未来への礎 第三話
あれからいろいろありました。
「うっ…さぶ…」
師走の風は冷たい。大晦日を間近に控えた日常はいつの時代も慌ただしい。
「あら、美月さんと史緒里さん」
「こんにちは。お元気そうですね」
道行くおばあさんに軽く会釈をする。ここでは私は○○さんの従兄弟ということになっている。
この時代に来てからはや1ヶ月。ここでの暮らしも少し慣れてきた。
「史緒里、遅いよ」
先を歩く美月が振り返る。その手には配給で貰った食材でいっぱいだった。
「いや…これ重いって…」
私も美月ほどではないが食材を持っている。
でも、その足取りは天と地の差があった。
「これくらいなんのだよ。○○さんが和たちを見てくれてるから、いつもよりはましさ」
本当にたくましくお母さんしていると痛感する。私はもう1回、腕に力を入れた。
美月や○○さんの評判はとても良いらしく、道を歩くだけで挨拶や、野菜を貰ったりする。
「この時代は助け合いだからねぇ」
美月は謙虚だったが、その人たちの気持ちを私は痛いほど分かる。
いつか恩返しをしないといけない。でも、私は今を生きるだけで精一杯だった。
「ふぅ…流石にちょっと疲れたね」
「「おっかぁ、しおり、おかえり!」」
可愛い2人の声に心が癒されつつも、体の疲れをとるために腰を下ろした。
「ほら、2人とも準備できてる?」
「「うん!」」
美月は元気だなぁ…まだ予定があるのか。
「○○さん、優と幸のお守りありがとうございます。午後はゆっくりしてください」
「そうさせてもらうよ。美月と史緒里さんもありがとう」
そう言うと○○さんは奥の部屋に戻って行った。
「美月もどこか行くんでしょ?気をつけてね」
私は畳に足を伸ばした。何故か美月は不思議そうにしている。
「何言ってるのさ、史緒里も行くんだよ!」
「えっ?」
「だからぁー、史緒里も行くんだよ!」
曇りのない笑顔は再びそう答えた。
「…はい…」
私は畳から立ち上がり、優と幸の手を引いた。
「「いってきまーす!」」
元気な声は家に木霊する。
美月は乳母車を引く。さっきまでとは違う、太陽の暖かさが身に染みた。
「はぁ…はぁ…」
2人の手を引きながら、私は階段を上っていた。
「しおりおそいからさきいくー」
2人は颯爽と階段を駆け上がっていった。
「き…気をつけてね…」
少し休憩。やっぱり私はインドアを極めている。
「大丈夫?」
乳母車を抱えた美月にも心配される始末。私にお母さん業はまだ厳しいことが分かった。
「大丈夫…もう行ける!」
この感覚はやっぱり2度目だ。ということは…この上にあるのは…
「じゃあ一緒に行こっか」
私は美月と並んで歩いた。
「あぁ、ここか」
階段を上がりきると、目の前には木々に囲まれた神社。私の予想は正確だった。
「史緒里もここ知ってるの?」
「うん。でも、もっとボロボロだった」
「それは時代の流れだねぇ」
乳母車が石畳を進む。目の前には既に2人が社殿の前に立っている。
「「おそい!」」
「2人とも、ごめんよ」
2人の服はすでに遊び尽くした様子だった。
「さぁ、優も幸もお祈りするよ」
美月が社殿に手を合わせる。それを真似て2人も手を合わせた。
私も手を合わせる。さて、何をお願いしようかな。
「付き合ってくれてありがとね」
社の木陰に座り、遊び回る2人を眺めていた。
「毎年ね、年の瀬にはここに来てるんだ。
1年のお礼と来年もまた5人で幸せに暮らせますように…ってね」
美月は乳母車を揺らす。中からは宝石のような笑い声が聞こえる。
「史緒里はなんてお願いしたの?」
ギリギリまで悩んでいたが、今一番のお願いはこれだった。
「みんなが無事に生きてくれますように、ってお願いしたの」
美月たちは知らない事実を私は知っている。そして、時間は1歩ずつそれに向かっていた。
「ありがとう。
でも心配しなくても、私たちは誰も死にやしないよ」
力強いその言葉は私の不安をかき消すには十分だった。
「約束だからね?」
「もちろん、約束さ」
私たちは小指を絡めた。和はそれをじっと眺めていた。
「「おっかぁもあそぼ!」」
2人にリクエストされると美月は立ち上がり、背中を伸ばした。
「和のこと少し見といて。ちょっと倒してくるから」
そう言って美月は走り出していった。流石、パワフルお母さんだ。
「和、本当に良いお母さんを持ったね」
和はいつものように笑って答える。
しばらく3人の戯れを眺めていると、あの不安が鮮明になる。
さっき、美月には言っていないことが1つあった。私はこの神社にもう1つお願いをしたのだ。
“私は本当に帰れるのだろうか”
そんな不安が頭の片隅にずっとある。気にしないフリをするのはそろそろ限界だった。
「お母さん…」
喧嘩していたことなんてどうでも良い。目に熱いものが上がってくる。
「だぁー、ばぁー」
乳母車の中の和がそんな私に手を差し伸べた。
「和は優しいんだね」
私は目を擦り、和に人差し指を差し出す。
「きゃは!」
和は楽しそうに私の指を両手でギュッと掴んだ。
「私も強くなるよ」
まだ3人は楽しそうに遊んでいる。私は社に目を向けた。
ボロボロだったこの神社。でもそれだけの時間、人々を見守っていたに違いない。
「本当に来てよかった…」
言葉は木々に吸い込まれていった。
「じゃあおやすみね」
今日も夜がやってきた。でも、私はなかなか寝付けずにいた。
そーっと、そーっと縁側に出る。月が綺麗に輝いている。
「綺麗…」
返事を返す人はいない。みんな今頃は夢の中だ。
神社はボロボロになっても、月は私の時代と一緒。
月からみたら77年なんて一瞬なのかな?
あと数日で年が明ける。本当なら今頃は文化祭をしているくらいだろうか。
「みんな元気かなぁ」
脳裏に浮かんだあの3人の顔。自分だけ、どこか置いていかれてしまった様だ。
「あれ…おかしいな…」
昼間に堪えたはずの涙が零れる。1人なこともあり、それが止まる気配は無かった。
「…グスッ」
声を押し殺して泣く。みんなを起こしては悪い。
「ダメダメダメ…」
手で仰いでも涙は止まらない。こんなキャラじゃないのにな…
その時、私は頭がいっぱいで後ろに近づく気配に気が付かなかった。
「何泣いてんのさ」
少し眠たそうな声だった。
「美月…グスッ…起こしちゃったね」
涙を必死に手で拭った。
「全然大丈夫さ。それに、泣くのは恥ずかしいことじゃない」
その言葉が私の堤防を決壊させた。美月はそっと隣に座る。
どれくらい泣いただろうか。空にはまだ月が微笑んでいた。
「落ち着いたかい?」
私は無言で頷く。
「そりゃあ良かった。私だって辛い時はよく泣いてたさ」
それから少し美月と話した。この時代、夜に明かりは付けられない。
それでも話すには月明かりで十分だった。
「私、お母さんと喧嘩してたんだ」
「そりゃどうしてさ」
「将来のことで揉めちゃって。大学に行けってさ」
「行けばいいじゃないか。
勉強出来るってのさ幸せなことじゃない?」
「うーん、そうなのかな」
「私だって本当はもっと勉強したかった。
でも、今の自分に後悔はないけどね」
「そっか、ごめん…」
「なんで史緒里が謝るのさ。それは時代のせいさ」
「でも…」
「私には○○さんがいて、
優がいて、幸がいて、和がいて、
今は史緒里もいる。
これ以上は罰が当たっちまうよ」
そう言った美月の顔に嘘はなかった。
「私の選択に後悔はない。
だから史緒里も自分の人生は自分で決めな」
たまに同い年とは思えない時がある。
「ありがとう美月」
私の心にも笑顔が戻る。
「最後にこれだけいいかい?」
「なに?」
「あんたのお母さんも、きっと史緒里のことを想っているだけだよ」
「うん…」
「その顔は信じてないな?」
心の中まで見透かされている。いや、私が単純なのか?
「親になると分かるさ。
親はね、子供のためなら命だって懸けられるんだよ」
美月のその目にはきっと3人が映っている。
「美月…また泣きそう」
三度、涙が襲ってきた。
「本当に泣き虫だね史緒里は。おいで」
年柄的に恥ずかしいと思いつつ、私は美月の母性に甘えることにした。
「もうこんな時間だよ」
月はすっかり顔を隠し、空は明るみを帯び始めている。
「たくさん話せて楽しかった。また付き合ってくれるかい?」
「私の方こそ楽しかった。またお話しようよ」
私は腫れた目で笑顔を作る。何とも清々しい朝だ。
これからも頑張ろう。そう決心できた夜だった。
でも、私は忘れてはいない。
1945年はもうすぐそこまで近づいて来ていた。