母娘3代に渡って。いのちをのこす聞き書きの話。
こんにちは🌱
にじです🌈
ひと月ほど前、90歳になった祖母の所へ、母と一緒に行ってきました。
今日は、「おばあちゃんの聞き書きがしたい」。
そんな話です。
聞き書きとは、語り手の方にお話を聞き、それを文字に起こし、その人が一人語りをしているように書くことです。
私が聞き書きの存在を知ったのは、院生時代だったと思います。今でも度々お世話になっているある先生の開く集まりに参加した時、その先生が、聞き書きのお話をしてくださいました。
それは、聞き書きをして、話をしてくれた人たちに、聞いた話を文字に起こした冊子を渡したら、その人たちが元気になった、というお話でした。
その時から、聞き書きというものに興味をもち、いつか機会があれば学んでみたいなと思っていました。
そして、2024年の10月。
市民講座で聞き書きを学ぶ機会に恵まれ、ボランティア講座を受講してきました。
そこに合わせて、おばあちゃんにもお手紙を出し、聞き書きをしたいことを伝え、母と日にちを調整して、おばあちゃんに会いに行きました。
色々な事情から、おばあちゃんとは疎遠になりがちだったので、おばあちゃんは私の再訪と母との再会を喜んでいました。
そして、何十年かぶりに、母が「子ども」になる瞬間にも立ち会えて、私はとても嬉しく、幸せでした。
目の前のおばあちゃんは、母にとってのお母さんなんだ、と感じられて、私のお母さんも、誰かの娘であり、人の子どもなんだ、と。
当たり前のことですが、いつも頼って甘えている母も、人の子どもであり、自分のお母さんに心を開いてるしぐさが、私には新鮮で嬉しかったのです。
そんな「雪解け」の瞬間に一緒に居れて、良かったなぁと思います。
ちょっとしたことから、おばあちゃんも歳を重ねてきたことを感じて、こうして話ができる時間も短いのかもしれない、とも思います。
もともとは、母の聞き書きをしたい。と思い立ち、そのことを父と話していたときに、おばあちゃんの聞き書きをしてみるのも良いかもしれないね、という話になり、動き出した事でした。
そして、母の兄弟の子ども、私にとっての従兄弟にも、もう子どもたちがいます。
早くに亡くなった母方のおじいちゃんのことを私は写真でしか覚えていないように、従兄弟の子どもたちからしたら、ひいおばあちゃんにあたるおばあちゃんのことも、どれくらい記憶にのこるだろうか、と思ったとき、
聞き書きをして、おばあちゃんの人柄を感じられるものが文字で形になり残っていれば、従兄弟の子どもたちにとっても、大きくなって手に取ったときに、自分のご先祖さまを知る良いきっかけになるかもしれない、と思いました。
そして、調べてみたら、ちょうど聞き書きの市民講座もやっているし、それじゃあ、やってみようとなったのでした。
自分のご先祖さまがどんな人たちだったのか。
わたしという存在のルーツを知っているということは、自分が立っている足場を確かなものにしてくれるように思います。
それが誇りや自信になり、背中を押してくれることもあるかもしれないと。
そうでない場合もあるかもしれませんが、それはそのことをどう受け止めて、成長していくか。その人に必要な学びだったのだろう、と、わたしは思います。
わたしが今ここに存在して、
息をして、ものを考え、
食べて、寝て、動ける。
ご先祖さまの誰かひとりでも欠けていたら、わたしの存在はここにありません。
ここまでつながれてきたわたしのいのちは、
わたしに宿るものでありつつ、
わたしだけのものではないのかもしれません。
そんなことを思いつつ、近所の喫茶店で珈琲を楽しむにじでした。
聞き書きは、数回話を聞いてから、冊子に仕上げることが多いそうで、おばあちゃんの聞き書き冊子の完成は、まだ先になりますが、少しずつ進められています。
母娘3代に渡って、語り合える時間を大切に、楽しみながら、作成したいです。
私を産んでくれたお母さんにありがとう。
お母さんを産んでくれたおばあちゃんにありがとう。
いのちをつないできてくれたご先祖さまたちにありがとうありがとう。
聞き書きできることに感謝感謝です。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
ずっと下書きに眠っていた記事を書き上げられました。
1週間おつかれさまでした!
またお会いしましょう🌈
🌟 参考までに、聞き書きのボランティア団体のリンクを貼ります。聞き書きについて、詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。