夜のスーパーノヴァ
熊です。
最近話題の熊駆除の話です。
まずはこのニュースを見てみよう。
ふむふむ。
この状況に対して、
あるコメンテーターは下記のようなコメントをした。
コメントの後半は特に異議はなかったが、
前半がね・・・
人間の生活とは言え、
数万年前に洞窟に住んでたのも生活だし、
地球は綺麗だったじゃん。
生活は一つのパターンだけじゃない。
人間の生活というより、
人間の欲望を優先にしたいだけだな。
先進国ではある異常な現象が特に顕著である。
それは
「どんな罪を犯しても、
それが人の命に関わることでなければ、
死刑にはならない」のである。
ここで誤解しないでほしいのは、
熊は死刑を賛成したり、
死刑の適用範囲を拡大したりしたいわけではない。
ここで言いたいのは、
「人間社会で死刑は一番許されないことに対する対応であり、
その対応は人間の命に関わることにだけ関連付けられる」
ということ。
つまり、
人間が犯した罪の中で、
人間の命を脅かすことが一番重大だと思われている。
🐺チワワ「何が問題でも?」
例えば、
あなたが日本の全ての世界遺産を修復不可能なほどまで破壊した。
そして、
日本の法律はあなたの行動を、
一番重大な罪として捉えることが極めて難しい。
でもよく考えたら、世界遺産には、
自然にできでいるものもあれば、
数々の人間が長い年月をかけて積み上げてきたものもある。
言い換えれば、あなたは数々の人間の努力を無駄にした。
努力というのは時間、
時間というのは命です。
一人の人間を殺したより、
あなたは大量な命を殺していると考えてもおかしくないよね。
しかし、人間は見えるものにしか興味がない。
また、かつての命は、もはや命として見做されていない。
そしてもっと致命的なところは、
「人間は最優先されるべき」という考え方。
これはおそらく
人類史上で一番普遍的かつ一番愚かな思想。
ぐだぐだ書きすぎてもあれなので、
簡単な例で説明してみると。
人に対して「犬以下」という言葉は、
法的に完全にNGなので、決して使うべきではない。
※ルールを守る前提で世の中をサンドバッグにしましょう
また、
「犬以下」のような全体否定の表現は、
事実としても合っていない。
しかし、部分的な表現にしたらどうなるか?
例えば、「人を助けるか」という観点。
①訓練されたことがなくても、人間や他の種を助ける犬は居る。
②いくら教育を受けても、人間や他の種を助けない人間は居る。
つまり、
「②の人間は①の犬以下」であることは間違いなく事実です。
しかし、この言い方は法律的にどうでしょう?
やはりNGだよね。
命は尊いと人々はよく言うが、
多くの人間にとってこれには暗黙的な前提がある。
「生きている」人間の命の前では、
「亡くなった」人間の命と「他の命」はどうでもいいんだ。
人間は慰霊碑をたくさん建てることで、
自分の尊大すぎる心を見なかったことにする。
猫が糞に土をかけるのと一緒。
人間の行動は嘘をつかない。
慰霊碑に載せてる人々の行動は、
参拝しに行った人々にもできるでしょうか。
そこで祀られている先人たちが求めているのは、
後世からの敬意ではないはず。
🐺チワワ「重い〜〜〜金曜日なんだけど」
🐻熊「天気悪いから、悪しからず」
🐺チワワ「平気そうな顔でこれを書けるってマジでやばい」
🐻熊「ありがとうございます!」
🐺チワワ「そういえば熊駆除に対する感想は?
仲間がたくさん死んでるってどんな気持ち?」
🐻熊「んー、素手なら何人、
そしてどうやって熊を倒せるかを考えている」
🐺チワワ「ある程度予想内」
🐻熊「そして熊側はどう応戦するかも考えている」
🐺チワワ「スルーしよう。
そういえば、何でペンネームが熊なの?」
🐻熊「良い質問だ。
みんな気になると思うけど、誰も聞いてこない。」
🐺チワワ「聞いてほしかったのか?」
🐻熊「・・・うん」
🐺チワワ「今度聞いてあげる。興味ないけど」