
In your heart 最終話
こんな私が幸せになってもいいんですか。
「さくらだったんだな、飛鳥が助けたのって」
いつかはバレると思っていた。隠し通す気も無かった。ただ、言い出すタイミングが無かった。
自分にそう言い聞かせる。本当は目を背けて逃げていただけだ。
こんな私が短い間でも幸せを感じられた。でも、最後の晩ご飯はお寿司が良かったなぁ。
「…バレちゃいましたね。
〇〇さん、今まで本当に楽しかったです」
最後の踏ん切りがついてしまった。あの日、悩んでいたことの答えが数ヶ月越しに出てしまった。
「待って、俺はそんなこと…」
「本当にごめんなさい…さようなら」
明かりのない道に私は走り出す。涙で前はよく見えなかった。
「さようなら」
そう言ったさくらは泣いていた。その涙の真意は俺には分からない。でも想像することは出来た。
「あいつ、どこ行ったんだ」
こんな片田舎に夜まで開いている店は少ない。行ったとすれば公園かそれとも…
「あそこか」
俺は走った。急がないといけない、そんな気がした。
「やっぱりここか」
明かりのない屋上は夏の夜空を反映していた。
「〇〇さん…どうして」
階段に座り込むさくら。暗くてもその表情が分かった。
「良かった、心配したよ」
「心配って…こんな時でも優しいんですね」
俺はさくらに近づいた。が、さくらはそれを拒んだ。
「来ないで!」
さくらは心の内を吐露した。俺は初めてさくらの心に触れた。
「もう辛いんです…もう…」
言葉を詰まらせる。その先に何を言おうとしたのか、俺には分からない。
「私のせいなんです…私のせいなのに…」
言葉は途切れ途切れ俺に伝わる。俺はさくらが紡ぐのをただ待っていた。
「お前のせいだ、お前のせいでって言われた方が良かった。なのに…」
「さくら…」
俺が口を挟む隙は無かった。
「誰もそんなこと言わなかった。飛鳥さんのご両親さえも…」
飛鳥の両親は俺も知っている。あの人たちは絶対にそんなこと言わない。
「あなたのせいじゃない
そう言われる度に私の中で何かが崩れた。違うの、そうじゃないのって。
だからあの時、もう終わらせるつもりだった。
なのに…あなたに出会った。こんな私も…生きていたいって思っちゃった。
それからは楽くて。自分でいる時も、飛鳥さんに入れ替わっている時も。
それに飛鳥さんと入れ替わっている時は辛くなかった」
「それって…」
さくらは全部知っていた。
「飛鳥さんと話す時の貴方がすごく幸せそうだった。
そこで、自分が奪ってしまったものの大きさにを突きつけられた。だから…」
私は涙声をぐっと飲み込んだ。
「ずっとこのままで良い、私なんか消えちゃえばいいって思ってた。
貴方の目に本当に映る人が、私じゃなくても良かった。
でも、今あなたの前にいるのは私。大切な人を奪った私なの。だから…」
喉に力が入る。
「だから嫌いになって…お前のせいだって私を責めて……そうしたら最後に楽になれるから」
私は本当に弱い。最後の最後までその罪を背負いきれなかった。
「さくらのせいじゃない。それに飛鳥だってそんなこと望んでない」
結局、肩の荷は下りなかった。でもまぁいい、旅に荷物は多い方が役に立つはずだ。
「そういう〇〇さんの優しすぎるところ…大嫌い…。でも…」
「…大好き」
私は柵に手をかける。星に一歩近づいた。
向こうで飛鳥さんに会えるかな…。まずは閻魔様にお話しないと。
涼しい夏の夜風を吸い込んだ。やっぱり最後のにみたらし団子を食べておくんだった。
「大好き」
言葉が耳を通り抜けるより先に体が動く。一瞬さくらの体が止まった。
俺はその隙にさくらの足を掴んだ。
「離して…離してよ!」
足をばたつかせる。それでも、俺は足を掴み続けた。
「絶対に…絶対に離さない」
大切に想う人を失うのはもう嫌だ。今度は自分の手で守ってみせる。
「きゃあっ!」
悲鳴が聞こえると俺は背中から屋上に倒れる。同時にさくらの体が俺の上にのしかかった。
「ハァ…ハァ…」
時が止まったようだった。さくらは俺の隣で泣いていた。
「どうして…〇〇さんまで私に優しくするの…もう…もう…」
俺はさくらの右手に左手を重ねた。
「もう二度とこんなことすんなよ。飛鳥がいたら蹴り飛ばされんぞ」
飛鳥がいたら蹴り飛ばした後に、一緒に泣いてくれていただろう。
「でも…もう飛鳥さんは…私と一緒にいる理由なんて〇〇さんには…」
いつもより細い声は耳を済まさないと夜の闇に遮られそうだった。
「飛鳥と過ごせた時間はめっちゃ楽しかった」
空に浮かぶ満点の星空は田舎の特権だ。そして、こんな事を言えるのも今しかない特権なのかもしれない。
「でもな、さくらと過ごした時間も同じくらい楽しかったんだ」
さくらは何も答えない。ただ、俺の右手を握る力が強くなった。
「もう気にしなくていい。さくらは十分苦しんだだろ」
苦しんだ…そう言われても実感は無かった。でも思い返せば、いつも隣にいた罪悪感、その答えをずっと探していたのかもしれない。
「でも…」
直ぐに切り替えは出来なかった。誰に慰められても、それは一生消えずに隣に居続ける。
「直ぐにとは言わない、悩んだっていい。それでも、生きていくしかないだろ」
泣きすぎてもう涙は出てこない。顔もぐしゃぐしゃだろう。涙が乾いて見上げた夜空は、雲ひとつない星空だった。
「それでも生きていく…か。自信はないですね」
「もうさくらは1人じゃない。それなら俺が半分抱えてやるからさ」
〇〇さんの体が近づく。いつもの匂いが私の気持ちを昂らせる。
「そんなの…そんなの…」
私は声を上げて泣いた。この6年間、蓋をしていたものが溢れ出す。
あの日、病院で零した涙とは別の、温かい涙だった。
「よし、これでいいか」
最後に水をかければ墓石はキラリと輝きを取り戻した。
「私、花瓶洗ってきますね」
あれから俺たちは初めて一夜を共に過ごした。残念ながら変な気を起こす気分ではなかった。
さくらの目は昨日の涙のせいで腫れていたが、それでも可愛げがあった。
「久しぶりだな飛鳥」
墓石を眺める。飛鳥のことだ、墓石の上から俺たちの事を見ているに違いない。
「色々あったよ。本当に色々さ」
この4ヶ月の事が頭を駆け巡る。さくらに出会い、飛鳥にも再会した。目まぐるしく変化する心情に飲まれそうになったこともあった。
「やっぱり忘れらんねえよ、飛鳥」
俺は1人で呟いていた。でも、確かに飛鳥が聞いている、そんな気がしていた。
「それでも俺は次に進むよ。そんで、俺がそっちに行った時、この浮気者を蹴り飛ばしてくれよな」
6年前も同じくらい晴れていただろうか。最後に飛鳥もこの空を見ていたに違いない。
「〇〇さーーーん!」
遠くで両手に花瓶を持った元気な声がする。そんな子供っぽいところが俺は気に入っている。
「綺麗な花ですね」
「紫苑って言うんだ。飛鳥っぽいだろ?」
紫色の花びらはどことなく飛鳥に合っている気がする。でも、俺が早咲きの紫苑を選んだのはもう1つ意味があった。
「花言葉は…『あなたを忘れない』」
そう言うと俺は花を左の花瓶に、さくらが右の花瓶に生けた。
2人で墓石の前で手を合わせる。鳥のさえずりがそれに花を添える。
「ありがとな飛鳥」
顔を上げたその時、清々しい風が俺たちの間を通り抜けた。
「飛鳥さん…」
どうやら飛鳥の影を感じたのは俺だけじゃなかったみたいだ。
「泣くなよ」
涙目のさくらにイタズラに釘を刺す。
「良いじゃないですか」
そう言うさくらは泣いていなかった。
「昨日いっぱい泣いたもんな」
「変なこと言わないでください」
さくらは頬を膨らませていた。
「じゃあ、また来るわ」
俺は右手に道具を持つ。
「また来月来ますね」
左手でさくらの右手を持つ。
「いや、来月は…」
「私、毎月来てますから」
さくらの言葉に驚く。こいつ、やっぱり根はマメなやつだな。
「これから毎月、欠かしませんからね」
「お…おう…」
自信は100なかった。
「この後は?」
「〇〇さんの家でご飯作りますよ」
ご飯…さくらの料理は不安が残るな。
「いや…俺が作ろうか?」
「なんですかその顔。絶対私が作ります」
さくらは怒っていたがどこか嬉しそうにも見えた。
色々あったけど、お互い支え合える気がする。俺たちはようやく、1歩を踏み出せた。
「久しぶりだな飛鳥」
「久しぶりだね〇〇」
墓石の上から〇〇と目が合う。〇〇は私がここにいることが分かっているのかもね。
「色々あったよ。本当に色々さ」
「同感だよ。色々あったけど、楽しかったよね」
「やっぱり忘れらんねえよ、飛鳥」
「忘れてなんかほしくないよ…でも」
「それでも俺は次に進むよ。そんで、俺がそっちに行った時、この浮気者を蹴り飛ばしてくれよな」
〇〇に私の声は聞こえていない。それでも、目の前で会話をしているような気がした。
「おう、1発蹴り飛ばしてやる。そしたら、楽しいお話いっぱい聞かせてよね」
2人が黙って手を合わせている。なんか少し面白い。
「これから2人とも頑張れよ!」
2人の背中を叩く。といってもすり抜けちゃうけどね。
爽やかな風が吹く。6年前と同じ、悔しいほど綺麗な青空だ。
「じゃあ、また来るわ」
「おう、また来年な」
〇〇の性格上、次会えるのは来年だろう。仕事も忙しいしね。
「また来月来ますね」
えんぴーはマメだなぁ。可愛い後輩だ。
〇〇は微妙な反応をしていた。おい、そこは直ぐに頷けよ。
「私、毎月来てますから。これから毎月、欠かしませんからね」
毎月来てくれるのかぁ…ちょっと嬉しいかも。
2人は私の前から遠ざかっていった。その背中はどこか未来を見ているようだった。
「またねぇーーー!」
声は届かない。2人も振り向きはしない。それでも私は力いっぱい叫んだ。
1人になった。それでも、今までの1人とは訳が違った。
「んーー、私もそろそろ行こっかなぁ」
大きく伸びて、息を吸い込む。今年の夏も暑かった。
「本当、良い最後だったなぁ」
思い返してみても、この4ヶ月で思い出話をたくさん作ることができた。これで退屈しなくて済む。
「あっ…でも…」
「もう少し本、読みたかったなぁ…」
fin.