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「私」と「ライ」の境目

こんにちは、ライです。

気がつけば今年ももう12月。
私が現在のTwitterアカウントを開設してから1年半以上が経ちました。

幸せなことにたくさんの素敵なご縁に恵まれ、楽しい日々を過ごしております。
お世話になっているみなさまいつもありがとうございます。


みなさまとゲームだけでなく雑談などもして交流を重ねるうちに、自分の周りの方々について知ることも増えてきました。

それは周りも同じようで、自分に対する印象や意見をよくいただきます。

が、

「天使」 だの 「推し」 だの
「毎秒課金したい」 だの…

本格的にネット上で交流を始めたばかりで、猫を被っていた時期の私への評価であればまだわからないこともないのですが、

慣れてきて素を出すようになってからもあまり変わっていなかったりします。

もちろん褒められて嬉しい気持ちはあります。ありがとうございます。

しかし、このような周りから見た自分の印象と、自分から見た自分の印象が乖離していて

どれが本当の私なのか?

私が周りからそう見えているのであれば、
私はそうあらなければいけないのか?

私は周りに嘘をついているのではないか?

などという思考に陥った時期がありました。
周りと交流を重ねるようになってから、かなり長い間定期的に考えていたと思います。


そんなある日『推しの子』という漫画を読み始めました。
こちらはその一コマなのですが

赤坂アカ×横槍メンゴ『推しの子』
第三十話より

この一コマを見て思いました。

「私」と「ライ」の境目はどこだ?

と。

私の中で長いことぐるぐると考え込んでいたテーマがひとつに集約され言語化された瞬間でした。

まあ、言語化されたところで簡単に答えが出るわけでもなかったのですが。

そう簡単に答えが出そうな問題じゃないし…考えすぎるのもよくないし…
でも気になってしまう…

困った。


しかしある時、堂々巡りの私の思考に突然終止符が打たれることになりました。

そのきっかけになったのがこちらの記事。

私がお世話になっている方々のうちの1人、ムーミン氏のブログです。

彼は

主観として、そもそもリアルとネットの境界線なんてあってないものだと感じている。

と述べています。

なるほど。境目はないという意見か。
なぜそう考えたんだろう?

ネットでの姿は身元の情報よりもっと本質的な情報を落としていると思う。
少なくとも普段のツイートから思考回路や人生観が推測できる。通話までしてしまえば更に推測の精度が高くなるだろう。
ネットは匿名性が特徴であり、そこが利点とされている。

しかしネットは「人間性」という一番重要な情報が流出してしまうツールだと思っている。

…たしかに。

匿名性が高いからこそ見えてくるものもありますよね。それはその人の本質であったりして、そういうものって意外と自分では知らなかったりするわけで。

自分が知らない部分だと、それが嘘や仮面であるような気がしてくるだけ…なのでは。

私が思考の沼にハマっていたのは、自分が知らない自分の部分を指摘されて混乱していたからなのかもしれない!

この抜粋だけで本記事を読んでいる方にもきちんと伝わっているか分からないのですが、私はこの記事で驚くほどストンとくるものがありました。

きちんと伝わった方も、そうでない方も、ぜひ全文を読んでいただきたいです。

彼のブログは他にも読み応えのある記事がたくさんあるのでぜひ。
笑えてためになるとても面白いブログです。
気づきをくれて、今回は引用までさせてくれてありがとう。


今まで
リアルの「私」として存在する自分と
ネットの「ライ」として存在する自分
を区別して、境界線を引いて考えていたけれど、

よく考えてみれば、日常のことをツイートするようにリアルだってネットの一部だし、ネットが生活の中に存在するようにネットだってリアルの一部なのではないでしょうか。

たまに自分も知らない自分が存在したりするだけで、結局「私」も「ライ」も紛うことなき自分であり
そこに境目などない

という結論に私個人は至りました。

果たしてこの結論が正解なのかどうかは分からないけれど、長いこと悩まされてきた問題に答えが出たので、これをひとまず正解としておきたいと思います。


あとがき

今回画像を使用した漫画『推しの子』、
とても面白いのでぜひ読んでみてください。

主人公の青年が、死後に前世の記憶を持ったまま生前に推していたアイドルの子どもに転生する、という物語です。

週刊ヤングジャンプで連載中です。
また、1週遅れで少年ジャンプ+でも配信されています。こちらは無料又は初回無料で読めます。

普段漫画をあまり読まない私もハマって一気読みしました。ぜひ。