第17球「マウムフル」
「さ、寒くないですか!?こ、こ、これ飲みますか!?」
俺は緊張しながらも、目の前の男性に声をかけ、自販機で買ったばかりのお茶を差し出した。
いや、やっと声をかけて差し出すことができたという方が正確だろう。
以前から通学途中やバイトへ行く途中で、何度かその男性の姿を見かけていた。
彼はいわゆる「ホームレス(homeless)」らしく、いつも車輪のついたボロボロの荷台にビニール袋や布袋を大量に詰め込んで通りをゆっくりゆっくり歩いていた。
というのも、彼は片手と片足が不自由で半身不随の障がい者でもあったのだ。
いつもその不自由な右足をひきづりながら歩き、左手一本で空き缶を集め、ゴミ箱から着れそうな服を取り出したり、道端にあるシケモクを見つけては吸い、自販機を見つけてはつり銭口から小銭を探していた。
右足を引きづり、黒ずんだビニール袋や汚れ切った毛布などが積まれた不安定な台車を押すその姿は、明らかに一般の歩行者からは「浮いて」おり目にするなという方が難しかった。
当初は見かけても「大変やなぁ」という同情心だけを抱き、何もなかったかのごとく通り過ぎていた。
しかし、その姿を見かける度に、行き交う人々が彼を確かに視界に捉えているはずなのにあえて見えてないフリをしていることに違和感を抱き始めた。
目の前に一人の人間が生きているというのに、その生命の存在をまったく無いものとして通り過ぎていくその状態に俺はだんだん耐えられなくなってきたのだった。
そして、「今度彼に会ったら絶対に話しかけよう!」と決意していたのだ。
その日もいったんは見かけたにもかかわらず自転車で通り過ぎたのだが、意を決してUターンし自販機ですぐに購入し、彼に声をかけた。
「へっ?あ・・・ありがとうございます・・・」
と驚きながらも、俺のお茶を受け取ってくれた。
受け取ったその手は浅黒くゴツゴツとしていた。それは、彼の日々の苦労を物語るのに十分なものだった。
俺は続けてなにか話さなければならないと思い、とりあえず自己紹介することにした。
「僕は在日朝鮮人で朴と言います。大学の帰りとかで、この辺をよく自転車で通るんです。ははは。」と緊張しながらもなれなれしく話した。
「う・・・・うん・・・・」と彼は驚き覚めやらぬ状態ながらも返事をしてくれた。
「あの、もしよければお名前教えてもらえませんか?」
人見知りなのか口下手なのか分からないが、俺はなんとか会話を進展させようと話しかけた。
「あ。た、田中です。田中…。」
「田中さんっていうんですね。また見かけたら話かけますんでその時はよろしくお願いします!」
「は、はい…」
田中さんの緊張がまだ溶けてない事が分かったので、今日はこれで帰ることにした。
その出来事以降、なぜか田中さんとは最低でも月に1回、多い時には3回も道端で会うようになった。
当然ながら彼には家もなく、さらには携帯電話すら持っていない。また決まった場所にいることもほとんどない。
そんな状態でこんなに頻繁に出会うという事実に俺は運命めいたものすら感じていた。
会う度に、二人でヤンキーのように座り込んだり、人の家の前のレンガに腰かけて話したりしていた。
俺たちが話している時、当然ながら通行人は注目してくる。
「朝鮮人のでくの坊」と「ホームレス」を、彼らはしっかりと視界に捉えていた。
そんな二人で話している時の通行人たちの視線を浴びることに俺はとうとう恍惚感すら感じていた。
俺は田中さんと会う度に常にこころがけているのは、
「決して恵んでいるとか施しているという上から目線は絶対に持たないっ!」
ということだった。
彼が好きなマイルドセブンやワンカップ大関、その他の食品を買って渡していた。
客観的には「持てる者が持たざる者にあげている」という構図になるのかもしれない。
しかし、俺のなかではあくまで「持たざる者同士が交換している」という構図になっていた。
田中さんから「ありがとう」といわれる度に、俺はその屈託のない彼の笑顔に癒されるのだ。
また、田中さんは日々歩き回っているせいか、「あの寺の像は昔の朝鮮の人が作った」とか「このあたりは昔軍事工場だった」などすごく文化や地理に詳しかった。
俺が自分の出自を明らかにしたこともあり、おそらく彼はそれを意識していろいろと話してくれて、会話がとても幅広く深いものになっていった。
また、京都出身だが東京へ働きに出たものの途中で半身不随になり職を失い、地元へ戻って来たものの就ける仕事もなく、現在の状況になってしまったというナイーブな話もしてくれた。
そんなある日、俺らがいつものように二人で話していると、俺好みの上品で大人っぽいセレブな母と3歳ぐらいの上等な洋服を着た子供が通りかかった。
突然、子供が、「お母さん、あれ何?」とこちらを指差しながら母親に質問した。
するとそのセレブな母親はこう発言した。
「見たらアカン!」
僕はとっさにぶちギレた。
「おいっ!息子!いいか!思いっきり俺らを見ろっ!朝鮮人とホームレスが仲良く話してんねんっ!生きてるねんっ!一生忘れんなよっ!!」
子供は半泣きになり、そのクソ下品でハートレスな母親は早足でその場から去っていった。
またある日、俺が田中さんにマイルドセブンを買って差し上げようと自販機の前に立った時、いつも不機嫌なタバコ屋のおばさんが
「あんた、あの人にタバコ買ってあげるんか?」
と僕にぶっきらぼうに尋ねてきた。
「え、はい、まぁ。あの人右手とか不自由なんで替わりに買ってあげようかと思いまして・・・」
「ふーん、そうか。」
そう言うと、おばちゃんはおもむろに自販機にタバコを入れる作業にとり掛かりはじめた。
俺は田中さんの元へ戻りタバコを渡したのだが、なんとライターを彼は持っていなかった。
「うわっ!しまった!俺はタバコ吸わないしどうしよっかなぁ。コンビニにでも買いに行こうかぁ。」
そう二人で悩んでいると、「あんたら、これ、良かったら使い。」とさっきのおばちゃんがわざわざ商品のライターを俺たちに渡してくれた僕らにくれた。
俺らは二人で頭下げて、その後ヤクザの組長のタバコに子分が両手で火を点けるようなモノマネしながら楽しく過ごした。
そして、月日は過ぎ12月25日のクリスマスの日。
俺は仕事帰りに自転車を飛ばしていると、向こうから見慣れた姿を発見した。
すぐさま、「田中さん!」と声をかけ、自転車を停めて「なんか買ってきますからちょっと待っててくださいね!」と言った。
「あ、ああ。ありがとう!」と田中さんは満面の笑みで答えてくれた。
近くの酒屋とコンビニへ向かいいつもの「ワンカップ大関」と「マイルドセブン」、さらに特別に「フライドチキン」と「肉まん」を購入した。
そして、田中さんと少しの間だけどクリスマスを過ごすことにした。
その最中、俺は信じられない光景を目にした。
「これ・・・あげるよ。ほら、クリスマスプレゼント・・・」
なんと、田中さんが千円札を俺に渡そうとしてきたのだった!
「いやいやいやいやっ!え!?なんでですか!?本当ですか!?」
「今日、他の人から実は二千円をもらってさ。で、俺は千円あるから君にあげようと思ってさ」
俺は、一気に涙腺が緩んだ。
「も、もらえるわけないじゃないですかぁ・・・・
ダメですよ!絶対にっ!」
「いいからいいから、もらってくれよ・・・」
何度も俺に渡そうとしてきたが、俺はかたくなに断わった。
周囲の人間は、ホームレスから千円を渡されてる俺をみて奇妙に思っていただろうが、そんな事を気にする余裕もなかった。
俺は、この際だと前から思っていたことを伝えることに決めた。
「田中さん、僕はね、あなたは気づいていないでしょうが、たくさんのものを既にもらってるんです。
あなたを一人の人間として尊敬しているんです。
家族や身寄りの人がいないし、しかも40代から半身不随になった障がい者だ。
にもかかわらず、いつもあなたは笑っていて、自暴自棄になったり自殺したりなんかしないじゃないですか。
この生きることにあきらめない姿勢に僕は胸を打たれるし、関わりあうことで力をもらってるんです。
正直、もしかしたら僕の心の中にも優越感というものがあるのかもしれません。
自分よりも「下」の人を見て「上」であることを確認し自己満足しているのかもしれません。
「偽善者」なのかもしれません。
しかし、これだけは言えます。
僕にその傲慢な感情が仮にあるとしても、同時にあなたに対して心底敬意を払っているし、目に見えないすばらしいものをたくさんたくさんいただいてます!
だから僕がその千円をもらう理由がない。それはあなたが大切に使ってください。ただ、その気持ちが死ぬほど嬉しいです!」
こう言うと、田中さんは了承してくれたのか、はにかみながら千円札を引っ込めてくれた。
そして、ふたりで肉まんとフライドチキンを頬張りながら時をすごした。
帰り際に田中さんがいつものように照れながら俺に話しかけてきた。
「こうやって・・・・話しかけてもらえるのが・・・・俺はうれしいねん・・・・・ははは」
マウム(心)が一気にフルになった(maumfull)。
俺は泣きそうになるのを必死でこらえて帰路についた。
クリスマスにやっぱりサンタはいるということも確信しながら。
今日もコリアンボールを探し求める。