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自己紹介【青依叶子】という存在について②

糖尿病網膜症を発症してから4年半経ちました。
なんだかあっという間に時間が経ってしまって
本当に自分の身に起こった出来事なのかさえ疑ってしまいそうです。

私は9月で55歳になるのですが、自分の歳さえ?
そんなに生きてるかな?という感じで……
確かに生きてきたのですが実感があまりなく
なんなら幼い頃の感覚がまだあって体自体は歳を重ねているのに中身はお子ちゃま(笑)
人間の社会の中でいつも上手く生きれないのは
大人になりきれない……そういう所なのかも知れません。

【君死にたまふことなかれ】でも描いているのですが
とにかく生きずらさを感じていました。
17歳の【絶望】の時期に至るまで……
まぁ至った後も……最近までもですが……💦
とにかく苦しい 逃れたい!!
そればかりがぐるぐると私の中に渦巻いていました。

【生きる】という選択肢しかないと思い込んだ私は
17歳で【絶望】を味わったわけですが
有り難いことに【絶望】から抜け出すことが出来ました。
ですがすぐに考え方がポジティブに変わったわけではありません。
感情の波が激しく安定することは難しい日々。
かなり少なくはなりましたが、実は今も続いています。
これは性分だなと開き直って、最近はそういう自分も楽しめるようになりやさぐれ感満載で過ごしたりしています(笑)。

病気をして大変な思いをしたし〇にかけましたが
自分と【向き合う】良い機会になったと感じています。
まぁ【向き合わされた】んでしょうね😅
自分の問題から逃げ続けて結局はどこかで〇を望んでいたから暴飲暴食の自堕落な生活をしていたんだと思います。

体の異変は発症する何年も前からありました。
元々3歳から不眠症の私は発症した50歳頃になっても不眠が改善されずにいました。
それに加えて体中の痛みで少しの睡眠も取れなくなっていました。
腕と足はいつもパンパンに浮腫んでいて末端は紫色。
マッサージを毎日のようにしても固くなっていて自分の力では解せない状態でした。
病院に行かなければいけないと分かっていましたが
私は「どうせいつかは〇ぬんだ‼️」と。
 「それならそれで仕方ない‼️」
「好きなことしよう‼️」
「好きなものいっぱい食べよう‼️」
とジャンクフードを食べ、食べ放題のお店を食べ歩き
「次はどこ行こうかな?」なんて呑気に過ごしていたのです。
味覚障害だったため油っこいものや濃い味のものばかり食べていました。
食べることが幸せである意味ポジティブでしたね。
そんな事を何年も続けたら病気にもなりますよね💦
気にしてダイエットもしましたが少し痩せるとまた食べるを繰り返していました。

20代後半体重が106kgになった事があります。
私には2人の子供がおりますが産む度に20kgづつ増えていき3桁に。
今のように大きいサイズのお洋服も種類がなく
私は仕方なく紳士用の服を着ていました。
年中 半袖Tシャツに短パンスタイルで山下清さんのようなイメージです。
髪型も短髪で刈り上げていました(爆笑)
おしゃれに関心がなく(私の中身は男性性が強い時期だったので)
もちろんノーメイク。
本当は丸坊主にしたかったのですが家族に反対され断念しました。
そりゃ奥さんがどんどん太って山下清さん化してゆく姿には主人も困りますよね😱
正しく結婚詐欺!!
結婚した頃は体重50kg無かったのに。

その頃家族で田舎に帰った帰りに娘を東京駅のトイレに連れて行きました。
帰省シーズンで女子トイレは混雑していました。
幼い娘の手を引いて列に並んでいると突然
「キャーなんで男が居るの?」と大きな声が。
大きな声のする方を確認すると30代くらいの綺麗なお姉さん2人組がこちらを見て睨んでいました。

「えっ?私?」
(はい‼️山下清さん……貴方ですよ‼️)
今ならそりゃそうだろうな‼️と思いますが
その頃の私にはそんな自覚がなく
一応身体の性別は女性ですし……
(中身がおれだとしても……)
自分の見た目が山下清さんだったとしても……(笑)
※山下清さんを馬鹿にしている訳ではありません🙏🏻

幼い娘はその声に怯えて私にピッタリくっついていました。
私は他のトイレに行こうと娘を抱っこしました。
「ママー」
「大丈夫だよ」

「えー女の人‼️‼️」
綺麗なお姉さんがまたまた大きな声。
並んでいる他の人達が一斉に彼女達を見ました。

娘が怖がって「ママー」と抱きついて言うと
バツが悪そうに綺麗なお姉さん達は行ってしまいました。
「あれじゃ分かんないわよ!!!」
捨て台詞はちゃんと残してくれました💦
確かに分からないと思います。
娘にも悪いことをしたなと思いました。

息子が中学生の頃2人で大好きなゲームの話で盛り上がりながら地元の商店街を歩いていました。
その頃ダイエットで90kg代に。
前から歩いて来た女性が私達の前で立ち止まり 
「すっごいデブ‼️‼️」
と言って去って行ったのです。
息子はいつまでも気にしていました。
楽しかった時間が一瞬で消えてしまいました。
「気にしないよ‼️本当のことだしね‼️」
と私は笑っていましたが息子はかなりショックを受けたようでした。

そんな出来事もあり何度もダイエットをして病気を発症する頃には78kgに落としていました。
ダイエットの成功と失敗を繰り返しながらも少しずつ体重を減らしていました。

ずっとお仕事をしていたのですが頭位めまい症や胃潰瘍などの病気を患い発症する数年前から専業主婦をしていました。
元々主人は専業主婦でいて欲しいというタイプ。
主人のお母様は体が弱く幼い頃入退院を繰り返しお家に居なかったのが寂しかったそう。
私も子供の頃から病気ばかりで中学生の時には
「お子さんは無理かも知れないね」とお医者さまに言われた程です。
そんな私が子供を2人授かれた事は本当に奇跡のようです。
中身がおれの私を嫁に迎えてくれて諦めていた子供まで授けてくれて主人には感謝しています。
太って外見が男性化しても態度が変わることはなく
本当に感謝しかありません。

【愛】が分からなくて【好き】の感情も知らない
中身が男性でも女性でも在る私のそのままを受け入れ
傍にいて育んでくれた。
9歳上の主人は私にとってお父さんのような存在です。
子供達からは【仙人】と呼ばれて尊敬されています。
私と一緒にいるだけで大変だと‪💦‬
私は嵐だそうで全てを破壊してしまうとか😱
確かに私は思い立ったが吉日と後先考えずに即行動するタイプ。
おひとり様行動が楽なので気が向くまま足の向くまま何処にでも行ってしまいます。
スマホも見ない為 連絡もつかない(笑)
報連相なく行動するので何処で何をしているのか? 帰ってくるのかも分からない。
そんな私に文句ひとつ言わず
「気を付けて帰ってきてね」の一言。
【仙人】だと思います。
本当にこんな奴でごめんなさい🙏🏻

ですが私は家族に対して最近まで本心を見せることが出来ませんでした。

【愛されていない】
【必要とされていない】
幼い頃に感じた思いは大人になってからも心も体も蝕んでいました。
その部分に向き合わず逃げ続けて来た私にやって来た
大きな出来事が糖尿病網膜症の発症と合併症による命の危機だったんだと思います。

【もう逃げられないぞ‼️‼️】と……


③に続く……

2024年8月5日(月)
                                    青依叶子



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