「ライブ」と「好き」と「ユートピアマジック」
Liella 3rd Lovelive 埼玉公演Day2。 僕は伊達さゆりさんのMCをよく覚えてる。
たぶん、このMCが忘れられないのは、”好き“の力で成長し続けるLiellaを見てきて勇気をもらったから。
そして、少しだけそれを信じたいから。
・ユートピアマジック
今回、初めてツアーに複数回参加して。
1番“ライブを実感できる”曲だと思った。
普段は画面越しでしか見ることができないキャストさんが目の前にいる尊さ。
会場にいる全員が同じものを好きっていう高揚感。
この曲はトロッコでアリーナを回ってくれるから、話ができそうなくらいの距離にキャストがいるのが好き。
トロッコだけに向けてた視線を会場全体に移して、光の海を見渡す瞬間。ここが1番好き。
ライブって一言で表すと“非日常”だと思う。
光を反射するためのスモークの演出とか、コンサートホールでちょっと高く聴こえるキャストさんの声とか。そういうのもひっくるめていいなって思う。
楽しい時間もずっとは続かない、この寂しい気持ちも楽しい。
夢って見えないふりをしてると、本当に見えなくなるものだと思っていて。
だから、この世界がユートピアじゃなくても、僕はブレードを振り続けていたい。
・言語化のパラドックス
ちょっと考えたことを書いてる。
“好き”って言語化しないと“好き”にならないんだろうか。
僕はNOだと思う。
言葉にするだけが“好き”の価値ではないし。
言語化できない“好き”って、2パターンに分けられると思ってる。
1つは「感情の高揚」。
ヒトは高ぶった感情を抑えながら見た情報は記憶に残りにくい習性があって。
だから、楽しいライブや遠征ほど細かい内容とかは覚えてなくて、その楽しかった”事実“だけが脳裏に刻まれる。
もう1つは「自己実現」。
ヒトは社会に属する限りは自分の存在意義を考えてしまう生き物で。
それを特定の場所に行く、お金を使うことで感じる人もいると思う。
例えば、Liella!!のファンでありたい人が、聖地巡礼をしたり、グッズを買うことで、ファンでい続けようとすること。
語彙力がないこと=“好き”であることの証明になるし、言語化しなくても“好き”の気持ちは噓になったりしない。
ただ、好きで”い続ける“為には言語化は必要なんだと思ってる。
前述した2つについて。
感情の高揚って“楽しかった”っていう事実しか記憶に残らないから、時間が経つにつれて、思い出を補正したり、美化してしまいがちで。
その結果、昔の誇張した思い出に縋って「今」目の前にあるコンテンツを楽しめなくなってしまう。
そして、自己実現はどちらかというとアイゼンティティを大事にしてるから、好きなものの内容とか、魅力とかは深く考えていないことが多い。
だから、なりたい自分が変わるタイミングで“好き”が維持できなくなってしまう。
こんな理由で、思い出やコンテンツの内容に向き合って「言語化」すること、それは好きでい続けることに結びつくと思ってる。
・“好き”でい続けること
3rdライブを締め括ったこの言葉、ぼくはオーディエンスにも”同じもの”を好きでい続けてほしいというセンセーションだと思った。
2ndライブの横浜公演で、伊達さゆりさんはこう話していて。
「私やっぱり、歌が好きだ!」は澁谷かのんじゃなくて伊達さゆりさんの気持ち。
歌に向き合うのと同時に、それを発信してきたから、好きでい続けることができたと思う。
“3rdライブは千秋楽を迎えるけど、これからもLiellaの歌を聴いてほしい。”
そんな願いとか、決意表明とかが込められていてほしい。
・あとがき
何が言いたいかって、声に出すって大事だっていうこと。
人によって慣習の違いとか、“好き”の重みの違いとかいろいろあるけど。
それでも声に出さないと伝わらないことはあると思う。
今回のツアーは初めて複数回参加しましたが、すごくよかった。
ツアーに複数回参加すると、一公演目は全力で楽しんで、二公演目以降は演出とかパフォーマンスにも集中できるから、楽しみ方の幅が広がるんですよね。
ツアーを全通したがるオタクの気持ちが理解(わか)る。
あとは、今年はもっと“言葉にして伝える”一年にしたいな……って思った。
キャストさんに対しても、周りにいる人に対しても。
それでは。ここまで読んでいただきありがとうございました。
私は9人のLiellaが好き。あなたは…?
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