第1球 「トック」
「M君、放課後ちょっと職員室に来てくれるかな?」
学級会の終わりに担任のT先生はこう僕に言ってきた。
僕は正直このT先生があまり好きではない。
なぜなら、僕ら生徒を露骨にヒイキするからだ。
僕ら5年2組は40人ほどの生徒がいるが、この先生は僕が「ハイハイハイハイハイッ!」と答えを分かって手を挙げまくっても、全くあててくれない。
それどころか、全然手をあげてない奴らをあてようとする。
おかげで、僕がおもしろい事を言おうとしてるのにいえなくなるのだ!
「えー、なんで!
僕なんにも悪いことやってへんやん!
はよ帰って遊びたいんねんけど・・・」
僕はT先生と二人っきりなるのも嫌だった。
化粧は濃いし、香水の匂いも鼻につく・・・
外見から内面まで何か苦手なのだ。
「まぁそういわんと。
ちょっと頼みがあるねん」
この時、僕はいつもの先生とは違うへりくだった態度に少し戸惑いを感じつつも、放課後職員室へ向かうことにした。
「まぁまぁ、ちょっとここに座ってくれる?」
職員室に着くやいなや、応接室みたいなところに連れて行かれた。
そして、少しはにかみながら、
「実はねぇ、君のお母さんにちょっと頼みがあるんやけど・・・
あのー、朝鮮のおぞうに料理でトックってのを知ってるかな?」
僕は拍子が抜けた。
絶対に何か注意され、必殺のネチネチ「口撃」が始まるとおもっていたからだ。
「し・・・知ってるよ。
正月とか、法事とかでよく食べるから・・・」
「そうかー。
それでな、そのトックの作り方を松岡くんのお母さんから教わりたいねん。
ノートとかに書いてきてもらえへんかなぁ・・
今度の家庭科の時間にそれをみんなで作ろうと思ってるねん」
普段えらそうにしている先生がやたらにへりくだる姿に、僕は気持ちよさを感じ始めていた。
「いいよ。
じゃぁ聞いとくわー」
その後、僕はすぐさま家に帰り、オカンに事情を説明し、ジャポニカ学習帳に調理法を書いてもらった。
僕は自分が「日本人ではない」とは思っているが、かといって朝鮮人だ!とは正直思っていない。
名前も日本名やし、歴史や文化なんて全く知らんし、朝鮮語も話せない。
同級生と唯一違うのは、外国人登録証の「国籍欄」にある「朝鮮」という二文字しかない。
これだけが僕が「日本人ではない」ことを証明するものなのだ。
低学年の頃に「もう、あんたらが大きくなったら国籍も日本籍にして日本人になったらええと思うし、そうなるやろ・・・」とオカンが言った。
この一言が、僕にはなぜかやたらに嬉しかったし、
「今僕は、日本人でもなければ朝鮮人でもない中途半端な生き物に過ぎないけど、将来は日本人になれるんだ!
何人かというのををみんなに堂々と言えるんだ!」
という、ものすごい安堵感も与えてくれた。
そして、家庭科の調理実習の日を迎えた。
みんなは、先生が紹介したトックのレシピを元に、普段使い慣れない包丁でモチを切ったり、卵を割ったりして不器用ながらも料理をしていった。
僕も勿論負けじと気合入れて作った。
料理ができると、みんなで試食大会が始まり、
「お前の班のやつまっず~!」
「うわぁっ!ここのめっちゃウマイ!」
僕らは小学生パワー全開でそのトックを食べまくった。
そして、試食大会が終わったあと、T先生がみんなにこう言った。
「今日、みんなが作った料理はトックという朝鮮のおぞうに料理です。
日本にはないおいしい料理やったでしょ?
これは、実はM岡くんのお母さんがみんなのために作り方を教えてくれたんです。
みんなで松岡くんとお母さんにお礼を言いましょうね。」
「ありがとー。」
「お前のお母さんスゴイなぁ!」
「めっちゃウマかったぞ!」
僕はクラスのみんなから感謝の言葉を浴びた。
正直ものすごく嬉しかった。
本来なら、自分の出自がバレるかもしれないのに、その不安などどこにも感じなかった。
ただ、それと同時になにか不思議な感覚にもなった。
確かに自分の母親を褒めてもらえたことも嬉しかったのだが、それだけではない何かが僕の中にあった。
今まで味わったことの無い感覚・・・
本来なら自分が朝鮮人とバレてしまってもおかしくなかったのに、なぜかそんな不安など感じなかったのだ。
説明のしようがない嬉しい気持ちが湧き上がってきたのだ。
その日の帰り、僕はT先生に呼び止められた。
「今日はほんまに君とお母さんのおかげで大成功やったわ。
また、色々教えてもらうかもしれへんけど、その時はよろしくねぇ」
そのときの先生は、外見は相変わらずだが、なぜかいつものイヤ嫌な感じがしなかった。
「うん。また言うて。オカンに頼んだげるわ!」
僕はその日の帰り、いつも以上に空きカンを遠くまで蹴り飛ばしながら家路についた。
自分が何人かは今は分からへん。
ましてや朝鮮人なんて友達に言えるわけもない。
でも、
今日のトックはほんまにウマかった。
ほんまにウマかったのだ。
ただ、この3年後、
僕は、自分の出自と強烈なまでに向かい合うことになる。
今日もコリアンボールを捜し求める・・・
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