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メンタルに弱さなんてない-脆弱性とレジリエンスによる自己分析

日本のようなウルトラストレス社会では、
メンタルの弱さと強さはよく話題にされている。

医者さんや臨床心理士といった医療従事者を始め、
キャリアカウンセラー、教育関係者、会社の上司や先輩まで、
よくメンタルの弱さと強さの話をする。

世の中のメンタルの弱さと強さに対する定義は若干異なるが、
ほとんどの場合、共通点がある。

それは
「メンタルの弱さと強さは同じ軸の両端にある」
いわゆる二元論という前提である。


今日メンタルの弱さと強さについて、
既知の心理学知識および本熊の見解を合わせて話していきたいと思う。

脆弱性とレジリエンス

まず、
「メンタルが弱い」
「メンタルが強い」のような表現は
ここから本記事では出現しなくなる

なぜかというと、
メンタルという能力はないため、
メンタルが弱い/強いという表現は正しくない。

代わりに、
「脆弱性」と「レジリエンス」という用語を使っていく。

これは呼び方を変えるだけの話ではなく、
全く別の概念の話である。


脆弱性

「製造業」、「IT業界のセキュリティ」関連記事で
よく見られるこの用語は、実は心理学・生理学用語でもある。

本熊の解釈として、この脆弱性は
「心理と生理がお互いに干渉し得る萎縮を引き起こす要因」
である。

心理は生理に影響する、
生理はまた心理に影響するため、
脆弱性を明確に心理的・生理的に区別する必要はないと思う。
※学者であれば必要はあるかもしれないが、
 一般人が「卵と鶏どっちが先」のような問題を考えても、
 どうせ鶏が卵生動物に進化した瞬間は誰も目撃していないし。
 両方の栄養価値が分かれば良いと思う🐔

そして脆弱性を引き起こす要因を「脆弱性因子」と呼ばれる。
分かりやすい例で言うと
心理的な脆弱性因子は、親族との死別。
生理的な脆弱性因子は、花粉症。

では、
次はあまり馴染みのない「レジリエンス」を見てみよう。


レジリエンス

レジリエンスは脆弱性との対義語として使わる。

レジリエンスを日本語で何と呼べばよいかは、
ちょっと悩ましいかもしれない。

「強さ」を強調したい場合、「心理的粘り強さ」はあり。
「柔らかさ」を強調したい場合、「心理靭性」も悪くない。
「回復力」を強調したい場合、「心理的回復力」も良い。
「傷を治す側面」を強調したい場合、「心的治癒力」は美しい。

呼び方はお任せ!(雑

本熊は上記の全ての側面を、
レジリエンスのそれぞれの種類(内訳)として理解している。
全ての側面は重要だと考えている。


脆弱性とレジリエンスの関係性

ここからが本題。

注意が必要!
Warning!Warning!


「脆弱性」の対義語は「レジリエンス」だけど、
同じ能力に対する弱さと強さという意味ではない。

「どういうこと?」と思うよね。

少し分かりやすい例で言うと、
本熊は納豆が苦手。
っていうか大嫌い、くせえし・・・💦

ここで、
「敏感すぎる嗅覚による異臭の検知」は本熊の脆弱性因子となる。

現代医学の心理療法は
苦手な物事、いわゆるストレスに感じるものに対する対処法に過ぎない。

しかし、
「苦手な物事の克服」は
「得意な物事の増加」には繋がらない。

回りくどいと思うなら
「嫌いじゃない」≠「好き」
として理解してもらえばいいと思う。

では、話に戻る。
「納豆が嫌い」を克服したとしても、幸せにはならない。
嫌な事が一個減っただけ。

そして人生というのは
「嫌な事(ストレスに感じるもの)が次々と出てくるもの」である。

つまり、
現代の精神医学は、
脆弱性因子を減らしてくれるかもしれないが、
レジリエンス因子を増やしてくれるわけではない。

嫌な事が全部消えたら、一時的に「無」になるだけ。

だから、
幸せを感じない人は世の中にすごく多いわけ。

「脆弱性」と「レジリエンス」という概念を知れば、
それぞれは別の能力を指していると分かる。
そして、
①人間共通の脆弱性因子
②自分ならではの脆弱性因子
③人間共通のレジリエンス因子
④自分ならではのレジリエンス因子
を探すことができる。

特に、
②、④は自分でしか見つからないため、
極めて重要である。

「いや、自分ならではと言われても、ないと思うけど」
と思うかもしれない。

それは絶対にあり得ない話。

私たちは常に環境から様々な脆弱性因子を食らっている。
しかも同じような人生を送る人は世の中に居ない。

共通・独自のレジリエンスを持っていない人間は、
居るとしても、既に死んでいる。

例えば、ドーパミンは、
全ての人間が持っている生理的なレジリエンスである。

例えば、自虐は
一部の人間が持っている心理的なレジリエンスである。
※自虐はストレス解消にものすごく効果がある

以前別の記事で話した「病名に囚われないことの重要さ」は
今回の話に繋がっている。

自分を知らないと、
レジリエンスは見つからない、
自分を癒すこともできない。


そしたら、
嫌な事が全部消えたとしても、「無」の状態になるだけ。
退屈、孤独、虚しさに満ちた人生を送ってしまう。

どうでしょう?
日本社会の現状とぴったりじゃない?

自分ならではのレジリエンスを知るためには、
これまでの人生における自分の生存戦略を分析する必要がある。

↓全員向けではないが、参考までにギフテッドの生存戦略を。


アイデンティティの構築

「脆弱性因子」と「レジリエンス因子」が見つからない、
というか探したくても始まらない、
と感じる方はものすごく多いと思う。

それは、
この社会は人間のアイデンティティの構築にフォーカスしないからである。

主流の精神医学は見えないアイデンティティに興味がない。
一部純粋な心理学者は密かに頑張っている。

アイデンティティの構築は
「積極的分離理論」の本編で紹介する予定なので、
ご期待ください。

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熱帯雨林の熊
お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻