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容姿のコンプレックスと、「いじる文化」の加害性。

昨日髪をかなり思いきって切りまして、久しぶりにパーマをあてた。

それで美容室を出るとき、自分では満足してたけど、家に着いてから「やっぱり変なんじゃないか。」「周りの人にどう思われるだろう。」って、少しずつ不安になってきた。

僕はかなり大きな容姿に関するコンプレックスをもっている。もうずーっと幼稚園児のころから。

僕は幼稚園に通っていたとき、たぶんいま考えればかなり残酷ないじめにあっていたと思う。自分の顔やくせっ毛、体型に関して毎日、ここには書きたくないことを言われていた。

小学生のときも、中学生のときも、周囲の環境や関わる人は変わっていくのに、なぜかそれは変わらなかった。

僕は関西出身なんだけど、関西人のノリ?みたいなのがあって、いじる文化というか。もちろん関西に限らないだろうし、関西に住む人みんながそうではないんだろうけど、とにかく僕の関わる人たちにはそういう文化があったんだよね。

それで、たぶん僕は本当に真に受けて少し傷つくところと、笑ってつっこめるところのバランスがちょうど良かったんだと思う。本当にどこにいてもいじられてた。そんなキャラだった。

中学生のころは、服装とか体型いじりがひどかった。服なんてよくわからんし、自分のお金で好きなときに買えるものでもなかったし。

家族からも、ちょくちょく容姿や服装に関して嫌味を言われたことがある。笑われたこともある。

高校生になり、ある程度学力でふるいにかけられるようになってから、少しおさまった。関わる友人の民度が確実に良くなった。でも、学校に着いてすぐと、休み時間、毎回鏡で自分の容姿をチェックせずにはいられなかった。

そんなこんなで大学生になって関西を出てから、確実に環境が変わった。容姿に関して何か言われることはほとんどなくなった。

今日も髪を切って学校に行ったら、ほとんど話したことない友達からも、「めっちゃいいね、本当にいいと思う。」と褒めてもらえた。食堂のおばちゃんからは、昨日と今日、2回も、「かわいい〜。東京ではやってるらしいよ〜。最先端だね、本当にかわいい。」と褒めてもらえた。

内心、誰にも触れられたくない気持ちでいっぱいだった。ドキドキしていた。だから、本当に嬉しかった。一人で暮らせるようになって、あそこから出てきて、自由に生きられて、本当に心地よい。

鏡を手放せない、カメラを向けられて湧き出る恐怖、シャッター音にビクビクしてしまう。全然変わらないこともあるけど。


お前ら、自分の言葉の力を見縊るなよ。言葉ってのは、人の一生直らない習慣や癖を作り出すこともできるし、死の谷底に突き落とすことだってできるし、その日一日世界で一番幸せにすることだってできるんだ。忘れるな。

俺も愛のある関係でのいじり文化は好きだよ。でも、容姿については絶対に言っちゃいけない。絶対に。

僕はこれからもずーっと自分の容姿に悩み続けると思う。でもやっぱり関わる人って、言葉の力って、本当に大きい。僕は絶対に人の変化に気づいて、真っ先にいいねを押せる人でありたい。

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