音を奏でる茶色の箱
◉オルガン、ピアノ
私の音楽との関わりは3歳。
YAMAHAかどこかの教室でオルガンから始まった。
うちは転勤族だったので転勤するたびに一からピアノの先生を探した。
沖縄に住んでいた小学校低学年の頃、ダイナハというダイエーの那覇店の向かいにある古いビルのワンフロアで防音室がいくつかあるピアノ教室だった。
ガチャリと重いノブで閉じ込められているような感覚になり、とても憂鬱な時間だった。
その後また引っ越してからは、知り合いの紹介で音大を卒業してすぐの先生に個人レッスンで習うことになった。
初めは少し大人のお姉さんに教えてもらえるし、レッスン終わったらお菓子食べさせてもらえるし楽しかった。
ただ、私はあまりピアノを弾くことが好きではなかった。
まず譜読みが嫌い。耳コピして弾いていいならそっちの方が早かった。
指遣いも決まってるから窮屈で嫌い。
指の練習とかいうよくわからない単調なやつを弾くのが嫌い。
そんで間違わずに弾かねばならないプレッシャーが嫌い。それでもエリーゼのためにとか乙女の祈りとか子犬のワルツとかベートーヴェンの月光(めちゃ暗い)とかを発表会で披露できるくらいにはなった。
「音が良いんだよね」
多分先生は私に技術がないからそう褒めるしかなかったのだろうけど、先生の音大のお友だちにも発表会の時に褒められていい気になっていた。
あ、発表会の時に着るよくわからないドレスみたいなのも嫌い。頭に飾り付けられるのも嫌い。
中学生になると勉強や部活でピアノの練習までやる気力が保てなくなった。あまりに練習をしてこない私に対して先生は一度も怒らなかった。
(のちに出会うのだめカンタービレがこのタイミングで読めていれば…!!!千秋先輩がいれば…!!!え?)
◉声楽
諦めた先生は声楽やってみる?と、発声練習などから教えてくれた。(先生は音大で声楽科だったようだ)しかも歌う曲は全てイタリア語で、英語もまだ意味がわからないのに頭の中にまた違う言語がやってきた。
なので私はご披露する場などないのに「オーソレミオ」をイタリア語で歌える。
恐ろしいものだ。思春期に覚えた意味もわからないイタリア語を忘れていないのだから。
どうやらイタリアの中でも南のナポリの方の曲?ぽくてもうピッツァだよ。
その後もピアノはやる気なしで最後はロングバケーションのセナの曲とかやってた…
紆余曲折ありピアノをやめ、先生とも年賀状のお付き合いだったのだが、🐏を産んでその先生が現役で教えてらしたので4歳からレッスンをお願いしてる。
座学もしっかり時間をかけて教えてくれるし、発声も組み込まれていた。おかげで歌でも音が取れるようになった。
🐏はYOASOBI信者なので曲を弾きたい!とお願いしたらあっさり通った…え、いいの?
なんか古典的な曲やらなくていいの?
練習曲と並行してやるの?
確かにモチベは保たれそう。
「アイドル」を一曲まるまる弾けるようになり
今は「怪物」に取りかかってる
もちろんどちらもアニメからよ!
てかうちはアニメや漫画はどれだけ観てもOKなのよ!私がそうだったからね!(私は隠れて見てたけどね)自分の子どもにダメとは言えない…
🐕も🐏も立派なアニメオタクですよ…
多分私より履修率高い気がする。
次はYOASOBIの「UNDEAD」が弾きたいらしい🎹
🐏はピアノが楽しそうだ。
それを見て私は嬉しい。
なんであそこまで嫌悪感を持っていたのか…
私はわからないのもあるけど、🐏の練習にはいっさい口を出さない。
先日ピアノ送迎のわずかな会話で
私がSixTONESを好きなことを知った先生は
即楽譜を送ってくれた。
先生は私の病気のこともご存知だ。
送迎ができない時は私が送るからと言ってくださってる。
私には完全なる陽の人間に見えていた。
でもそうではなくて様々な経験をしてきた上で
ご自身をそう保とうと努力してるんだ。
強いな。
私は一生そうなれない。
別になりたいとも思ってない。
弱々なままで時々強強な人たちと関わって
時々恩を返すようにして
生きていく。
ピアノね早速もう挫折しそう。
指が全然動かないんだもん。
そうね、知ってる。
あの単調な練習は必要なのよ。
もう少し弾いただけで手がつりそう。
まぁゆっくりやるよ。
写真は私の母が子どもの頃に祖父母に買ってもらってから弾いているピアノ。もちろん私より年上。
裕福ではなかったけど子どもの中で唯一の女子だからと買ってくれたらしい。
今でも初見で弾くのは母の方が早い。
茶色が良い色。
実はずっと調律してない…ちょっと変な音ある…←ごめん。