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古いミシンとわたしの事情

デジャヴが起きた。
布を合わせて待ち針を打っている時、これを前にも見た。と思った。

この生地を 縫っていた。
縫う夢を見ていた。この生地だった。


被服、わたしが諦めたもの。


高校に進学する時、家政科を選んだ。
母親がずっとアパレルの仕事をしていて、実家で小さなブティックを営んでいた。

母親が昔働いていた原宿に連れていってくれた時、わたしはロリィタ服に一目惚れした。
ママはボーイッシュなわたしが好きなのに。ごめんね。


小さい頃は両親の趣味でずっと男の子みたいな服ばかり着せられていて、なぜか毎日迷彩柄に包まれていた記憶がある。

+、赤ちゃんの頃足がすごく湾曲していて、「この子には恥ずかしくてスカートは履かせられない!」と家族に言われていたらしい。脚は太いけどすごくまっすぐになったよ。よかったね。


そう、ショップ店員になりたかった。
そう言えば家政科に相応しい人になれると思った。



えっ

わたしって 不器用だったの?

詰んだ。 


おかしい。
中学の家庭科の成績、だいたい5だったし、
幼稚園の先生が「わたしちゃんは手先が器用でとっても細かい絵を描いていて驚かされます」ってメッセージ書いてくれてたし、

………


前者はテストの点数が良かっただけだ。一夜漬けタイプだから。
五教科だけじゃなく、技能科目も抜かりありません。
プリント覚えただけで98点取れたことある。得意科目って豪語(笑)してる国語より点数たけーじゃん。


後者は、あの、わかりました。
やっとわかりました。気付いて吹き出した。

年少(はと組)
音楽会 トライアングル
年中(もも組)
音楽会 となりのトトロ
年長(ほし組)
餅つき

自分や友達の服装や髪型を完璧に覚えていて、それを再現した絵を描いていたからですね。
上履きの色の違いや靴下の模様も完璧です。

今見てもだいたい誰を描いているかわかるくらいのクオリティです。
こわいですね。
わざわざこれを描く時に友達のところまで行って上履きの色を確認した記憶がうっすらある。きも。

人の服装とかめちゃくちゃ覚えてて、再現しないと気が済まないんですね。

ああ、今こんな雲を描く発想力はないわ。
こどもってすげえ。勝てるわけがないわ。

器用とかじゃないよ、これ、いや、広義で言えば器用……かも……?


とりあえず 手先の器用さ の話ではなさそうだよ。


被服、わたしにとって挫折だった。そう思ってた。
ちなみに調理の方もからっきし、ひどく。

トップ合格の新入生代表だったはずが、肝心の家政科では落ちこぼれ!

ほぼ毎日被服室か調理室に居残り。
苦痛で仕方なかった。向いてない。向いてなかった。

本当は好きだったはずなのに。

家政科に入った理由。


友達と入学前に高校の文化祭の見学に来た時、3年生が恒例らしい各々手作りの衣装を身に纏いファッションショーをしていて、すごくときめいたから。

同じ理由で軽音部にも入ることを心に決めた。

一緒に家政科で軽音やろうって言ってた他校の友達は結局別の高校に行ってしまったけど。


被服も調理も検定に落ち続け、居残り続け………。

それでも3年生のファッションショーは楽しみだった。


わたしは、できない。
まわりの優等生たちはすごいドレスを作ろうとしていたけど、わたしには挑戦できない。難しい素材もきっと扱えない。

2年生の終わりに先生と相談しながらデザインを決め、春休みに生地を買いに行った。

先生が太鼓判を押すのは 日暮里の繊維街の『トマト』らしい。生地もよくわからないまま友達と3人で東京まで行き、なんとか買って準備をはじめた。

簡単な型紙のシンプルなワンピースに装飾だけ頑張ろうと決めた。それでも難航。

生地選びも、サイズ選びも間違えた。わたしって人間界的にMサイズでいいんじゃないの?採寸もろくにしなかった。ウエストがばがばだった。


春からひたすらみんなで放課後居残り。今まで居残りなんてしてなかった優等生たちももちろんいる。いつもはこの時間には部活を頑張っているはずの子たちも居たりして、新鮮だった。

文化祭は6月。2ヶ月で完成させる。
ショーの演出も自分たちで全部作る。

わたしは、本格的に受験勉強も始まった。
クラスで唯一の大学受験生だった。塾の時間ギリギリまで被服室で作業をして塾が閉まるまで自習という日々が始まった。大好きなライブには今までのペースで行っていたんだっけ。

被服室にいると時々軽音部の音が聞こえてきた。
でも、たしかにそんな余裕はなかったな。

みんなそれぞれに合った、〝らしいなー!〟という衣装を作っていて、わたしはすごく好きだった。

当日、本番、みんな泣いてた。

みんなで出番の子の名前を呼んで可愛いとか頑張れとかひたすら叫び続けていた。

ランウェイ(笑)すごく怖かった。

ファッションショーまでに外部の方が来てくれて、歩き方の指導もされたんだけど、「自分を出せていない」と言われ、戸惑った。
たしかに、きっと恥ずかしがって背中を縮めて下を向いて歩いていたんだろう。今でも人といる時には鏡が見れないわたしだ。(参照:身体醜形恐怖症)

本番はよく覚えていないけど緊張と高揚でわけもわからずずっとニコニコしていた気がする。

そういえば幼稚園のお遊戯会でも親に「ずっとニコニコしてたね」と言われたけど、あれは緊張の逆だ(^-^)

でもみんなが応援してくれたから、楽しめた。
自分がみんながたくさん頑張ったから。
わたしにとってはあれが今のところ人生で最高の日のまま。


それでも、なぜか文化祭の賞みたいなものにはひとつも選ばれなくて、自分が受験勉強と並行して1番忙しいくせに、みんな忙しそうだからという理由でポスターのイラスト担当も引き受けたんだけどポスターも選ばれなくて......悔しかった。けど、どう考えても2ヶ月、いや3年ずっと頑張ってきた自分たちが1番輝いてたから!

悔しくても自分たちだけちゃんと知っていたらいいってこともあるよね。


そういえばわたしの作ったポスターを見た先生たちが
「この人ってこんなメルヘンな趣味なの???」と言っていたらしいのですが……(^-^)わるいか



わたしが作った衣装はシンプルなワンピースに付け袖、付け襟、ボタン、リボン、髪飾り、といった感じでした。

いつも、ファッションショーが終わった後にショーケースに飾ってもらえるのは5、6着だけで、心のどこかで毎年先輩の作品を横目に憧れていたけど、なんとその中の1つとして選んでもらった。
落ちこぼれには無理だと思っていたのに。信じられなかった。それでもガラスケースの中の衣装はちょっと誇らしげに見えた。

本当はみんなのこと、みんなが詰まったドレス、大好きで絵にしたいくらいでこっそり描いてたんだけど完成しなくてプレゼントできなかったんだ。
それも含めて、結構ちゃんと大切に思ってた。

高校を卒業してからミシンを触ることはなかった。
手縫いで簡単に成人式と大学の卒業式の和服に合わせてリボンで髪飾りを作ったくらいかな。

でも、何回引っ越してもずーっとミシンは新居に持ち運んでた。どうせ使わないくせに。押し入れに「ミシン」と書かれたダンボールが居座り続けた。たぶん、心のどこかで未練があった。

人と比べてできないってわかったから辞めたの?
好きなのに?
挫折 だった?認めてもらえてたのでは?
勝手に諦めただけじゃない?


最近になってやっと、
わたしは好きなものに夢中になりすぎる自分が、
でもうまくできないってわかるのが怖くてブレーキを踏んでしまう傾向があるんじゃないかって気付いた。

そういう自分が面倒で疲れてしまうから後回しにしてきてしまったんだ。

生地とかリボンとかレースとかボタンとか、見てるの本当は大好きで、もっと自分の思う可愛いとか好きとか作りたかった。包まれていたかった。

本も好き。ギターの練習も好きだった。音楽も映画もきっとハマったらひとつひとつどっぷり浸かって帰ってこられなくなる。めんどくさい。こわいんだ。

とにかく何にだって夢中になって、疲れてあーもういいやって思ってしまう。
どうしようもないね。



だからこそ、片手間程度にまたミシン触ってみたかったの。

自分のバースデーライブとソロ曲のミュージックビデオで着用する衣装、作ってみようかなって。

またあの時より近くなった日暮里に足を踏み入れて、必要な道具を全て買い直して準備した。
久しぶりに箱から出してあげたミシンは専用のコンセントも無かった。
狭い部屋は布と型紙で足の踏み場もなくなったけど、何も怖いことなんてなかった。

助けてくれる先生もいないけど、絡まったのも自力で直せた!

大人になると、頑張って良かったなんて目に見えた結果もらえることなんてなかなかなくて、むしろ頑張らなきゃ良かったなんて思ってしまうことも多いけど、
別に結果とか賞とか貰えなくたって、楽しければそれでいいから「趣味」で「好き」ならば、好きなことはたくさんあっていいって思った。
だから挑戦してみてよかった。


はあ、この次はアナログの絵描きか、ギターか、自炊か......


生誕衣装、ぜひ生で見に来てください〜♪


通販で衣装チェキもお迎えできます!

ヘッドドレスはAngelic Prettyさんで一目惚れしたやつ〜これに似合う見合うようなものを作りたかったんだ……


http://tiget.net/events/339519


おやすみなさい。(絵を描く)

來世

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