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寛大さの裏側
高校生の時、倫理の科目が好きだった。
倫理教師の老眼がエグく、テストの採点がめちゃくちゃなせいでいつも10点ほど得をしていたから、という理由もあったが、
たまに「わかる〜!」と自分に刺さる思想を学べるのが好きだった。
その中でもよく覚えているのがJ.S. ミルの「危害の原理」である。
「危害の原理」とは、人々は彼らの望む行為が他者に危害を加えない限りにおいて、好きなだけ従事できるように自由であるべきだという原理である。
ーWikipediaより
これにいたく共感した。私も基本的に、自分に迷惑さえかからなければ他人の行いは何でも良いと思っている。
そんなわけで、私は他人に対しあまり怒らない。
そのためか、たまに「あなたって寛大よね」「心が広いね」と言われる。
そうか〜わしは心が広い人格者なのか。へ…照れるね…と思っていたが、先日読んだ本にこんなことが書いてあった。
「寛大」さは、一般には美徳とされているが、「われわれの美徳は、まずたいてい、偽装した悪徳にすぎない」と言い切ったラ・ロシュフコーは、「いいところを見せたかったり、罰を下すのが面倒くさかったり、後で復讐されるのが怖いことから示すもの」にすぎないと毒を吐いている。
つまり、怒らない「寛大」さとは、虚栄心、怠惰、恐怖の産物に他ならないというわけである。
ー片田珠美「他人を攻撃せずにはいられない人」より
ガーン。でもすごく分かる。
私って、他人にそこまで興味がないのだ。興味がないから、怒りの感情がそもそも発生しない。だから怒らない。
でも「虚栄心、怠惰、恐怖の産物」って…いくらなんでも酷い(泣)
でも全部、心当たりがあるのが悔しい。
にしても、ロシュフコーの考え方って流石に辛辣すぎないか。
確かに人間の真実は突いているかもしれないが、こんなことばっか考えてたら大層生きづらかったに違いない。
私の虚栄心、怠惰、恐怖の産物で、
よく頑張ったねと彼の背中をヨシヨシしてあげたい。
私は寛大な人間なので。
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