パンプキンパイとシナモンティの味③ーマスターはなぜ感謝しかできない?ー
前回までのお話
「パンプキンパイとシナモンティ」を聴いてマスターの心情を理解し(お話①)、「シナモンティ」を飲んでさらにマスターの心情への理解を深めることができた(お話②)。あとは、パンプキンパイを食べれば完全にこの曲は理解し尽せり!となるはずだったのに、シナモンに含まれる何らかの物質が私の脳に「待った!」をかけた。
マスターは、引っ込み思案で照れ屋だから、ミスパンプキンの前では恥ずかしがって「毎度ありがとう」しか言えなかったって、本当?本当にそれしか理由がないのか?シナモンが、私にそう思わせるのだった。
照れ屋でまぬけな複雑な性格という理由以外だとすれば何?
パンプキンパイとシナモンティーは、曲中に登場する「照れ屋でまぬけな複雑な性格」のお人好しのマスターが、ミスパンプキンに恋をする話を描いた曲である。マスターの性格が、マスターとミスパンプキンを見守る周囲の客にじれったさを感じさせる。そういう曲だとすると、結局のところ、マスターが感謝しかできない理由は、ミスターの性格にあることになる(性格優位説と呼ぼう)。
しかし、マスターが「照れ屋でまぬけな複雑な性格」のお人好しだからといって、感謝しかできない原因が、マスターの性格にあったかなんてわからないわけだ(とあえて考えてみようよ)。他の理由もあったんじゃないかなってね。
たとえば、こんな風に考えてみるとどうかしらと。呼称の「マスター」に示されるように、マスターは喫茶店(コーヒーベーカリー安眠)の店長のようである。他の従業員がいるわけでもなく、マスター一人で切り盛りしている店なのかな。そんな店のマスターたるもの、性格がどうであれ、職務は忠実にこなすであろう。だから、「毎度ありがとう。」と感謝することは、職務に忠実な様子を表しているに過ぎないともいえる。したがって、マスターが「毎度ありがとう」としか言わないことは、性格に起因するのではなく、むしろマスターが積極的に職務を遂行しようとすることが原因ということになる(職務遂行説とする)。
ただ、職務遂行説と性格優位説のどちらが優れているのかについては、判断が難しい。もちろん、職務に忠実なマスターの性格にまで影響してしまうほど、ミスパンプキンの魅力が強いのかもしれないが…。
職務忠実説にどれほど説明力があるかはさておいて、以上のように、性格だけではなく職務のような属性(?)に目を向けてみることで、性格優位説を有力だとみなしているだけでは見えてこないものー性格だけでは説明しきれないものーがさらに見えてくる(はず)。曲を聴く側が、勝手に思い込んでいることが多いからだ。勝手な思い込みが悪いとは言えない。むしろ、思い込みは、私たちの常識(と思うこと)や社会通念?に密接している。常識があることで、意思疎通が早く効率的に進む場合は多い。他方で、常識が邪魔をして、逆に見えにくくなっていることも多い。シナモンは、私たちに、そのことを教えてくれる。
シナモンによる新たな刺激 あれ?マスターって…?
見えにくくなっているかわからないが、「一旦マスターに向けている私の常識を捨ててみなさい。マスターの属性の中で、あなたが常識だと思っていることはありませんか?」シナモンはそう私に語り掛ける。いや、そんなん言われても、知らんもん(しらんもん、シランモン、シナンモン、シナモン、モン、モン、モン。)。いや、1つあった。
私を含む多くのさだまさしファンは、おそらく、マスターをその呼称から推測して30代の男性であると想定しながら、鑑賞を楽しむことだろう。実際、ファンの一人である私も、マスターを勝手に男性に仕立て上げていたわけである。ところが、歌詞中でマスターが男性だとは、明言されていない。「お人好しのマスター36 独身」としか登場しない。もちろん、「マスター」や、「嫁さんをもらった」など、マスターが男性であることをほのめかす表現は複数登場する[1]。
まあ、マスターが男性だと謳われていないのと同様に、マスターが女性であるとは一言も触れられていない。ミス・パンプキンだって、「ミス」ってだけで女性に仕立て上げているだけだし。むしろ、「マスター」=男性、「ミスパンプキン」=女性として捉える方が自然な聴き方なのかもしれない。まっさんだって、マスターを女性だと想定して作ってないんじゃないかな。
でも、マスターのことを男とせず、一旦別の見方(マスターは男性ではなく、女性だという見方)をしてみよう。性格は、そのまま照れ屋でまぬけな複雑な性格。常連客は、女主人のことをマスターと呼んでいたこととしよう。すると、この曲はどういうことになるか?
マスターは、異性ではなく、同性に対して恋愛感情を抱いていたことになる[2]。そして、おそらく性的多数者であろう常連客の「僕ら」からの監督(?)を受けるがゆえに、マスターが自身の思いを告白できない雰囲気ができあがる。つまり、マスターが自らの思いを打ち明けられずに感謝しかできずにいたのは、単に恥ずかしがり屋という生まれ持っての性格が原因ではなく、性的少数者であるマスターが性的多数者である常連客の前だから、なおさら告白できなかったと考えることができる。つまり、照れ屋だからじれったいマスターの恋愛話とは別のマスターの恋愛話と捉えることができる。
最終的に、マスターはいつの間にか嫁さんを貰う。「僕ら」はマスターの告白に立ち会っていない。また、相手がミスパンプキンかどうかも僕らには伝えられないままだ。なぜか?色々と考えられるけど…ま、その辺の学生に自分の恋愛をさらけだす店主はいないか。そこまでの間柄ではなかったのかな。
おわりに
さて、シナモンの何らかの効能によって、いろいろと考えさせられたけれど、普段気にもしない設定を疑ってみると、なかなか得られるものが大きい。同じ人物、同じ環境、同じ結果だとしても、何がその結果を招いているかは定かではないし、その間がどんな過程かはわからないことは多い。今回は、原曲も含めて、3つのストーリーを見つけられた。この成果は、読書感想文とかに生かせそうだ!ありがとう、シナモン。あんまり得意じゃないけど、また困ったら飲むよ!
マスター
原因A 恥ずかしがり屋 照れ屋でまぬけ
↓
↓
感謝しかできない(告白しにくい)
マスター
原因B 職務に忠実
↓
↓
感謝しかできない(公私はきっちり分ける!)
マスター
原因C 自らの恋愛を告白しにくい環境
↓
↓
感謝しかできない(告白しにくい)