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8 私は死が怖いので、近くに置いて見つめる
『死は怖いので近くに置いて見張っておこう。』
死の恐怖
人は、人に殺されてきた。口減しのため、襲撃を受けて・戦闘において、その多くは食料や土地のために死んだ。
流通が発達している現代日本では、食糧の取り合いのために死ぬことはまずない。
『150の村』など極端に貧しい(それが普通だった)社会では、食料の調達能力の低さが自分の死に直結してきた。
その恐怖感を、今でも私たちは覚えている。
劣ること・マウントを取られること・負けること・嫌われることは当時は死に直結した。
記憶にある死の恐怖。
自分の死が近づくことは、感情的にとても不快なことだ。
だから、そこから逃れるために暴れるし、勝とうとし・優れようとし・承認されたい・同調圧力に付き合いたい。それは理解できる。
しかし、そういう『時代とズレた感情』に支配されていては自分の価値観に忠実に生きられまい。せっかく現代に生きているのに、自由や幸せを謳歌できまい。信念は動揺し、『生きている実感』を得られないまま死んでしまう。それでは大損なのだ。
『死』は怖い。そのものも怖いが、私たちの日常は『死を恐れる気持ち』に無駄なダメージを受けている。
これでは幸せとは言えない。かつては生きるために必要だったツールだが。今や必要のない感情との訣別を誓おう。無駄に恐怖に侵されず、自分をこそ求めよう。
死を忌み嫌い、遠ざけるのではなく近くに置いて毎日一緒にいてやろう。
あなたを不幸にするのは『死』そのものよりもそこから来る恐怖なのだ。
150人の村
世界中で、一番多かった共同体の形。
主に山沿いに30−40件の家が集中し、約150人が住んでいた。
電気や流通は無い。そのため貯蔵が出来づらい。とにかく毎日の食糧を確保するのが大変だ。魚や獣を取って帰れなければ、腹ペコ家族は嘆くだろう。また、取りすぎてもこの先の分が無くなる。
食料の獲得は計画的にせねばならず、誰かが村に黙って狩りに行けば殺されるまである。
村人は、常に飢餓の危機にあった。
自分の村で足りなければ、隣村を襲うしかない。食糧を強奪するためだ。逆に隣村から襲ってくるかも知れない。
とにかく、村の維持のためには『食料の収支』バランスを取る必要がある。
そのための『口減し』・『神隠し』を行なった。その実行方法は単斧による頭蓋骨の殴打。右利きが多いため、左上部が陥没した骨が多数出土している。
実行者は?夜目が効き、腕力に優れる屈強な若い男性。
被害者となるのは・・・「働かざる者食うべからず。」猟に出れなくなった、老人・怪我人・病人・子育てを終えたおばさん・・。
元々、生き物にとっては『食料を取りに行く』ということは自分の命を賭けた戦いなのだ。
獲物だって命懸けで逃げ、歯向かってくる。地上最強とも言われる虎でさえ9割は、逃げ切られ徒労に終わる。
死への男女に意識の違い
ここに、男女差がある。もっと大昔は女性も猟に出たが、団体行動の点で男性よりも劣るために排除された。女性が居たら効率が悪かったのだ。
男性の場合は、個々人の価値の差が一目瞭然結果として現れる。
「この1ヶ月、彼は20匹の猪を取ったが俺は一匹しか取れなかった。さらに今では怪我で猟に出ることさえ出来ない。」
男性は、否応なしに自分とライバルの存在意義の差をまじまじと突きつけられる。
だから、『劣った』男は自らの運命に覚悟というか心の準備ができる。「そりゃそうなるわなぁ。」
女性はどうか。若い・妊娠・子育て・働ける・男性に人気がある美貌や愛嬌・・を持つ者については問題ない。村の存続のために必要な人間だ。
問題は、子育てが終わりそれらの魅力要素が減ってきた場合だ。
おばさん同士比べた場合『価値の差』が見えにくい。だから、男性のように「ハイそうですか分かりました。」と運命を受け止めることが来ない。
そこに女性特有の、男性には分からぬ苦しみがある。
自分の序列がわかりづらい。
おばさんが、何人かいたとして誰が次の番かは分からない。
女性は自分が消される日は、自分では予想できない。
現代でも、女性は自分の価値を高めに見積もる。
依るべき根拠のない宙ぶらりんな気持ちで、ひたすらに恐怖と不安の毎日だ。
自分の胸の中だけで恐怖が膨らみ続ける。
だから、なんとかして自分だけは助かりたい。なんとかしたい。そのための戦略が『誰か一人を、自分よりも先に犠牲者にする』ことだ。
とりあえず、誰か一人が自分より先に犠牲になってくれればあと1ヶ月生きられるじゃないか。嬉しい。
それでは、次に死ぬ者をどうやって作ろうか?
その方法は、現在に名残を残す。
おばさんたちは、特に本能的な女性は
マウントをとり自分を優位に持っていく。
一人を虐めて下げる。
欠席裁判や悪口で、そこにいない者を叩き落とす。
他の女性を叩くために嘘をつく。陥れる。
一緒にいる仲間の中では、より多くしゃべって優位に立ちたい。
共感して欲しい。それは自分が生きることの許可だ。
誰がおばさんの憎悪のターゲットになりやすいかと言えば、自分より村にとっての価値がある女だ。
若い女。綺麗な女。生む女。乳が良く出る女。
嫁が姑にいじめられるのは自然だ。姑にとって自分より価値のある嫁は自分の生命を脅かす仇敵と感じる。
おしゃべりやマウントや悪口などを、誰かに邪魔された時にはおばさんは怒り狂う。
おばさんが喋っているのを止めれば、睨まれる。男性からは過剰な反応にも見えるが。
だが、それは無意識の『死の恐怖の記憶』のなせる業なのだ。
『負けること・劣ること』は昔はダイレクトに死に繋がった
嫌な感情は、全て死を思い出すからこそ不愉快になる
だけど昔はそれで死んだけど、今は死なない。これを強く意識したい。
マウントを取られようが悪口を言われようが・・
今は・・・死なないのだ。
いじめられるのを避けるのも必要かも知れない。だが周囲の女性達がそういう攻撃を仕掛けてくる。無駄に苦しまないためには『いじめられても死なない』ことを孤独に耐えて意識する方が大事なのだ。相手にしている暇はないのだ。
女性の項でも、ここに触れる。男性を一番悩ませる女性の感情の奥底。
男性よりも女性の方に敵は多いのだ。それを理解せずして男性の幸せは無い。
死へのスタンス
ハッピーハックでは、あなたが生きている今リアルに幸せになることを目指す。
死後のことについては、私にも私見はあるものの人に説明できるまでの証拠は持っていない。
宗教や伝承・哲学においても、死後についてあまりにも多様なの意見があるのだ。
霊を信じない人たちでも、普段の生活の中では
地獄
ご冥福
草葉の陰から
天国で
来世
輪廻転生
前々前世
生まれ変わり
六道輪廻
とか言う。死後のことは証拠なく議論百出。
だから『死んだあと』の幸せについて論じるのは別の人に任せたい。
死の甘露
死の直前には、とてつもない快感を得られるとのこと。
普段は脳内麻薬は、脳の破壊を恐れて遠慮がちに現れる。
ところが死の直前には、脳がどうなろうと知ったこっちゃない・振り切った量の脳内麻薬がダダ流しらしい。
それはエンドルフィン・ドーパミンなどで、一生経験したことのない快楽。それが、たとえ数秒であっても多幸感・全能感が得られるようだ。
私は、それを楽しみにしている。どれほど苦しんだ人生であっても、それ一発で取り返せるぐらい気持ちが良いらしい。
そのためには、できるだけ薬を控えるなどせいぜい脳の健康を維持したいところだ。
ただ、これは全員が必ずそうなるわけでも無いようなのだ。
甘露があれば、死に顔は全て安らかなモノになるはずなのだ。ほとんどの人はそうなのだが一部の人は違うとのこと。
その差は一体なんなのか?研究者さんたちの今後を待ちたい。
いざというときのために、死のシュミレーションをしておく
昔、死は今よりも身近にあった。戦闘だけでなく建築や狩猟などで他人の目の前での死も多かったはずだ。
だから死の瞬間には取り乱して醜態を晒すのではなくて、『カッコよくありたい』と願うのは当然だ。
杢之助・ガンジー・トランプ・・・。
毎日の習慣に『死の練習』を取り入れる人も多い。あらゆる死のパターンを想定しイメージする。フィクションでは隆慶一郎先生の『死ぬことと見つけたり』で杢之助が。また、ガンジーの最後やトランプの狙撃されたときの行動など異様に美しすぎる、事前に練習していたとしか思えない。さすがだ。突然の死の来襲には誰しも慌てるはずだ。突然のことだってある。だから、いざというときに失禁や慌てて見苦しく取り乱さぬよう『死の瞬間に少しでも冷静に堂々とカッコよく美しく』ありたいと思う。士道覚悟やダンディズム。
ならその場面を色々想定してみたい。そのときの自分をイメージするのだ。どういう仕草をしようか?祈りか?許しか?愛の表現か?
ピースサインかOKサインか。合掌かロザリオを握るか?
『みんな、ありがとう。』『ヨシコ、愛してる。』と決めておくか。
もちろん、死が迫れば断固拒否だ。抗おう。
だが、諦めて従容と受け入れるべき時も、いつか来るだろう。
その副産物として、部屋を片付けておく・シャワーすると共に下着は毎日履き替える・無精髭は剃っておく・Hビデオを処分しておく、など気をつけることができる。最近ではエンディングノートを書いておく・(死体を拭いたり着替えさせたりがあるので)包茎を治しておきたいというのもある。
日本人と自殺
日本人の自殺には、特徴がある。
水・空気・食料・治安・清潔・人格において世界トップクラスの日本。それでも先進国中での自殺率は高い。
不遇だから自殺するわけじゃない。そして、豊さと幸不幸は比例しない。
日本人は、(特に男性は)自殺が多い。
貧困や失恋・事業の失敗・破産・イジメが自殺の原因に挙がるが、それらは表向きの理由であって(わかりやすく言葉にすればそうだが)本質的には違う。それを言うなら貧困者が自殺するなら、貧困はなくなるはずだ。
例えば、死が具体的に迫ってくる恐怖。大勢に追いかけられる・虐められる・病気などの激痛・家族や権力の喪失。妻からの虐待や仕事の過労。これらには、相当なストレスを感じる。特に心身の余裕が不足する時に現れる。
脳内麻薬面ではセロトニンが不足し、鬱状態が自殺者の脳に起きていることが日経サイエンス2003年5月号にて紹介されている。
日本には、民度の高さや協調性の暗黒面として『同調圧力』『承認欲求』『男なら〜はできなければいけない』『女性の気持ちを分からないといけない』みたいな特有の文化がある。これが外国人にはキツイのだ。これらは相当なストレスになる。
それへの軽い対策には『太陽の光を浴びること・豆・牛乳・休む』などがある。これでセロトニンが安定する。猫をハグするとかでも効果がある。ダイエットや過労は大敵だ。自殺は、ストレスの強弱(150人の村の間引かれる恐怖の記憶が強力なのだろうか)が大きく関係している。要するに自分を追い詰めないことだ。疲れないことだ。頭を整理しておくことだ。
『人生、死ぬ以外はかすり傷』
『生きてるだけで、丸儲け』
毎日を楽しく。自殺を遠ざけ楽しく生きたい。それをご家族にも。子供にも言い聞かせたい。
とにかく、できるだけ過労は避けよう。過労は死に近い。
過労は幸せのもっとも遠くにある。
最後まで、お読みくださりありがとうございました。
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