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聖書物語⑤ キリスト教会は、こうして始まった

タイトル:「キリスト教会は、こうして始まった」
使徒2:4:「すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。」
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今日は聖書物語の第5回目として、キリスト教会がどのように始まったかというお話しをしたいと思います。
この配信をご覧いただいている方の中には、教会で傷ついたり、不快な思いをしたりした方も少なくないと思います。何故クリスチャンは教会に行くのでしょうか。日曜日ごとに教会に行かなければならないのでしょうか。不快な思いをさせられながら、教会に行かなければならないのでしょうか。私たちは考えます。「本当に教会は必要なんだろうか」「わざわざ教会に行かなくてもいいんじゃないか」教会とはどうあるべきか。これについては、来週お話しをしたいと思います。
今日は、どのようにして教会が始まったのか。教会にはなんの意味があるかという話をしたいと思います。
先週は、イエス・キリストの十字架と復活についてお話ししました。復活したイエスはペテロをはじめとする弟子たちに会いました。そして、このように指示を出します。
マタイ28:18-20
18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。19 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
 
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。」イエスは弟子たちにこのように命じられましたが、一体この命令を果たしたらよいでしょうか。そして、さらにこのような指示を弟子たちに授けます。
使徒2:4-5
4 使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。5 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
 
このように弟子たちに教え、イエスは天に戻られました。「聖霊によるバプテスマ?」なんじゃそら?って感じですよね。
 
教会のなりたち、教会の働きには、「聖霊」が欠かせません。クリスチャンは教会に行き、教会で福音を語りますが、これは第一に聖霊の導きに従って、クリスチャンが行う働きです。
さて、話を出エジプト記に戻しましょう。エジプトを脱出した後、神はモーセに幕屋を作るように命じます。このような施設が建てられました。そして、イスラエル12部族は部族に従って、幕屋の周りに住んでいました。
幕屋が完成した時に、このようなことが起こりました。
出エジプト記 40:34-35
34 そのとき、雲が会見の天幕をおおい、の栄光が幕屋に満ちた。35 モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、の栄光が幕屋に満ちていたからである。
雲で現わされている主の栄光こそが、神の霊、聖霊です。この聖霊こそ、イスラエルを導く神の霊です。
出エジプト記 40:36-38
36 イスラエルの子らは、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。37 雲が上らないと、上る日まで旅立たなかった。38 旅路にある間、イスラエルの全家の前には、昼はの雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。
イスラエルはこの聖霊の導きに従って、行動していたのです。そして、この言葉が書かれているのは、出エジプト記の最後の部分です。聖霊の導きでエジプトを脱出したイスラエルは、やはり聖霊の導きでカナンの地へと向かうのです。
それから、約500年ほどたってから、イスラエルにダビデ王、ソロモン王が現れます。ダビデ王の時に、エルサレムに王宮を建てます。息子のソロモン王の時に、それまでは、可動式であった幕屋に変わって、神殿が建てられます。神殿が建て終わると、幕屋が建て終わって時と同じことが起こります。
1列王記 8:10-11
10 祭司たちが聖所から出て来たとき、雲がの宮に満ちた。11 祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。の栄光がの宮に満ちたからである。
アブラハムと契約を結ばれた神は、モーセ、ダビデ、ソロモンと契約を更新しました。そして、イスラエルと共におられました。モーセからソロモンまでの500年間、イスラエルは多くの問題がありましたが、それでも神はイスラエルと交わした契約に忠実でした。しかし、ソロモンの時代からイスラエルは坂を転がるように転落していきました。ソロモンの死後、イスラエルは北と南に分断されてしまいます。南北の王国とも偶像礼拝に陥ってしまいます。結果として、イスラエルはバビロン王国に捕らえられてしまいます。
バビロン捕囚から5年後、エゼキエルという預言者が現れました。
神はエゼキエルに幻を見せました。それは偶像礼拝に対するイスラエルの徹底的なさばきです。
エゼキエル 10:18
の栄光が神殿の敷居から出て行って、ケルビムの上にとどまった。
 
の栄光が神殿から離れて行ってしまいました。神殿完成の時には、神殿を覆っていた神の栄光が離れて行ってしまいました。ところが、同じエゼキエル書の11章で、このように言います。
エゼキエル 11:17
である主はこう言われる。わたしはあなたがたを諸国の民の中から集め、あなたがたが散らされていた国々からあなたがたを呼び寄せ、あなたがたにイスラエルの地を与える。』
もう一度イスラエルが集められると言うのです。全イスラエルの回復の預言です。これは新天新地の完成の時に実現する回復の預言です。先週お話しした新天新地の回復が、イエス・キリストの到来とともに始まりました。そして、最初にお話ししたような命令を弟子たちに残して、イエスは天に戻られました。
そして、弟子たちが集まって祈っていると、主の栄光が戻ってきました。
「すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。」
当時、ヘロデ王が建てた神殿がありましたが、主の栄光が戻ってきたのは、神殿ではありません。神殿はその役割を終えました。エゼキエルが予言した主のエルサレムの帰還は、弟子たちの上に聖霊がくだることによって完了しました。そのことが書かれているのが使徒の働き2章です。
 
使徒2:4:「すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。」
それまで、ユダヤ人たちは、神の民となるのは自分たちだけだと考えていました。外国人もユダヤ教の神を信じ、神殿で神を礼拝することが許されました。しかし、外国人は神殿の中でもユダヤ人とは違う場所で礼拝することを要求されました。
当時のクリスチャンたちも同じように考えていたようです。しかし、聖霊がくだると、いろいろな言葉で神のことが語られ始めました。それは、信じられないような出来事です。イエス・キリストを信じるのであれば、何人であろうと関係ありません。皆神の民となるのです。
使徒の働きの著者は、ルカの福音書の著者と同じだと考えられています。ルカの福音書は、社会正義の福音書とも呼ばれています。イエスは、病気の人々、サマリア人、徴税人、女性、そして声を上げることのできない貧しい人々のところに行きました。そして、今は異邦人たちに福音が届き始めます。これが教会です。すべての人を神の王国に招く、それが教会の働きです。もちろん、セクシャリティやジェンダーは何の関係もありません。天満レインボーチャーチは、そのような教会を目指しています。

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