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赦さないといけませんか

今日のトピックは「赦し」です。非常に難しいトピックです。私はアメリカ聖書協会にあるトラウマヒーリング協会のファシリテーターの資格をもっています。トラウマからの回復は一瞬でできることではありません。回復は長い悲しみの旅の末にやってくるものです。その最終地点にあるのが「赦し」です。そこで問題は「赦す」とはどういう意味かということです。
日本語で「赦す」というのは、「過失失敗などを責めないでおく。とがめないことにする」という意味になります。聖書には次のようなことばがあります。

ルカ 17:3 あなたがたは、自分自身に気をつけなさい。
兄弟が罪を犯したなら、戒めなさい。そして悔い改めるなら、赦しなさい。
ルカ17:4 一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回あなたのところに来て『悔い改めます』と言うなら、赦しなさい。」

イエス・キリストが弟子たちに言ったことばです。これを日本語の感覚で言うとすれば、「誰かがあなたに罪を犯して、その人が『悔い改めます』と言ったら、もうその人を責めたり、咎めたりしてはいけません」ということになります。LGBTQの方々が差別され、暴言を吐かれた時、加害者が「悔い改めます」と言えば、もはやその人を責めることは、正しくないことなのでしょうか。
ある人たちは言います。「私たちにはできないけれど、神にはできる。だから、加害者を赦せるように神に祈りましょう。」これですべて解決でしょうか。いや、場合によっては、被害者は赦せない自分を責めたり、さらに悪いことには、赦すことのできない被害者の方が悪者にされたり、信仰がない人のように扱われます。
聖書は「赦す」いうことに多くのページを割いているわけではありません。加害者と被害者の関係について教える書物でもありません。ただ、聖書には何か事件を起こしたり、悪事を働いた人物に対してどのように対処すべきか書いてある箇所がいくつかあります。そういう箇所をクリエイティブに理解していく必要があります。ここでクリエイティブとは、例えば『赦し』に関して言うなら、聖書の言葉を読むと同時に、メンタルヘルスの知見を用いながら、いかに被害者を守るかという視点を提供することです。
「赦し」の定義を決めたいと思います。「赦しとは加害者に仕返しする権利を放棄する決断」です。つまり、「不当な手段を使って、仕返しはしない」ということです。ローマ人への手紙にこのような箇所があります。
12:19 愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。 「復讐はわたしのもの。 わたしが報復する。」
 
傷つけられたら、どうしたら良いでしょうか。怒りましょう。泣きましょう。「何にもなかった」とか「大丈夫だ」と言って、自分を偽らないようにしましょう。怒りやか馴染みを神に訴えるのです。「苦しい」「辛い」「悲しい」「頭にくる」「なんでこんな目に遭わないといけないのか!」と訴えるのです。そして、信頼できる人に話してみましょう。まわりに信頼できる人がいないかもしれません。天満レインボーチャーチは、そのために存在します。皆さんの苦しみ、怒り、悲しみを吐き出ししてください。私たちはその声に耳を傾けます。
 
「クリスチャンは怒ったらあかん」とか考える必要はありません。感情が落ち着くには時間がかかります。「赦し」もまたプロセスです。私たちは、傷つけられ、そのことを思い出す時、頭にくるでしょう。怒りで震えるでしょう。それでいいんです。その感情を何度でも吐き出してください。その度に「加害者に仕返しする権利を放棄する決断」をすれば良いのです。無理にあなたの感情を押し殺したりする必要はありません。
では、加害者はどうなるんでしょうか。「赦し」とは、加害者に償いをさせることでもあります。民数記の5:5-6にこう書かれています。
「他人に何か一つでも罪となることを行っての信頼を裏切り、後になって、その人自身がその責めを覚えたときは、自分が行った罪を告白しなければならない。その人は償いとして総額を弁償し、それにその五分の一を加えて、償いの責めを果たすべき相手に支払わなければならない。」
差別発言が行われたら、傷けられたら、加害者に謝罪をさせることが必要です。そして、加害者はその加害行為に対して、正当な方法で罰を受けなければなりません。それが教会であれば、教会は加害者を擁護するような態度を示すべきではありません。
ただし、この謝罪は、「加害者に仕返しする権利を放棄する決断」の前提ではありません。私たちは怒りの処理を神に任せたからです。これは加害者の謝罪とは関係ありません。仮に加害者が謝罪したとしても、心の傷は残るからです。メンタルヘルスの観点から言うと、「仕返しする権利を放棄する決断」を長引かせるということは、あなたの大切な人生を加害者にコントロールさせてしまうということです。あなたが何をしている時でも、加害者のことが心に浮かんできます。「仕返しする権利を放棄する決断」をすることで、加害者を神に委ねていきます。あなたの人生はあなたと神のものであって、加害者のものではありません。心の傷を癒しながら、あなたは素晴らしい人生を送ることができます。天満レインボーチャーチは、そのお手伝いをするために存在します。
そして、最後になります。「赦した」、つまり「加害者に仕返しする権利を放棄する決断をした」ということは、加害者をすぐに信頼しなければならないということではありません。信頼関係を築くとは時間のかかることです。悔い改めをしたからといって、加害者が信頼できる人物になるという保証はありません。最終的には、信頼関係を構築できないこともあります。またすぐに信頼することが、被害者にとって安全ではないことさえあります。このことは教会はよく覚えておかねばなりません。問題を起こした牧師や教会のリーダーが人を傷つけた時、手っ取り早い悔い改めと謝罪で、何事もなかったかのように牧師の職に戻り、リーダーの地位に留まることがあります。それは教会がそういう人たちを「信頼しています」というサインを被害者や社会に送ることと同じです。そのような加害者には謝罪と罪の結果に向き合わせる必要があります。
先日、ジャングルポケットの斎藤さんが、子供のころにいじめを受けていたことをお話しされました。彼は言いました。「一生恨んでいます。」正直だと思います。彼はいじめた人たちのことを決して忘れません。いじめを行ったことを赦さないとも言いました。彼の心の奥底まではわかりません。いじめられていた時のことを思い出すかもしれません。しかし、彼は不当な手段で、その人たちに仕返しをしようとはしていません。これが赦しです。 沸き上がる怒り、悲しみは、斎藤さんの責任ではありません。また、あなたの責任でもありません。その怒りのために、「自分は赦すことができない」「自分は信仰が足りない」などと悩む必要はみじんもありません。

1ペトロ. 2:23
(イエス・キリストは)ののしられても、ののしり返さず、
苦しめられても、脅すことをせず、
正しくさばかれる方にお任せになった。

これが赦しです。こうする時、あなたは既に赦しています。

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