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お茶の不思議
いろいろあって最近、休日になると、おじさん(父の兄)の家に遊びに行くようになった。とても穏やかな性格の人で、父曰く「怒ったところを見たことがない」というくらい優しいおじさんだ。バイクで乗っておじさんの家に着くと「お茶でも飲むかい?」と言ってお茶を煎れてくれるのだが、そのお茶がまあうまい。自分で煎れたお茶より格段においしいのだ。使っているのはなにも特別でない市販のティーパックなのにおいしい。
そこで今回は「お茶の不思議」について書きたいと思い、ジムのランニングマシーンで運動しながら執筆することにした。
1.人が煎れるお茶がおいしい?
自分で煎れるお茶は、うまくもなくまずくもなくなのだが、人が煎れてくれるお茶がおいしいのはなぜかを考えてみることにした。その「人」とは、自分のじいちゃんや、先述したおじさんなど、「自分にとって親しい間柄」の人が煎れてくれたお茶はおいしいと感じる時が多い。
考えてみると自分で煎れるお茶は喉が渇いたときや、なにかを飲みたいといった「飲むこと自体に重き」を置いているが、親しい間柄の人が煎れてくれるお茶は「お茶を飲むこと」そのものよりも「自分を歓迎してくれるおもてなし」に比重が大きく、無意識に「自分を歓迎してくれて煎れてくれたお茶はおいしいに決まってる」と思って飲んでいるからおいしく感じるのではないだろうか。
よくよく考えてみると、これはお茶以外にもあてはまって、じいちゃん家やおじさんの家で食べたせんべいとまったく同じせんべいを自分の家で食べた時に「おいしい!」と感じるレベルが違うような気がする。
要するに「自分に対して歓迎してくれるおもてなしの心」という科学的に測ることとできないものがお茶をおいしいと感じる要因のひとつなのではないだろうか。
2.居心地のいい場所だとおいしい?
次に考えたのは「居心地のいい場所だとお茶をおいしく感じる」ということだ。これは、先ほども書いた、じいちゃんの家や、おじさんの家といった自分にとって親しい間柄の人の家に加えて、定食屋などといった自分とは「外」の場所でもお茶をおいしいと思うことがあることに気づいた。ただ、転職活動をしていた時に応接室に通されて出されたお茶や、仕事中、ビジネスシーンで出されたお茶の味を「ああ、あの時のお茶、おいしかったなー」などとは覚えていない。
このことから、自分にとって居心地がいいと感じる場所や、リラックスしている状態だとお茶をおいしく感じるのではないかと思った。
ここで「いやいや、家だって居心地がいいしリラックスできる場所ではないか」と指摘を受けそうだが、自分の自宅だと「当たり前」すぎて特になにも思わないのだろう。
まとめ
自分の中で、自分で煎れるお茶であの時飲んだ味が出せず、なんの変哲もないお茶が「おいしい!」と感じる時があるのはなぜだろうと考えることがあったが「自分を歓迎してくれるおもてなしの心」と「居心地がいいと感じる」ことが、お茶のおいしさを引き立ててるのではないかと思った。
つまり、自分の家で「あの味」を再現することは不可能なことがわかった。
読んでいただいた読者の方の中には、これはお茶だけでなく他の食べ物でも感じることがあるのではないだろうか。
大学生に戻れるなら「同じお茶でもなぜ自分の家以外で飲むとおいしく感じるのか」を卒論で書いてみたいなど思いながらランニングマシーンで30分以上運動して書いたのでした。