真理の沈黙 真理は隠れたがる
素晴らしいおやつが食べられない
ここに素晴らしいおやつが用意されている。美味しくて栄養満点だ。子供ならただ、手にして口に入れれば良い。喜び溢れる体験だ。生きる喜びでもある。勇気も自信も得られる。
だが、それを糖尿病患者が・・ダイエット中の女性が見たら・・目を背けるだろう対象になる。
苦い薬なら、糖衣を被せよう。隠れキリシタンなら十字架を隠そう。廃仏毀釈を逃れ神社にも仏教を残そうとする。
そしてここに素晴らしいものがある。倫理法人会の『栞』だ。
そこには、平凡な宗教家・思索家が自ら学んだ仏教や徳目を再現性でスクリーニングした結果が整理されている。
※ハッピーハックでは徳目は性格であって、それにそぐわぬ人が真似をすると鬱病になると言っている。ベンジャミンフランクリンでさえ徳目の獲得は失敗した。徳目には矛盾も多く、整合性がない。
内容を批判しているのではない。
『倫理?それ宗教ですか?』
制度上の宗教法人ではないが、実質的に宗教団体である。それが私の結論だ。
ヒステリックに『倫理は科学だ・実験だ・教育だ』と思考停止に言う会員は多いが、例えば仏教やサイエントロジーにしてもその全てを擁しているのだ。
一応、神と救世主と教典と集合用組織・拡大指向を持つものを宗教団体という。
倫理法人会は、その全てを持っている。
どうしても宗教団体でないと言い張りたいなら・・私は考えた。現状においては創始者を聖人化・メシア化しないことだ。ただの学者に落とさねばならない。
丸山先生に対しての不敬。そうとも思える。だが先生は『私ではなく倫理理論を崇めよ』とのこと。そうあるべきだろう。先生ではなく倫理こそが後世に残る素晴らしいものだからだ。
だが、ここに倫理のカルト的宗教化の兆しが見える。それは、法人会の世襲制だ。悪気はなくとも、自分の生活の基礎と尊敬が尊属によるものなら誰でもそれを神格化したくなる。自分の存在と正当性は丸山先生にのみ寄るものだからだ。
そのこと自体を私は否定しない。組織の存続は能力ではなく血によってのみ安泰だからだ。
丸山先生の子息が平成18年に書かれた御本には、基本理念と先生の『悟り・気付き・発見・見えない世界・異次元・奇跡体験・超人性・神』が書かれている。
確かに『栞』にも『神』という言葉が散りばめられている。死への個人的意見も。
双方ともに、素晴らしいおやつであるのにゴテゴテとした包装・着色料がついてしまっているのだ。
奇跡体験の類は、ランナーズハイのように苦痛を和らげるための脳内麻薬の作用だ。
丸山先生がボコボコに殴られた時に痛みが消えたのは、そのせい。何も悟りの境地に入られたわけではない。聞くところによると、覚醒剤の類をやると悟ったような気持ちになるらしい。こう言う点を無理に美化したり奇跡体験とか言うのは学者の態度ではない。倫理とは、むしろそういった宗教的ストーリーから離れると約束したのではなかったか?神のすむ極星ではなく、平凡な人が歩く道を照らすのでは?選民のための人の道ではなかろう。
誰にとっても真実・・そんなの無いのか?
確かに『事実真実』の類は、他人に渡した瞬間歪む。それは受け取り側に個性や価値観があるからだ。だから、私たちは謙虚に首を垂れて受け取らねばならない。
ただ、惜しい。丸山先生が自信を持って仕上げられた『美味しくて滋養たっぷり』のおやつの傑作を素直に味わえないのは・・。
よって、それは時代背景の必要から丸山先生自身が敢えて歪められた・後継の方が自分の都合で改変された・・さらに私たちが自分の弱さ・悪さゆえに見間違っている。
倫理法人会では、100人に一人、『会長』になる。30人程の前で100−150回程度何かをしゃべるのだが、その前後に拍手で迎えられるのだ。
私は、この点に危惧を抱いている。
人間は愚かだ。会長のことをやっていると仕事をした気になる。経営者が仕事以外のことに現を抜かす・・重要なリソースたる時間を時間を費消してしまうのだ。どのような『会』においても『会長』さんの破産率は高い。
また、自分が偉くなったような気がするのだ。何も成していないのに。だから倫理が言う『素直・謙虚』から遠ざかる。読み違える。その証拠に『思い上がった』人間にしか起こせない事件の類が会長に多発する。
間近に、朗々と素晴らしい生き方が謳われていると言うのに。近づけば近づくほど遠ざかる・・・全くザッツ宗教だな。
※倫理には素晴らしいものがあります。残念ながらそれは隠れたかのように誰もが誤解している。
このテーマでは、真っ白にキラキラと輝くおやつを取り戻さんと考えてみたい。
ただ、少し嬉しかったのは倫理の理論がハッピーハックとは全く相容れないというか掠りもしないのだ。これは批判ではなくて。ハッピーハックに取り入れるべき点がないのは、むしろ別の場所で戦うコモレードの気分だ。
敢えて言うなら、丸山先生は急がれたのかも知れない。論理の飛躍が顕著だ。
人間6700万年・・・たかだか50年やそこらで人は何も成長しないのだ。
批判ではない。意見の相違に過ぎない。だが、本を読んでそれを検討するのは至上の喜び・法悦だ。読み込むうちに丸山先生・敏秋先生と酒を酌み交わしながら楽しい議論をしている気持ちになる自分に驚く。いや、なんか素晴らしい時間だ。丸山先生。ありがとうございます。
最後まで、お読みくださりありがとうございました。