BASEが、あえて「子ども食堂」や「フリースクール」をやらない理由
貴奈さん、「子ども食堂」はやらないのー?
BASEさんは、「フリースクール」じゃないんですか?
必ずと言っていいほど、よくきかれるー!ので、記事にして残します(^^)
結論から言うと!
あえて、
子ども食堂や
フリースクールは
やりません。
やらない方針です。
なぜかというと、
やりたいことが、それらじゃないから。
私の描く「地域づくり」のスタイルとは、ちょっと違うから。
(子ども食堂やフリースクールを否定しているわけではないですよ。もちろん。)
BASEを立ち上げる前の私が、そこらへんを
うまいこと言語化してたのが、
Facebookから見つかったんで😁♪
そんまま、載せちゃいます。
これを書いた時期は、コロナ初期。
緊急事態宣言が出たりなんだったりの、あの混乱してた時期。
この時期に、私は衝撃的なある2つの事件に遭遇します。
私の、直接の知り合いではないけど、
そう遠くない方が
発達障がいのあるお子さんの子育てで煮詰まってしまい、心身ともに追い詰められて、我が子を虐待してしまって
「取り返しのつかない悲しい事態」になってしまった、とか
また、
直接の教え子ではないけれど、
これまたそう遠くない、教え子世代の子どもが
精神疾患のお母さんと暮らしていくのがもう無理!ってなっちゃって(精神疾患により、暴言がすごかったり、アルコール依存もあったりしたらしい)
未遂に終わってるけど、、「そういうこと」になってしまった、とか。。
そういったものを、立て続けに目の当たりにして、
「テレビ画面の向こう側」じゃない
すぐそばじゃん、、って
なったあの感覚を、今も鮮明にもってます。
で、なんなら、私自身もこの時期は、
適応障がいから、「少し回復しかけてる期」
めちゃくちゃ自分を振り返って向き合ってる最中だったこともあり、
他人事に思えなかったのよね。
そんな時期に、書いた、紡いだ言葉。
今読み返してみても、この思いは、そんまま、
ブレずに、BASEというかたちになっております(^^)
子ども食堂やフリースクールの運営、となると
どうしても、
「困ってる人のため」感が強化されがちで、
「支援する側・される側」の線的な感じになっちゃう。
そういうのは、私はあまり、得意じゃないし、
たぶん、向いてないとも、思うんだよね😅🙏
さっき書いた、あの「出来事」の
お母さんが、あの高校生が、
今私の目の前にいたとして、
何かのきっかけでつながったとしたら
向こうが私を拒むことがなかったとしたら、
私は
一緒にいて話をしていると思うし、
一緒に子ども連れて公園で遊んだりお茶してるだろうし、
その子の家に、ふらっと現れたりしてるだろうと
思う。
普通の人、ただのご近所さん、友人知人として、
関わるだろうなと思う。
まずは、ね。
教育の専門家ですけどー!とか
BASEの先生ですけどー!とか
たぶん言わないし、やんない。
やる意味ないし。やったから、何?っていう。
だから、「そういう意味」では、
BASEって、別になくていい。
ただ、小さくても「組織」として運営することによりメリットは、あるわけさ。
予算を確保できる、
行政の窓口とかに話をしに行ける、
社会的に認知されやすい、とか。
それくらいです。
どちらかというと、ほんとに、まじで、ただ、
私が、やりたいからやってるだけ。
「塾」にしたら我が子とその友達とワイワイ遊んで勉強できるじゃん!楽しそう!って思うからやってるだけだし、
(この地域の学力向上に貢献!とか、ごめんだけどあまり思ってない。結果そうなればいい、とは思うけど。)
模合みたいな、いとこ会みたいな
雰囲気の家で子育てしたら楽しそうだな、
ラクだよな、とか、
そんなことしか考えてなくて、
で、あわよくば新鮮な野菜を自分で育てて食べて
ハッピーだし健康でいられたら嬉しい、と思うから、庭とか畑になんか植えてるだけだし、
結局、集まって飲み食いしたいだけだったりします…😂(おいおい。)
でも、本気で思ってるのが、
そういう人同士のつながりが、結局、人間を人間らしく育てる唯一の手段、方法ではないか、と。
「楽しいご近所さん」でいることを
徹底したくて
事業化しました、というのが
ある意味BASEかもしれないです。
だから、BASEは、
一般的な
子ども食堂やフリースクールとは、
ちょっとちがう。
塾の顔をしていたり、食育ワークショップ屋さんの顔をしている、「小さなご近所さん🏠️」です。
…って書いておこうかな。