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In your heart 第1話
忘れられない人…その人の背中をずっと探していた。
「本当に…本当に行っちゃうの?」
夕日に照らされた君の横顔。頬を伝った涙が胸元のコサージュに落ちる。
「ごめんな。でも、必ず戻ってくるから」
「うん、待ってる。10年でも20年でも〇〇の事ここで待ってるから!」
泣きながらも強がる君は昔から変わらない。
「〇〇、手出して」
差し出した手に置かれたのは不格好なお守りだった。
「これ…お前…」
「もう!笑うなら返せ!」
「ごめんごめん。ありがとな飛鳥」
そう言うと俺は飛鳥の唇にキスをした。俺なりのお返しのつもりだった。
「ちょっと…いきなり…///」
「嫌だったか?」
「バカ…嫌じゃない…///」
耳まで真っ赤に染まった顔。俯いていても分かる。長く伸びていた影は暗闇と同化しかけていた。
「飛鳥、そろそろ…」
言いかけたその時、飛鳥は俺の背中に抱きついた。
「私…ずっと待ってるから…」
声は震えていた。泣き顔を見せないのは飛鳥なりの強がりだ。
「ありがとな、飛鳥」
振り返ることはしなかった。振り返ったら俺が泣きそうなのもバレてしまうう。
ずっとこの時間が続けば良い、そう思った。
故郷へ帰るのはもうどれくらいぶりだろう。路面電車に揺られながら近づいてくる街を眺める。
「そろそろか」
重い腰を上げ、荷物の準備を始める。
高校を卒業して勝手な夢を追いかけた俺には大荷物も大それた土産話も無かった。
『次は乃木街、乃木街』
目的地を告げるアナウンスが響いた。
キーーッ
鈍いブレーキ音と共に目的地に到着した。少ない手荷物を持って降りる。
「久しぶりだな」
目に入る景色は俺のいない間にすっかり変わっていた。それでもどこか懐かしい匂いがする。
「とりあえず帰るか」
借りた家に行く前に実家に向かった。
「ただいま」
街は変わっても家の中は昔のままだ。
「おう〇〇か、おかえり」
居間では親父がテレビを見ていた。心做しか親父の頭には白髪が増えた気がする。
「おかえり〇〇」
台所に立つ母さんの姿はあの頃と変わっていなかった。それでも腰を痛そうにしている姿に時間を感じる。
階段の先の2階の角部屋、西日が差す俺の部屋はそのままに残してあった。
「なんだかタイムスリップしてきたみたいだ」
窓を開ける。春の風はまだ冷たい。懐かしい匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。
実家にも顔を出したし…次やるべきことは一つだけだった。だが、まだその決心はついていない。
「行くしかねぇな」
どんな顔をして会えばいいのだろう。決まりが悪すぎる。それでも行かない訳にはいかない。
「じゃあまた」
両親に別れを告げると、俺は見慣れたはずの街に繰り出した。
区画整理されるって言われていた商店街。シャッターがいくつか降りていたけれども、まだ賑わいを見せていた。
「花でも買っていくか。喜んでくれるかな」
花なんて今まで買ったことなんて無かった。手土産も準備したところで、俺は覚悟を決める。あいつの待つ場所に足を進めた。
あれから何年が経っただろう。確か…6年かな?
「まだかな〜まだかな〜」
久しぶりに顔を見るんだ。テンションが上がらないはずがない。
「来た!」
階段を登る〇〇の姿が見えた。花も持ってくるなんて女心が分かってきたのかな?
勢いよく座っていた石から飛び降りた。
「飛鳥、久しぶりだな」
〇〇を目の前にする。少し大人になった気がした。
「ほんとだよもう、遅すぎるよ」
外だと言うことも忘れて〇〇に抱きついた。感動の再会、これくらいは許されるだろう。
しかし、私の体は〇〇の体をすり抜けた。
「だよね…知ってた」
抱きつけないことも、もう二度と〇〇に会えないことも全部分かっていた。それでも…分かっていても涙が溢れてきた。
目の前には私の墓前に手を合わせる〇〇。あの日と同じように私は後ろから抱きついた。
〇〇は5分以上手を合わせると顔を上げた。ちょっと目元が赤い気がする。
「〇〇泣いてやんの〜」
聞こえないから言いたい放題だ。でも、返事が欲しい。目の前にいるのに…。
花瓶に備えられた白い花。センスが無いのは昔っから変わらない。
「また来るよ飛鳥」
そう言って〇〇は帰っていく。
「もう来なくていいよ。もう…」
もう私のことは忘れて
言おうとした言葉は喉の奥で引っかかる。
遠ざかっていく〇〇の背中をただ見つめることしか出来なかった。
その話を聞いたのは大学1年生の夏だった。でも、その日のことはよく覚えていない。
友達と行った海で溺れていた女の子を助けた、なんともらしくない理由だった。泳ぐの苦手な癖に。
その時は戻ることはしなかった。忙しい…そんなのは見繕った言い訳だ。本当は信じられない、信じたくなかった。
階段を下ると路面電車の警笛が聞こえる。風貌が変わっても、飛鳥を後ろに乗せて自転車を漕いだ、あの日の街のままだった。
飛鳥の墓参りをしても俺の後悔は消えることは無かった。最後に顔を合わせなかったこと、あいつ怒ってるだろうな。
気持ちを落ち着かせるために、俺はあの場所に向かった。
「ここは変わらないな」
夕日に照らされた校舎はあの頃より輝いて見えた。そのまま階段を登り屋上へ向かう。
黄昏れるなんてかっこいいもんじゃない。ただ少し、思い出に浸っていたかった。
「階段…しんどい…」
息を切らしながら扉を開く。1人だと思った屋上には先客がいた。
こんな時間に屋上から夕空を眺める少女。制服を見る限り後輩であることが分かった。
「大丈夫?」
何となくそう話しかけた。別に変な勘が働いたわけじゃない。
「別に、変なこと考えてませんよ。順番変わりますね」
胸元にはピンクのコサージュ。なるほど、卒業でも惜しんでいたのか。
「別に君もいていいよ」
先客にどいてもらうのはなんだか悪い気がした。
「お兄さん、1人になりたいって顔してますよ」
心の内を見透かされたようだ。そう言い残すと少女は扉の方へと歩いていった。
「卒業、おめでとう」
何か言わないとと思って咄嗟にでた言葉。我ながら意味がわからない。
「ぷっ…お兄さん変わってますね」
少女の表情が一変する。さっきまで空を眺めていた事あり気な顔は満開の桜のような笑顔になっていた。
「初めて会った人の卒業を祝うなんて、お兄さん優しいんですね」
そう言い残し、今度こそ少女は屋上から去っていった。なんだな不思議な子だ。
少女が去った屋上はあの日と同じ茜色に染まっていた。
「1人になると寂しいもんだな」
同じ場所に立つ。背中に飛鳥が抱きついた感覚が鮮明に残っている。
路面電車の音がガタゴトと聞こえる。今日もまた人の想いを運び続けているに違いない。
そんな日常的な風景がそこにはあった。
fin.