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第20球「課金までして君を待つ」
「今度の秋に、アルバイトの人たちも含めてグァムへ慰安旅行へ行くんやけどき、お前も来る?」
7月末ごろ、新たなバイト先で俺は上司からそう告げられた。
数か月前、俺はピザのデリバリーのバイトをやめた。
夜が遅く、結局帰っても疲れて勉強ができないし、稼げてもあまり意味がなかったからだ。
やめた後、家からそう遠くないところで大学時代の先輩が出版編集会社を経営しているのを聞き、出版会社の事務のバイトとして雇ってもらえないかと打診し、今に至っているというわけだ。
「半額自己負担やけど、バイトまで連れて行こうって決めたから、お前が行きたいならおいでよ!」
「マジっすか!?行きたいです!!」
根っからの海好きということも手伝ってかなり有頂天になってしまった。
ただ、ここで一つの問題が瞬時に俺の脳裏に浮上した。
それは観光VISAの取得についてである。
グァムはアメリカ合衆国の領土であるのだが、日本国籍所持者と韓国国籍所持者は観光という短期間であればビザなしで行くことができる。
さらに韓国国籍所持者は短期間であれば「みなし再入国」が適用され再入国許可所も不要になる。
ところがである。
俺のような外国人登録証(現「特別永住者証明書」)国籍欄に「朝鮮」と記載されている人間は、勝手に「朝鮮民主主義人民共和国国籍保持者」として消去法的に米政府に認識されてしまうため、例外としてビザの取得が必要となってくるのであった。
焦った。
すぐに同じ朝鮮表示者でグァムに行ったことのある先輩に連絡をとると「最低でも1ヶ月半はかかる」とのことだった。
旅行の出発日は9月末。
今は7月末だ。
どう考えてもすぐに申請に行かなければ間に合いそうもなかった。
(余談になるが、実際は日本と朝鮮民主主義人民共和国(以下「共和国」)との間には国交が無いため、外国人登録証の「朝鮮」は国名ではなく地域名にすぎない。以上のことから「国籍」ではなく「表示」とする。
というか、南北の両国がともに在外コリアンを国民・公民と認めているので外登の表示がなんであろうと韓国国民であり共和国国民と法的にはいえる。つまり、「外登:朝鮮」=「国籍:共和国」では必ずしもないし、逆に「外登:韓国」=「国籍:共和国」といえなくもないのだ。
ややこしいかもしれないが、その責任は祖国を分断したアメリカとその取り巻き及び日本政府にあるのでそっちに怒りの矛先をむけてほしい。)
★★★★★★★
日差しの厳しい8月1日、朝いちで駐大阪米領事館へ向かった。
頭にターバンを巻いた男と席を並べながらも、領事館で手続きを進めていった。
そして、最終の面接手続きを迎えた。
ふくよかな白人男性事務員が、片言の日本語で俺に質問をしてきた。
「あなたは朝鮮総連の構成員ですか?」
自分が朝鮮青年同盟の地域役員をやってることもあり返答に窮した。
が、非専任であることと、ここで「そうです」といえばおそらくビザの発給がさらに遠のくと考えた。
そして、断腸の思いで、「い、いいえ・・・」と答えた。
すると次に事務員は、
「あなたはノースコリアにいったことがありますか?」
と聞いてきた。
ふたたび答えに窮した。実際に過去に2度行ったことがあるからだ。
おそらくここでも「いいえ」と答えておいたほうが早期受給のためにもいいに違いない。
喉からその言葉が出そうになった時、不意に脳裏に共和国での思い出が浮かんできた。
共に学び楽しんだ友人達との思い出、
叔父や叔母や従兄弟たちと過ごした長くはないが濃密な楽しい時間、
子供たちとプルガサリごっこをした思い出、
話しにくい過去を涙ながらに話してくださった元性奴隷(いわゆる従軍慰安婦)のハルモニたち。
ここで、「いいえ」ということはその思い出を否定するだけでなく、
そのともに過ごした素晴らし仲間や出会った人々をある意味で裏切ることになるのではないかっ!
親戚の人々の優しさへの侮辱行為になるのではないのかっ!
おれはそこまでしてコイツらにこびへつらってグァムへ行きたいのかっ!
おれは・・・
おれはそんなにウソをつかなくてはならないほど後ろめたい事をしたのかっ!
そう考えている内に、くやしさと共に無性にハラが立ってきた。
「行きましたよ!しかも2回!!」
意を決して言い放った。
事務員は予想外だったのか目を丸くした。
そして、すぐさま質問してきた。
「な・・・、なぜ行ったのですか?」
「自分の国へ自分の親戚に会いに行くためですが、何か?」
人間というのは開き直るとコワイもので、相手がたじたじになっていく様に恍惚感すら感じるようになっていた。
その後、事務的な問答が続き、一枚の用紙を男は受け取った。
「この度、あなたのビザ申請を審査するにあたり追加書類が必要となりました。」
と書かれており、追加書類として「過去3ヶ月以内の銀行預金残高を含む財政証明」がチェックされていた。
詳細を聞くと、「とにかく貧乏でないことを証明できればいいです」との回答だった。
再び焦った。
残高証明をすること自体がむしろ「貧乏」であることを証明してしまうという皮肉な結果になってしまうからだ。
一時的には「グァムがなんぼのもんじゃい!」と強気にはなったが、やっぱりグァムへ行きたいという欲求が俺に覆いかぶさってきた。
すぐに準備しなければならない!
★★★★★★★
その日の午後、すぐに「金策」にあたり、見せ金となる資金を集めた。そして、銀行から残高証明を受け取り、FAXで領事館へ送信した。
「ひょっとしたら間に合わないかも。」という不安はくすぶってはいたが、バイト先の仲間の安堵の表情と、「出発3日前には来たよ」などの巷の意見を希望の糧にして、俺は「9割は大丈夫だろう」となんとか自分を納得させていた。
ビザ申請のことよりもひと夏の恋ができるかどうかを心配していた8月があっという間に過ぎ去った。
領事館からの連絡はまだない。
「まぁ、1か月半はかかるって言ってたからな。8月は来ないやろう。」
猛烈に不安ではあったが、なんとか自分を言い聞かせていた。
そして、旅行出発月の9月に入った。
まだ連絡が来ない。
「まぁ、まだ1か月しか経ってないしな。中旬までにはくるやろう。でも、めちゃ不安になってきた。」とさらに自分を言い聞かせた。
しかし、先輩から「まだビザ取れてないの?ちょっとヤバいんじゃないか?一回連絡してみたら?」と言われた。
そう言われると一気に不安になり、領事館の事務員から渡された用紙を確認した。
「申請後30日過ぎて当事務所からの連絡がない場合は、電話またはEメールで詳細をお尋ねください」とそこに書いてあったので、受話器を手に取った。
「はい、こちらはビザインフォメーションラインです。まず最初にあなたのクレジットカードの番号を入力してください。手続き料として1500円をお支払いいただきます。」
こんな音声通話は今までに経験したことがなかった。
電話するなりクレジットカードの番号を教えろだと?
「はぁ?1500円ってどういうことやねん!?」
思わず電話越しに逆ギレしてしまったが、相手はコンピューターの自動音声であり、その怒りの声は部屋に空しく響くだけであった。
「また、オペレーターとつながりましても、制限時間は15分とさせていただきます。」とさらに音声は続いた。
「もう、ええわ!すでにビザ申請段階で一万円以上払ってるのにまだ取るんかい!」
このアメリカの拝金主義にうんざりしてしまい、まだ多少9月末まで期間が残ってるということもあり、電話での問い合わせをあきらめた。
9月中旬までビザが速達で届くのを待つことにした。
★★★★★★★
9月15日を迎えた。俺は家のポストを確認するのが日課になっていた。その日も不在通知書すら届いていなかった。
「あんた、まだビザ届いてないんか!?どうすんの!?」となぜか母親から理不尽に怒られ、
バイト先の先輩には「みんな心配してるんやで・・・」と半泣きに嘆かれ、俺の焦燥感はもうピークに達していた。
そして、直接確かめる意味でも再び受話器をとった。
拝金主義とかどうでもいい。
とにかく日々のこの不安から抜け出したい!俺はその一心だった。
クレジットカードの番号を入力し、手続きを進めていった。そしてオペレーターとつながった。
「あの、8月1日に申請した者なんですが、1ヶ月半も経つのにビザが届きません。確か、領事館の方も「一ヶ月半ぐらいで届くと思います」とおっしゃってたんですが。
一人で行くのではなく、会社の慰安旅行で行きますので、届かないとみんなに迷惑がかかります。どうか確認のほどお願いできますか?」
それまでの不安を吐き出すように相手に言った。
「わかりました。とりあえず申請手続きの経過報告をFAXで送りますのでしばらくお待ちください。よろしいですか?」
「わかりました。お願いします。」
バイト先の番号を教えその申請状況のFAXを待つことにした。
淡々とした対応にさらに不安になったが、とりあえず状況が早く知れるという安堵感もあった。
そして、次の日。
「これ届いてたぞ」と先輩から一枚の用紙を渡された。
そこには
「あなたのケースは現在本国国務省で照会・審査中です」とだけあった。
「こっ・・・国務省ー!!ていうかこの一文だけ!?」
あまりにも巨大で予想外の国家権力の登場に度肝を抜かれた。
「やっぱ、共和国に2回も行ったぜ!という回答が影響してるんやろかぁ。」
後悔ではないが、それに似た感情が俺の心をを締め付けた。
折りしも、その頃の報道では共和国のテロ支援国家からの解除問題が大きく扱われていた。
改めて自分の「朝鮮」という表示の複雑さと国際政治の現実に向き合うこととなった。
★★★★★★★
時間というものは残酷なもので、とうとうグァム出発日の2日前になった。
相変わらず、郵便ポストには何もなく、焦燥感ばかりが膨らんでくるばかりだった。
その日からバイトを休ませてもらい速達にすぐに応じられるように準備していた。
その時である。
「ピンポーン!」とインターフォンの音がした。
「来たー!やっと来よった!間に合った!!」
急いで階段を駆け下り、通常なら一旦出るインターフォンにも出ずそのまま扉を開けた。
「あなたは最近の災害が神様キリストの仕業だとお思いですか。是非これをお読みください。イエス様はいつもあなたを見守ってくださっていますよ」
俺の中で一瞬時間が止まった。
しかし、すぐに我に戻り、
「あ・・・うちイスラム系仏教徒なんで、すいません結構です」ととっさに返答した。
「ぐぬぉー!宗教の勧誘かいっ!見守ってるんやったら、俺のビザ申請の行方も見守ってくれっちゅうねん!」
そう嘆かざるをえなかった。
数時間後、「ピンポーン!」と再びインターフォンが鳴った!
「来た来たー!今度こそ絶対やろっ!」
再び階段を駆け下り、ドアを開けた。
「すいません。NHKですけど、受信料を・・・」
時間がまた止まった。しかしなんとか我に返った。
「NHKなんて見てないわ!ピタゴラスイッチとか大河ドラマとかNHKスペシャルとか全然見てないわ!」
そう言って扉を強く閉めた。
「あー!なんやねん今日に限って訪問者多いやんけ!くそー!」
焦燥感と怒りとやるせなさが混在し、一種のヒステリーのような状態になっていた。
そして落ち着くためにNHKの「生活笑百科」を見始めた。
結局、その日もビザは来なかった。そして、とうとう出発日当日を迎えることになった。
出発は21時半発の便であったので、まだ午前中にビザが来れば間に合った。
「あきらめたらそこで試合終了。あきらめたらそこで試合終了。あきらめたら…」とひたすらスラムダンクの安西先生の名言をお経のように唱えていた。
カブのバイクの音が近づくたびに窓の外を覗き込んだり、またインターフォンの音に敏感になるため、いつもかける音楽をかけないようにしていた。
前日にバイト先の先輩から、「夜出発なので17時までには結果を電話してほしい。キャンセルしないといけないから。キャンセル料は会社で負担する。でも絶対届くって!気持ちで負けたらアカンぞ!」と言われていた。
しかし、時刻は既に16時を回っていた・・・
そして、とうとう17時を迎えた。
最後にもう一度、ポストを確認することにした。
やはり、ポストは虚しくカラッポであった。
「間に合わへんかったか・・・」
先輩へ連絡するため受話器を手に取った。
「やっぱり、ダメでした。あの、心配かけまして申し訳なかったです。ただ、僕は結構ネタとしてオイシイかなとも思ってますので、あまり気にせずガンガン楽しんできてくださいね!では、お気をつけて!笑」
「そうか、残念やったな。ちゃんとお土産買ってくるからな!」
既にあきらめていた気持ちも手伝って、不思議とショックよりも先輩や同僚たちの期待に沿えずに申し訳ない気持ちで一杯になった。
先輩たちを南の島へ運ぶ飛行機が夜空を飛んでいる時、俺は一人ベッドの上で思いふけっていた。
「国籍っていったいなんやねん!?それだけでこんなにも理不尽な扱いをされるのか?韓国籍と朝鮮表示ってそんなに違うのか?俺はそんなに審査されるほど危険な存在なのか?」
自分の無力さと歯がゆさを感じていた。
その時、脳裏に4年前に言われた母親の言葉が過(よぎ)った。
「だからみんなで韓国に変えようって言ってるやんか!」
そうだ、あの4年前に俺は大きな選択を迫られていたのだった。
なぜあの時、韓国国籍を取得しなかったのだろう?
もう一度、4年前のあの出来事を思い出してみることにした。
今日もコリアンボールを探し求める。
※あくまで2008年当時の出来事なのでアメリカ領事館が現在どのような対応をしているのかは直接確認してみてください。予想ですが、多分変わってないと思います。