顧みる
「顧みる」
このワードは、私の好きな言葉ランキングの上位に入っている。
自分自身の過去への回顧であったり、
その他大勢や、社会全体に対して。
「顧みる」「顧みた方が良い」「顧みた」「顧みよ」
と、様々な使い方をする。
自身について「顧みる」と、恥ずかしい出来事ばかりが思い出され、
身体がむずむずし、走りながら叫びたくなる。
それは失敗であったり、若さであったりする。
ああ、二度とあのような事はしないようにしよう。
そう思う。
ところで、
社会も「顧みた方が良い」事がないだろうか?
素人目に見ても、原発や安全保障、少子高齢化対策等、
「顧みた」ようには見えない。
過去に起こった出来事や、してしまった事を「顧みている」ならば、
ああ、二度とあのような事はしないようにしよう。
と作用するのでは?
大人が子どもに比べて無知な分野が明確に存在するこの時代。
自分の世界が現在にしかない人たちで溢れたこの時代。
過去を通った経験がある者たちが、率先して「顧みて」行かなければ、
「顧みる」過去を自身に持たない世代はどう生き抜けばよいのだろうか。
それが人間流の子育てではないのではないでしょうか。
人間よ、「顧みる」葦となりなさい。