持つ❌持たない 幸不幸
死ぬよりも辛いことはたくさんある。
その一つは自分を誤魔化す、騙すこと
赤ん坊が0とすれば、40歳ぐらいまでは所有する方向に頑張って良いと思います。憧れ・飢え・強くなる・・・・それこそ承認を得るために。
人間関係が苦手な私などは、それに拗ねて成功すれば・・資格を取れば・・稼げば・・と思って40代まではやってきました。
ですが生来の自他への甘さ・・弱さ・・それが人格者だとか優しいとかクソだるい考え方の中にいました。
上のマトリックスをご覧ください。
得ることと幸せが同じ方向ではないことを今では感じております。
幸せとは、これも脳内麻薬の作用ですが、『自由・軽さ』『強さ・明るさ』『優しさ・暖かさ』の気持ちでいるというのも目標になりましょう。
自由
自由とは気まま、感じたまま・思ったままということです。そこには照れや遠慮や見栄はなくて。そして窮屈ではない。『一日中、動けない。ビシッと背広を着ていなきゃあ。12時間、交通整理。ベッドに伏せって動けない。』こういうの自由とは言えないんじゃないでしょうか?
もちろん楽しければいいんです。両手両足縛られていても『自由』はあり得る。ただし、心情ではそうはいかない。軽くて楽で自由な気持ち。当然それは自主的であって主体性を持っている状態。自分で判断できるものだ。
死の恐怖が色々うるさい
150人の村の記憶から、恐怖から逃れることはできない。いじめ・マウント・コンプレックス・おしゃべり・群れる・競争・承認欲求・成績・結果・・これら全て『生き残る目的のための戦略』なのだ。自分より弱いやつが欲しい。
だが、現代においてはあなたは勝ることよりも自分に忠実であるべきなのだ。他人の目や評・勝利など必要ないのだ。他人より勝ちたいなら、本音の幸福度で勝負すれば良い。
持つことの不幸
何も清く正しいのが良いなどとは言っていない。あなたが幸せなのが大事だ。
皮肉ではなく実感だ。背広は窮屈だ。背広を着て飛び回るのはカッコいいかも。でもそこにはプレッシャーやカッコづけも必要だ。飲み屋で女の子のお尻を触れないし立ち小便もできない。
公務員のくせに・税理士のくせに・主婦のくせに・政治家のくせに・金持ちのくせに・・・
著名な体操選手やレスリング選手の連覇の大変さ。優勝してすぐ引退すれば別だが、パシュート選手にしても人生のほとんどを賭けて人知れずトレーニングを毎日するのだ。それで一敗すれば『あーあ』って言われる。トップに立つ者は嫉妬・羨望そして恐怖の中にいるのだ。
一流大学に入るために、相当の努力が要る。そして一生勝ち続ける。なかなかできない。
大地に寝転んでぐうぐう寝ることなどできない。カフェのテラスの木漏れ日を楽しむ暇もない。人の目があり、時間は無い。
歌舞伎の主役役者は、身内の不幸があっても下痢に苦しんでいても登壇せねばなるまい。コンディションを調整せねばならない。
歯医者は1時間に4人程度、HIVを持っているかも知れぬ患者の汚い歯を削る。衛生士さんたちのご機嫌を伺いながら。眼精疲労と腰痛を抱えて。
持つことの幸福について
私は持ったことなどないが、先生と呼ばれたり3階建てのボロビルを持ったこともあるし、高い酒を飲んだこともボロのベンツに乗ったことも・・・ある。権力はないな。
だが、私の知る限りでは・・金持ちはグレードの高い料理や酒・金目当ての女・高級外車・・・程度のことで。
ただし、そういうものを求め努力することに本心から納得できる人たちも居る。だから、それを一般的には否定できない。
『月』『星』『風』『川』つまり、おおよそ人類の3分の1は、お金が大事なのだ。お金>名誉>人格。
人を騙そうが『金を稼いで何が悪いの?』という考え方だ。カッコつけてもケチなのだ。だが、批判しているのではない。そういうものだ、と理解するしかない。
持つための努力をし持つ。だが、失うときは来るのでそのときは苦しいだろう。
そういう意味では、『山』『雨』『花』『空』の人達は物欲や権威欲は少ない傾向にある。取り合い・奪いあい・闘争・競争などに本来は興味が薄い。『欲しい欲しい』が少なめなのだ。
※お釈迦さまが、情を重視されたのもここなのかも知れない。
死の直前
死ぬことそのものも怖い。だが、人類種は60年生きたら十分なようにできている。
問題は、死を悟ったとき若い看護師の腕を力任せに掴んで号泣して後悔を叫ぶのだ。
あれほど焦がれた地位や権力や金を手放すことに。
死は敗北ではないのかも知れない。自分の遺伝子を残せる確率がものすごく低いことを鑑みるに、生物としては敗北なのか?
ともあれ、誰しもが自分が築いたものを手放すことに違いあるまい。
何を持とうが成そうが美しかろうが、兎にも角にも目に見えるものは全て置いていかねばならない。
本当に自分がやりたいことをやってこなかったことに。
家族の前では本音は言えまい。
一人の年老いた赤子だから、言えるのだ。
だから、
私たちが黙考すべきなのは『生きている間に何をしたいか?』だ。
やりたいことと言えば、好きなこと・得意なこと・(自分はいずれ居なくなるので、そこにリソースを投入するのは無意味)他人のためになること・・・その三つに加えて『そのためなら文字通り寝食を忘れて』没頭できることになるのだ。脳内麻薬のパワーが炸裂し疲れない。
もちろん目先の電気代の支払いに追われるのもわかる。私だってそうだ。
ただ『電気代・・払えた・・良かったです』と言って、フラフラ遊んじゃうことが問題だ。
40歳を超えると、その渦の中に居ないと案外、競争に虚しさを感じることがあるはずだ。むしろ、それでいい。
勝ち続ける奴は、じっくり考える暇もない。
とても難しいことだとは思う。
それでも、しっかりと内省して一日掛けてみて欲しいのだ。
私も人生の第4コーナー、野球なら8回裏ツーアウトまで来た。
勝負には負けてもいいが、やりたいことをやりたい。
そう思って、『自分がやりたいこと・好きなこと』100個以上書いた。
絞り込むのに悩んだが、なあにトーナメント方式にすれば二者択一を繰り返すだけだ。案外簡単だった。
最後に残ったものは『ハッピーハックで全人類を自分の価値観に従って生きられるようにすること』と『女性の太もも』だった。これは我ながら恥ずかしかったが今更いいカッコはしない。
だから、私のNOTEでは多くの場合女性のふとももの絵をお借りしている。
↑ からの ↓
まで持っていけるようにしたいと思っている。
もう一方では、早く台湾やシンガポールに出て行きたいと思っている。
もちろん日本は大好きだし、私は日本人らしい体型の日本人だとも思う。
だが、日本の自殺率に影響を与えている同調圧力・アジアの女性の女性としての母親としての強さ、そういう点から見てハッピーハックは諸外国の方が合っているのではないか?
強烈な祈りの力が湧いてくる。
最後まで、お読みくださりありがとうございました。
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