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百田直樹の「裏切り」

 

いつものようにファクトとエビはありません。百田グループ老人の妄想です。

天才国士、百田先生。


 百田先生は有能だ。頭も良く、その経歴こそは天才にしか歩めないものだ。
プロ野球に例えれば、叩き上げの超一流の名選手。ご長男にも地頭の良さが感じられる。

 お金や外圧に媚びず怯えず、敢然と立つお姿はまさに日本男児の理想である。日本を自分の足で立つように、きっとしてくれる。日本の最後の切り札。

いや、百田先生こそが「日本」そのものだ。

 その先生が、日本を憂い国士として立った。リスクや面倒臭さ。悠々自適の毎日をかなぐり捨てて。政治には、必ず色が出る。完璧な中道など無い。良かれ悪しかれ、敵味方・敵の味方・味方の敵は存在する。鮮明な色を大きな旗に塗ったのだから当然とも。

 
 プロ野球の監督は、選手の野球人としての生殺与奪を握る。部下は上司の言うことを聞いて、痛みや怪我・敗北に遭うのを覚悟しなければならない。   
 それでも、近年「口答え」や「意見上申」「采配批判」が現れる。中村ノリさん・田尾さんがそんな印象だ。命懸けでプレーするなら監督の采配に納得したい。ここは盗塁じゃなくて・・バントじゃなくて・・・。だがそれは監督をイラつかせる。彼ら選手には悪気はなくても、現に懲罰的な扱いを受けた。俺の言うことを聞いて、オマイさんの成績が落ちても怪我をしてもそらしゃーないじゃん?

「組織」の強さ怖さ

 「いや、何もワシの子分になれと言うとるわけじゃない」・・それが百田先生の実感であろう。だが、組織そのものが自らを堅固に不自由に凝り固まっていく。
 そこに先生の王様気質が首を、いや全身をのぞかせる。

自然な所作の中に「オマイラは、ワシの将棋の駒や」が出る。それは悪いことではないし、性格の部分でもある。周囲が理解すれば問題ない。だが後輩たちは百田先生に円満な人格を期待する。それも間違いなのだが。

ワシは賢い。考え方、特にわしの立てた戦略に間違いない。だからオマイラはせいぜい正確にそれを実行してこい。


飯山先生にもクマさんにも自我がある。自負もある。意見がある。価値観というものがある。生身の人間だ。

人には生来、個々の価値観と共に人生で重視するポイントがある。

私は、飯山先生のことはほとんど存じない。それでも、一連の流れからクッキリ感じることがある。

 まず、飯山先生は金も名誉も要らない。勝利も望まない。全てを捨てても良い。今の状態は、保守党ラオウに挑んだシュレンそのもの。その言動の刃は保守党よりも自分を切り刻む。
 彼女の義は、人間としての格。それは、具体的に言えば陰徳であったり人情であったり忍耐であったり謙譲であったり。「自分が清潔で善き人」であるために命はある。
 百田先生から見れば「なんやコイツ。突然歯向かってきて。しかも、全身全霊をかけて殺意満々で向かって来とるやないかい。何がしたいかわからんし面倒やし怖いわ。」となるはずだ。
 
飯山先生からすれば
「保守党は思ったよりも清廉でも高邁でもなかったなあ」程度であって、攻撃の内容そのものに意味はない。ブチギレて手元にある茶碗や包丁を投げているに過ぎない。もっと言えば、この攻撃に意味や効果はないと分かっているだろう。それでもとにかく断固相殺拳。

それは、

自分の「自分が清潔で善き人」が汚されたことに尽きる。そして保守党への愛だ。


そうでなければ、あれほどのノルアドレナリンは放射できまい。だが、人間のエネルギーには限りがある。それだけでなく飯山先生の健康状態が危ぶまれる。もうすぐお休みになられる。

裏切りは、意識せず百田先生から始めたのだ。


百田グループの末席を汚す家臣として陰腹を。

 百田先生は主君としての度量が足りない。こんな些細なことで家臣を罰していては天下が取れない。

 人前で飯山先生やクマさんを痛罵してはならない。感謝すべきだ。

彼らは、百田先生を目上の人として礼を尽くしたはずだ。袂を分つ原因も、百田先生の傲慢・思慮不足にあるはずだ。

 百田先生は有能すぎるが故に、目下に荒すぎるのではないか。名選手が監督になって悩むのは「こいつら、なんでこんな簡単なことが分からんのやろう?」だ。

飯山先生にしてもクマさんにしても、いっときは・そして今でも百田先生が好きだ。お二人とも能力がある実力者だ。なら外様であっても若者を無闇に敵認定するのではなく、それこそ上手に役立って貰えばいいじゃないか?

ましてや日本国民皆を思うならば、行き違いがあった後輩だけでなくアンチや政敵・怨敵さえも先生の可愛い赤子ではないか?百田先生のせいで悲しむ人間を増やしてはならない。

先生の100万ドルのスマイルと共に。

「今は、距離がありますが私は大好きです。いつでも連絡してください」と。


富士山はどこまでも美しい

 
 百田先生だって、生身の人間だし老境に居られる。今回は案外な狭量も見られた。

それでも、私たちから見れば富士山のように力強く美しい。


「ああ、日本には百田先生がいて下さる」

近くによれば、ゴミだって捨てていく不届者もいるかもしれない。けしからん。

 だが、些事はいいではないか?お互いに、そう時間は無い。

 百田先生の敵は、かつての後輩でもなくアンチでもなく小説批判者でもない。

 先生の真の敵は日本国を汚し破壊させんとする外敵でありサイレントインベイダーではないのか?

 百田先生に後輩たちを叩いてる暇はない。

彼らは先生を裏切ってはいないのだ。日本よ良かれと奮闘する同士ではないか。

 百田先生の全能力と体力は、ありがたくも私たち日本人のものだ。

なんとか百田先生を応援したい。悠々と堂々と邁進していただきたい。


※今回の記事内容に政治的意図はありません。
 影響力ある素晴らしい方々が、おそらくはつまらないことで憎み合うのを悲しむ者であります。

今回登場する御三方にはご健勝あれ。


最後まで、お読みくださりありがとうございました。

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