業中ですから」
「えぇ~そんなぁ……」
今日の真夏の日差しと熱風に、私たちは全く勝てないのでお店の冷房で涼みに戻る。
私にとって、ここはインクを単に選ぶだけじゃなく、色んなことを発見が出来る。
手紙を送る側の気持ちになった時、どのような想いを持ちながら文の色にしたいのかをここで一つ学びが増えた。
--懐かしの夏の日差しと海の色に揺られて……。
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