〝私が〟墓場まで持っていく話
今日、私はこのアンケートに答えた。
その上で「墓場まで持っていく」という決意表明を、改めて文字にしておきたいと思ったので書いていきたい。
※今、ここまでの情報で動悸を感じたり、冷や汗が出たり、何か良くない事を思い出してしまいそうな方は、無理せずこのページを閉じて、心休まるものを見聞きしたり温かい飲み物などを摂ってリラックスしてください。
※起こった事の詳細は、墓場まで持っていくので記載していません。
※アンケート回答当日に書き始めましたが、仕上がりまで日が経った為、回答日は公開日より前になります。
※以降比喩的な表現が出てきますが、比喩でも多重人格でも無く、起こった事実を客観的に述べています。
私の絶望と、戦友の話
墓場まで持っていく為には、まずその前に誰にも話していない事が条件になる。
私がアンケートに回答したのは〝いずれも〟何年も前に遡る過去の事だが、今この記事を書くまでの間その詳細を明かしたことは一度もないし、未来永劫そんな時は来ないだろう。
アンケートに纏わる事件が起きる遥か前、小3の時に既に私はこの世の全てに絶望していた。自分以外の人間は誰1人として頼りにならないと言う事に気づき、もう二度と心情を明かすまいと誓ったのである。
それからずっと、この記事を書いている今でも尚、〝私〟は私にとって最高の助言者であり、戦友であり、道標となっている。
人生を永遠に共にする自分自身が1番頼りになるのだから、これ以上頼もしい事はない。
しかしながら、そんな〝戦友の私〟が、唯一後悔しているのが、アンケートに回答した事案である。
「守れなかった戦友の自責」と「守られた私の感謝」
〝戦友の私〟は、時に姫を守るナイトの様に、私を庇護する立場だった。私の戦友は、私の身体や、心を守ることにいつだって一生懸命に戦っていた。それはとても孤独だが、頼もしく、私の絶望という名の暗闇を照らす希望だった。
しかし、1つの身体を共にしている以上、守るのにも限界があった。それを〝あの時〟思い知らされた〝戦友の私〟は、〝庇護対象であった私〟を守れなかった事を悔いていた。それは「被害者の自責」ではなく、「被害者の〝親友〟の自責」だった。
〝戦友の私〟が自身を私とは切り離した他者として自責する一方で、〝被害者の私〟は戦友の最後の抵抗に感謝もしていた。
私には〝あの時〟の記憶がない。
より正確に言えば、〝記憶が残らない様に無の状態になり〟〝終わった後記憶を消し〟〝何があったのか分かるように記録を残した〟という3つのプロセスがあり、その結果、起こった事象は分かるものの思い起こせるイメージが極端にカットされた。
記憶ってこんなに簡単に失くせるんだ、と思った。
真っ白なキャンバスに描かれた絵は、上から塗りつぶされる事もなく、キャンバスごと削り取られて跡形も残っていなかった。
記憶喪失とは違い、何があったかのメモは残っていたので不安に駆られることもなかった。私はそれを素直にありがたく思った。
話さないことがベストアンサーだったあの時
被害を受けた場合、本来であれば人と共有し共に嘆いたり怒ったりする事で受けた傷の処置をするのが心身を取り戻すプロセスだと思う。
けれども私は他者には話さず何事もなかった風を装った。話せば二次加害が巻き起こり、傷に塩を塗り込まれ取り返しがつかなくなるだろうと確信していたからだ。
当時の私が「二次加害」という言葉を知っていたかは分からないが、私は誰にも話すまいと強く誓っていたし、その判断は英断だったと今もなお思っている。
親しい部活仲間やTVに映る有名人に無いはずの面影を感じて怯えながら、いつも通り過ごす日々を私は選んだ。
二次加害など本来あってはならない事で、いつだって打ち明けることがベストでなくてはならないが、「黙秘する」という選択は私にとって間違いなくベストアンサーだったし、今でもベストであり続けている。
生きていたのはまぐれである
全ての存命の被害者にとって、生きていたのはまぐれだと思う。九死に一生の体験だったという事ではなく、加害者の質は選びようが無いから。
同意なく行為を強制する人間は、〝何をしでかしても〟おかしくない存在だ。人の尊厳を無視する人間は、いつ命を奪ってもおかしくない。
被害を受けた事は圧倒的損害で、「不幸中の幸いだったね」などとのたまう人間がいたら〝戦友〟の私が八つ裂きにするだろうが、それでも今このnoteを書いている私は幽霊ではなく、確かに生きている。
根本的に小3で絶望した時に私は死んでいると思っているので、被害を受けたことで2度は死んだ事になる。死んだ私の魂は帰ってこないが、今この身体で生きている自分には、人生を存分に謳歌してもらうつもりだ。
私の被害はカウントされない
私はすべての被害を1つたりとも届け出ていないので、どの名目でも犯罪件数にはカウントされていない。世の中の人が参考にする資料の何処にも、私の被害は載っていない。
仮に届け出たとして、当時の法律上違法と見なされたかどうか、カウントされるに至るまで精神的に耐えられたかどうかは甚だ疑問でもある。
こんな状況は、端的に言って狂っている。私が死ぬまでに変えていきたい。
あなたの近くにも被害者は居る
「LGBTの人なんて周りにいない!」
「うつ病の人なんて見たことない」
そう言う人の近くに〝打ち明けていない〟当事者が居る様に、あなたの近くにも性被害の当事者は居ます。
だから探せ、という訳ではなく。
理解しろ、という訳でもなく。
「性被害の暗数?どこに根拠あんのw」
「被害アピールはモテ自慢」
「日本は安全な国でしょ」
そんな発言を聞いた時、言いそうな時、一瞬だけ立ち止まって貰えたら有難いと思う。
そしてもし何かに興味を持った時は、被害者に聞くのではなく、まずはネットに山ほどある情報を見に行って欲しい。
「痴漢にあった事ってあるの?」
涙無しでは語れない話を、酒の肴にしようとはしないで。メインディッシュでみっちり数時間ディスカッションするなら話せる事もあるけれど。
これは、墓場まで持っていく、〝私〟の話。