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リトル・シングス 全員騙されている

the little things「リトル・シングス」はラミ・マレック、デンゼル・ワシントン、ジャレッド・レトというアカデミー俳優3人をキャスティングした意欲作にも関わらず、本邦では映画公開さえされず評価も低めです。それは内容のダークさにも原因がありますが、何と言っても内容の難解さと結末のスッキリしなさが大きな原因だと思います。しかも、レビューをざっと見回すと、それは違うでしょという解釈の誤りと思われるものも多いです。当然映画の解釈など人それぞれだとは思いますが、本稿ではネタバレ全開でリトル・シングスが語りたかったことについて考察していきたいと思います。長文ですが観たけど意味が分からなかったという方のみお読みください。



この映画はとにかくミスリードが多く、結局なんなんだよという結末に理解することを脳が拒否する内容になっています。筆者は最後"No Angels"と書かれた紙と赤い髪留めがラミに届いたとき、デンゼルが真犯人!?と壮大な勘違いをし、さらに髪留めの残りパッケージを燃やすところでデンゼルが真犯人はジャレッドだったよというのを捏造してラミに知らせたというオチだと考えてしまいました。しかしこれもまた正しくないはずです。いくつもの伏線(ミスリード)の一つ一つを考察すると、デンゼルのキャスティングこそが、この映画最大のミスリードを誘う罠だったことに気付かされます。時系列に沿って一つずつ疑問点を考察していきたいと思います。


デンゼルが出世しなかったのはなぜか

デンゼルは15年間検挙率No. 1のエース級刑事だったのに、現在は地方の一巡査に左遷されているのはなぜか?
これこそが最大の謎でかつ最も重要な点だと思います。冒頭で野良犬に対して優しく接するシーンを見せつけられ、全員がデンゼルは"いい人"ということを刷り込まれてしまいます。逆に、途中かつては同僚であったLAの署長がデンゼルに対して非常に冷たく接しており、凄く嫌な奴だと思わされます。さらに、ラミがデンゼルの車をレッカーさせようとしますが、ここでもラミは偉そうに記者会見するエリートづらした嫌な奴という印象を持ちます。一方でかつての相棒の刑事はデンゼルを見つけてコーヒーに誘うのでいい奴認定です。
さて、これでデンゼルがいい人設定の印象操作が完了すると、何やら同情すべき事情で(世間では心臓病のせいということにものなっている)一線を退いたのだろうと勝手に想像してしまいます。ですが最終的に明かされるデンゼルはやらかし刑事であること、検視官の女性に"evil"とわざわざ言われていることを考慮し、全てを反対から見てみると色々な辻褄が合ってくるのです。そうデンゼルは決して凄腕刑事ではなく、とんでもない不良刑事だったと考えるべきなのです。
検挙率は高かったとしても、乱暴で杜撰な捜査によって次々に事件を解決、捏造していたことがうかがえるシーンが後に自殺してしまう最初の容疑者のシーンです。さて、なぜこの容疑者が浮上したのかというと、事件現場から見えた向かいのビルの空き室に行くことから始まりました。確かに怪しい部屋ではあり、都合よく鍵も開いていましたが蜘蛛の巣だらけで犯人の足跡も、そこに最近誰かが入った形跡も映りません。むしろ椅子が倒れていてそれをわざわざ起こして座り、それっぽく事件現場を見つめます。でも覗きがあったのであれば色々犯人の痕跡が発見されるはずが、その後何も出なかったと報告があります。殺人現場の手すりには指紋があるのにですよ。この推理は全くの見当外れで、そこから浮上した性犯罪者は真犯人ではありえません。それどころか、本当に立ちションしてただけのところをデンゼルが「でっち上げた」可能性が高いと思います。だからまたでっち上げで捕まることを酷く恐れており、その容疑が"メアリー・ロバーツ"事件と知り恐怖のあまり自殺したと考えられます。
その本性はジャレッドの取調室に入った後の行動でもうかがうことができます。重要な現場写真をジャレッドに見せ、勃起しているジャレッドに殴りかかります。恐らくこれは常習的に行われていたのでしょう。行き過ぎて容疑者の顎を粉砕したというのも事実として語られます。
細かいところですが、LAに行ったとき駐車場が空いてなくてとんでもないところに車を停めたまま用事を済ませようとします。ラミが嫌な奴という印象操作のためのシーンかと思いましたが、よく考えてみればとんでもなく自分勝手な人物です。元奥さんに会いに行きますが表情が微妙です。そりゃあ半年で停職、心臓病で離婚ですから微妙になるのも当然ですが、娘に電話もしないというのも引っかかります。想像するに家庭も顧みない父親としてもろくでもなかったのではないでしょうか。
確かに冷蔵庫の中身が腐っていたことを手がかりとしてジャレッドに辿り着くなど、捜査の手腕には評価できるところもあり、「伝説的な」という枕も嘘ではないのでしょうが、ジャレッド宅に不法侵入する違法捜査も厭わないところや、ストーリの鍵となる誤射も含め暗部の方が強い刑事と考えられます。
巡査部長に昇進したかつての同僚に「犯人は現場に戻るだな」と言われるのは実はジョークじゃなかったし、唯一コーヒーに誘ってくれた元相棒は干されてラミの下です。嫌な奴に見えた署長こそ真っ当な人物で、実はデンゼルの誤射の現場に居合わせており、デンゼルが戻ってきて下手な"little things"をされては困ってしまいます。最後の方でFBIが来てしまうとラミに伝えますが、あと2日というのを容認するあたりは実に良い上司なのです。検視官の女性はデンゼルと食事を一緒にしますが、これは好意からくるものではなく、証拠の弾丸を突きつけるなど自分が現在もどれだけ苦しんでいるのかについてデンゼルに分からせるためです。

真犯人は誰なのか

この映画内では様々な事件が起こりますので整理してみましょう。

  1. 8年前の殺害事件(詳細は語られず)

  2. 5年前の娼婦3人(2人)殺害事件

  3. 冒頭の女性ドライバーつきまとい事件

  4. 店の看板壊される事件

  5. ベジタリアン女性自宅殺害事件

  6. 湖の女性殺害事件

  7. ランニング女性行方不明事件

  8. その他4名の殺害事件

冒頭から意味ありげなつきまとい事件から始まり、これが事件のプロローグなのかなと思わされたのですが、完全なミスリードです。まずこれら全ての事件の犯人が同一であるとは誰も言ってないのに、勝手に思い込まされてしまいました。手口もバラバラで、普通こういった連続殺人を起こすような人物は最初は雑かもしれませんが、段々と共通点のようなものが出てくるものなのに、被害者が女性ということ以外に一貫性が無いことが何回か描写されています。
全般的に車が鍵になりそうな事件が多いですが、特に異質に感じられるのがドライバーつきまとい事件と、ランニング女性行方不明事件です。つきまとい事件は「青い車」がはっきり映し出され、黒い衣服の男がトランクから白いテープやバッグを取り出すところも描写されるなどやけに意味ありげです。ランニング女性の方は「茶色い車」が映りますが人物は映らず、また遺体も出てこないままです。つきまとい事件の被害者が後にジャレッドの写真を見てこの人のことをよく見たいと言いますが、それは先程手錠をかけられて連行される姿が目に焼き付いたためで、同一人物であることのミスリードだと思われます。ジャレッドの動きと、青い車の男の動きは明らかに違うと感じます。
最初の方で4人目の被害者が発見されたという新聞記事が映りますが、恐らく現場と思われる写真は森です。4人が連続殺人の被害者であるという情報は語られません。ベジタリアン女性のように白いビニールを被せ、後で現場に戻ってすね毛を剃るなど、誇示するようなサイコパス的な犯人像と、埋めた遺体がダムの放水で出てきてしまったという犯行の犯人像は全く重なりません。
しかし映画を観せられているのでこれらの事件が全て繋がっていると思わされたのがそもそもの間違いであって、実は全く無関係な事件がいくつも混ぜ込まれているというのが真相でしょう。確かにLAという大都市であれば、毎日様々な犯罪が行われているので、警察署ではいくつもの事件を同時進行で扱うことになります。現実では全ての事件が同一犯であるなんてことは誰も考えないのに、映画で意味ありげに観せられれば何か繋がってるんだろうなと思うのは普通です。
では、これら一連の事件に関わる犯罪者は何人いるのでしょうか?
まず、看板を壊すのは一連の殺人事件とは全く関係が無く単なる愉快犯です。恐らく下品なクソガキでしょう。
次に主要な事件として取り上げられるベジタリアン女性殺害事件の犯人は、5年前の娼婦殺害事件と犯行の手口が同じなので同一犯です。
ダム湖の事件は遺体の状況から別の犯人がいると思います。
残り4人については断定できませんが、そのうちの2人目の被害者、ハイウェイ沿いで発見された遺体の事件はジャレッドが犯人ではないと考えます。
そして、8年前アリバイがあったために不起訴となった事件の真犯人はやはりジャレッドだと思います。
女性つきまとい事件、ランニング女性行方不明事件はそれぞれ全く別に犯人がいると思います。

ジャレッドがいつから殺人を始めたのかはわかりませんが、8年前の殺人を犯した後、出頭して自供しました。しかし、アリバイにより釈放となっています。このようにジャレッドは警察を嘲笑うことをこの上ない快感としています。犯罪マニアと称し取調室でも挑発的な態度をとりますが、自身の犯罪に対しどうすれば警察が咎めることができないのかを知り尽くしているとも言えます。5年前の事件では2人の娼婦を猟奇的な方法で殺害し、その後デトロイトに移り住んでいます。遺体に付けた噛み跡が一部一致しますが決め手には欠けます。しかしピザの食べ方から東部出身と推測され、ジャレッドが「東部の」デトロイトに移ったのは土地勘があったからでしょう。しかし、自分は2人しか殺していないのに新聞記事では3人となっています。当然殺すつもりだった娼婦ですが、通報に気づき逃亡したのに不思議です。頭のいいジャレッドは何が起こったのか感づいているはずです。従ってほとぼりが冷めたころ舞い戻って再び警察を挑発するようなことを始めたと考えられます。ベジタリアン女性殺害事件については、ジャレッドが犯人ということを示唆する証拠が複数あります。冷蔵庫の修理依頼による繋がり、部分的に一致する指紋、部分的に一致する噛み跡、無理やり食べさせたと思われるローストビーフです。殺害後しばらくしてから現場に戻り、冷蔵庫にわざわざ牛乳を入れるなどしてヒントを与え、自分が犯人であることを警察に掴ませるように仕向けています。しかし恐らく決定的な証拠については既に隠蔽されており、逮捕に至るようなものは残していないと思われます。このように、ジャレッドは理由は不明ながら警察を挑発することに異常なまでに執着しており、単なる快楽殺人犯ではないということです。
描写が少ないので断定はできませんが、4人殺されている事件の犯人がジャレッドかは疑問です。殺害方法などが同じならば、それについて言及があってもいいのですが、それがあえて語られません。126号線ハイウェイ沿いの467マイルポストの現場をジャレッドが知っていたのは、犯人だからということもあり得ますが、警察無線の盗聴で知っていただけという可能性が高いです。尾行に気づいていてわざわざそこに案内して挑発するというのも、警察(そして観客)にミスリードを誘っているのだと思います。

冒頭のつきまとい事件ですが、犯人が取り出したのが白いテープでした。一方ベジタリアン女性が縛られていたのは細い紐で、娼婦2人の手首には縛られた痕が残っていましたが、ポーズを取らされているため外されたようで何で縛られていたか不明です。また、つきまとい男はライトを持つ手、女性の車のドアを閉めるのもの左手なので左利きが濃厚なのに対し、ジャレッドは取調室で右手でペンを持つことから右利きです。これらの違いからつきまとい男はジャレッドではありません。

ジャレッドが撤去された車のメーターが戻されていると疑われますが、その車を売りに出す時に高く売るための偽装です。デンゼルが最初にジャレッドの家で車を調べる時にFor Saleの看板について聞きますが、これはつきまとい男の青い車や誘拐犯の茶色い車を売ったことを隠していることへのミスリードで、単に売ろうとしていた車が撤去されてしまっただけです。わざと撤去させて盗難届を出し、無関係な車を調べさせるという挑発かもしれません。

the little thingsとは何を指すのか

邦題も(珍しく)カタカナに変えただけのタイトルを採用しているように、このlittle thingsという言葉はキーワードとして何回か登場します。デンゼルがラミに対し、捜査の心得としてthe little thingsの積み重ねが大事なんだと教えるところと、ラミのやらかし後にthe little thingsによって破滅を招くからやらかしの事は心に固くしまっておけと諭すところです。the little thingsというのは些細なことという翻訳が当てはまると思いますが、何事もあの時ちょっとだけでもこうしておけばという後悔がこの映画のテーマとなっています。
5年前の事件現場では、いつもだったらおせっかいおばさんがいるからそこでは事件は起きなかったかもしれないのに、滅多にないデートで不在。デンゼルは現場で銃を持って警戒中、相棒に話しかけられて振り向かなければ誤射をしなかったかもしれない。たまたまトレーラーが通りかかからなければ、つきまとい男は女性を捕まえていたかもしれない。ベジタリアン女性の遺体にデンゼルが話しかける通り、ちょっとだけ警戒を強めていれば殺されずに済んだかもしれない。あとちょっと手すりに残された指紋がはっきりしていれば、歯型が明瞭ならジャレッドが犯人だと特定できたかもしれない。家まで送っていくという言葉に甘えていれば、ランニング女性は誘拐されなかったかもしれない。つきまとい事件の被害者の聴取が後回しにならなければ、トイレに行かなければ、靴紐が解けなかったら写真による面通しが正しくできたかもしれない。ジャレッドの張り込み中、ライトの電池が切れなければ、時間がかかるコーヒーなんて頼まなければラミが一人になって連れて行かれることはなかったかもしれない。
といった具合に最初から最後まで、ほんの少し何かが変わっていれば全く違う結果を与えたであろうというエピソードばかりで構成されていることがわかります。だからこそ観客は終始モヤモヤした感情を拭うことができず、バッドエンドも相まって映画に対する印象はよくないものになってしまいます。筆者はマレックが穴を掘り始めたところでこの後何が起こるかは想像できてしまったのですが、その後をどうまとめるかという点については非常によくできていたとあらためて感じました。ただ、初見で全貌を理解しろというのはいくらなんでも無理があるでしょう。

No Angelsとは

ラミの最後のシーンは大変考察が難しいです。デンゼルはラミを5年前の現場に連れて行った際、「天使にはなるな」と助言しました。被害者の無念を晴らす「天使」になろうとのめり込むあまり、ドツボにハマる経験を何度もしてきました。恐らくそのドツボの中にグレーな行いもたくさんあったのでしょう。自分と同じ轍を踏まさないという本心からの言葉であったと思います。そして最後にメッセージを届けるのですが、マレックはその紙を呆然として落としてしまいます。メッセージにショックを受けたとか、反発したとかではなく、力なく落としてしまうのです。娘がプールで楽しく遊んでいるのと対比するように、行方不明女性のビデオ映像がフラッシュバックしていました。ラミは未だにその事件の事が頭から離れず、もしジャレッドが犯人ならば、今後遺体を見つけることはほぼ不可能にしてしまったのは自分の責任ということに押しつぶされているのです。
誰のどんな言葉も今のラミには響かず、デンゼルのNo Angelsの意味も理解はしていないはずです。しかし、同封されていた赤い髪留めが最後の救いになってくれたのかもしれないという描写で締めくくられます。デンゼルが捏造した証拠を送ってきた理由は、ジャレッドの所持品の中に赤い髪留めを見つけたよ、だからやっぱりジャレッドが一連の殺人事件の犯人だよ、殺してしまって全容は解明できないけど、クズを始末したのは間違いじゃないというメッセージではありません。デンゼルもラミがそんな安易な捏造に引っかかるとは思っていません。嘘でもいいからせめてこれで心の折り合いをつけ、「天使」になるのは諦めろというメッセージです。
ジャレッドの部屋に不法侵入した際、床下にあった箱に「戦利品」があったはずです。新聞の切り抜きは証拠にもなりませんが、何やら意味ありげな品がいくつか映ります。なんでもいいからパクればよかったのに(警官が突入したんだから家宅捜索ぐらいすればよかったのに)、あの後ジャレッドは中身を全て処分してしまいました。もうジャレッドを真犯人と確定させるような証拠はどうやっても手に入りませんので、FBIが来ても遅いです。事件が止まればラミだけは間接的に真犯人に確信が持てるようになりますが、この街には他にもたくさんの殺人者がいるので、事件が全く無くなるということはありえません。未解決事件もたくさん出てくるでしょうから、いちいち「天使」になっていたら身を持ち崩してしまうのです。


さいごに

アカデミー俳優3人をキャスティングした本作ですが、コロナ禍も重なり本邦では上映されませんでした。興行成績も振るわず、評論家の評価も低いです。やはり映画の構造が複雑で、結末がスッキリしないことから低評価は仕方のないものだと思います。バディ刑事が最後にやらかす映画としてセブンが代表的ですが、構造はよく似ているものの、黒人刑事の苦悩の部分が濁されていること、私の解釈ではデンゼルはモーガン・フリーマンのような良き刑事では無いことから全く異なる人物描写となっています。名作セブンと比べるのは厳しいかもしれませんが、私は本作は良作だと思います。「あの時ああしていれば」という些細なことを人は皆苦悩することになるのだというテーマについてあらためて考えさせられました。

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